37恥目 クズのミルフィーユ

「イライラするわァ」


 帝大近くの某蕎麦屋――僕らは冷えた体を温めるために夕食を取っていた。その蕎麦屋の中で糸魚川は口の周りを食べかすだらけにして文句を垂らした。ムシャムシャと食い散らかすように、蕎麦をすすり、続けて稲荷をひと齧り、ゴクリと飲み込んだらすぐに天ぷらを貪る。

 喫茶店であんなに食ったのに、すごい食欲だ。まだ食うのかコイツは。


「なんでお前がイライラしてんだよ。絶対要に金返せよ」


 相変わらず中也さんは辛辣だ。糸魚川とは逆に食べ方が綺麗で惚れ惚れする。蕎麦を啜る時に蕎麦つゆが飛び散らない。ご飯を綺麗に食べる人って本当に魅力的だと思う。


「はあァ、この坊ちゃんマジで無理だわァ。暴力振るうし言葉キツイし、よくないと思いまあァす」

「いやお前、中也さんに奢って貰ってんだから……」


 僕はさっきの事でお金が無いから、まさかまた奢って貰うわけにも行かず、一番安い稲荷を2つだけ頼んでちまちまと口に運んでいた。噛めば満腹中枢がどうのこうので脳が満腹だと錯覚するらしいから、とにかくお揚げをガムのように噛んだ。

 そんな僕の正面で奴はお構いなしに蕎麦の丼を平らげ、追加注文でまた蕎麦を頼んだ。酒もガブガブ、水のように飲む。


「食い過ぎ……」


 他人の金だということを忘れてるんだろうか。忠告の意味も込めて、引き気味に言った。


「食っていいったのは坊ちゃんだからな? 俺が奢れって言ったわけじゃねェのよ」

「お前には言ってない」


 すかさず入れられるツッコミ。しかし糸魚川は動じない。


「ま、なんと言われても俺は金がないから払えねえんだわ。でも食うさ。久々の飯だからな」

「久々って、どんだけ食ってなかったらそんなに食べれるんだよ」

「3日は食ってねえな。名古屋から来て食い逃げ捕まったのは今回が初めてだ。クソガキさえいなけりゃ、今回もタダ飯だったけど。ったく、無駄な出費だよォ!」


 お前は払ってないだろ! 僕の生活費を削った貧乏神のくせに何を抜かしてんだ。僕はキッとキツく彼を睨む。けれど、ズルズルと心地よい音を立てて勢いよく口に吸い込まれる蕎麦を見るのは気持ちが良かった。具もみるみるうちに消えていく。


「てか、名古屋から来たって、糸魚川の対象者は誰なの?」

「糸魚川“さん“だろ? ガキに呼び捨てされる程ガキじゃねえよ。おい! 蕎麦遅くねえか!?」


 敬称を付けないと怒り、すかさず蕎麦が遅いと厨房へクレームを入れる。救い用のない奴だ。中也さんは怒りを抑えるのに必死そうで、もう何本も割り箸を握り折っている。エコの為にもなんとかして中也さんの怒りを沈めなければ。


「そもそもお前らの名前も聞いてねえし。最初に名乗れよな。それが礼儀ってもんだろ?」


 お、ま、え、が、い、う、な! 糸魚川に礼儀をどうこう語られるのはお門違いだ。だが、此処で言い返してしまえばお店に迷惑がかかる。だから言いたいことは全部飲み込んだ。


「ああ、ごめん、僕は生出要。こっちは中原中也さん、知ってるだろ?」


 僕は形だけでも申し訳なさそうに装って、頭を下げた。それなのに2人分の名前を名乗ると「中原中也? さあ、知らねえよ」と本当に知らん顔をする。態度が悪い。


「んで、坊ちゃんがクソガキのアレなの?」


 糸魚川の語彙力が乏しい。


「アレって、対象者のことか? 僕の対象者は違う人だよ。津島修治って言うんだけ――」

「知らねェ」


 言い終わる前に食い気味で話を遮られる。人の話は聞かない。横暴。だらしない。絵に描いたクズ。怒るな、怒るな、僕! 


 咳払いして、気持ちをリセット。気を取り直して別な質問。


「……糸魚川さんはどうやって昭和に来たんですか?」

「知らねぇ間に居たわ。地元の崖から飛び降りたらタイムスリップだな。どうせ飛ばすならハーレム系異世界にしろっての」


 ぶつぶつ文句を言いながら、1番高い海老の天ぷらを惜しげもなく食らう。サクサクと音がしてめちゃくちゃ旨そう。歯形のついた海老天の身がプリっとしていて、齧り付きたくなったって――って、海老じゃなくて!


 糸魚川が地元の崖から飛び降りたとなると、司や先生同様、自殺直後に来てしまった? 平成から来た4人の共通点を探すと、普通に考えれば「自殺を考えていた、もしくは自殺する直前であった」ことが条件のはずだ。

 でもおかしい。何故なら僕は昭和に来る前、自殺しようなんて思ってなかったからだ。ならば僕らは何がキッカケでここにいるのだろう。何か他の共通点が分かればいいけど、今回は一つの可能性を知れたと言う事でよしとしよう。


「ま、なんだっていいけどよ、今日寝るとこ無いんだわ。よろしくな!」


 恐ろしく図々しい。夕食を奢ってもらいながら今日の宿まで要求する始末。一瞬で何を考えていたか忘れた。


 中也さんが再び無言で酒瓶を振り上げたことは言うまでもない。



「あれが糸魚川くんですか……」


 飴屋に気絶した糸魚川を運ぶと、爺さんに訳を話してここに泊めてもらうよう頼み込んだ。了承を得たのは良いものの、爺さんは糸魚川の汚れた着衣や体臭に難色を示した。もしコイツを泊めるのなら、爺さんは先生の家に行くと言って宇賀神親子を呼び寄せるくらい酷い。


 先生と吉次は店の前から奥の部屋を見て、糸魚川がどんな奴かと期待した顔で見ている。やめてやめて、そんな期待するような奴じゃない。クズにクズを足して、さらにクズをかけたようなクズだから。クズを幾つも重ねた、クズのミルフィーユのような男だ。


「まぁた薄汚えの連れてきやがった。要の周りはロクなのがいねえな」

「そうかな、他にはいないよ」

「修治」

「……あぁ」


 確かにロクでもないか。納得して3回頷いてしまった。


「お爺さんは僕の家で泊まって頂きますけど、中也さんすごい顔してますねぇ」

「酒瓶で糸魚川を殴っちゃいましたしね」

「えっ」


 先生は驚いてる。普段は見せない中也さんの意外な一面だ。無理もない。先生はでも、と続けて「中原中也ですもんね」と史実を照らし合わせて腑に落ちたようだった。


 泊まりの準備を済ませた爺さんは自宅だと言うのに早く家を出たがった。部屋は荒らさないように、と爺さんから忠告を受ける。先生には、また改めて糸魚川を紹介してほしいと言われ、僕は「多少まともになれば」と苦笑いで返した。

 爺さんの荷物を纏めて手渡すと、3人は先生のアパートに帰っていった。細い風が足首を冷やすので、さっさと中へ入ると糸魚川は相変わらず倒れたままだ。


「北極、ねぇ」


 コイツが北極へ行って生きて帰ってくるなんて。あの極寒の地に行った事も信じられないけど、この図太さだから出来る事だろうか。周りも苦労しただろうな。


「崖から飛び降りたって言っていたけど、そのまま死ねばよかったのにね」

「相当嫌いですね」


 口は笑えど、目は笑わず。中也さんも相変わらず怖い顔のまま。僕は糸魚川が気の毒になった。この2人が仲良くなるなんてことは天変地異が起こってもありえないな。圧倒的に糸魚川が悪いんだけど、この調子だとしゅーさんにも会わせられないだろう。


 僕は先程の一つの可能性をもう一度考えようと、中也さんに相談することにした。1人でずっと考えても答えなんか出やしないからだ。


「やっぱり、昭和に来るのは自殺の直前なんですかね」

「拓実さんは足尾銅山で自殺しようとして、糸魚川は崖で自殺、司も山口で自殺しようとしていたようだね」


 中也さんの言う通り、先生は足尾銅山で飛び降り自殺。糸魚川も崖から飛び降り自殺。司は消防士だったようで、火災現場の中で焼身自殺を図ろうとした。

 この3人の共通点は、“平成で自殺を図ろうとしていること“だ。


「でもおかしいんですよ。僕だけその共通点に該当しない」


 納得出来ない理由は、やはり僕は自殺なんかしようとしていないからだ。旅行中にドタキャンされて、たまたま川を見に行って、突き落とされてここに居る。

 平成から昭和で3年過ごすうちに平成の記憶は薄れて、自分がどう過ごしていたか、友達の顔、家族の事。思い出せる事は日々減っていく。平成で過ごした時間の方が長いのに何故だろう。記憶が薄れる理由も、ここに来た理由もわかりやしない。


 まるで僕が消えていくみたいで、怖い。だから解決しない問題に頭をかかえた。どうしたら思い出せるのか。僕の過去はどこに落として来たのか、不安なことは沢山あるんだ。でも、解決の糸口が見出せない。


 中也さんは、力になれないと申し訳なさそうにした。そうだよね、そもそも平成の人間だって信じてくれてること自体が奇跡だ。それには感謝しなきゃ。


「行きゃあいいじゃん」


 すると糸魚川が目を覚ましていたようで、急に声を出す。どうやら話を聞いていたようだ。


「俺も最初はマジでなんも思い出せなくてさ。北極行く途中に、飛び降りたはずの海を通り掛かったら思い出したんだわ。俺、死のうとしてたわ、って」


 糸魚川は北海道の積丹岬から飛び降りたと言った。僕にはわからない地名。なら僕は再び「玉川上水」へ落ちれば、記憶が戻るのだろうか?


「知らねえけど、お前も死のうとしてたんじゃねえの? 幸薄そうだもんな!」


 ゲラゲラと寝転んだまま笑う糸魚川。少なくとも、今日不幸なのはお前のせいだ。マジで金返せ。中也さんは糸魚川を睨む僕の隣に何も言わず座ってくれた。


 記憶に無いだけで、僕も死のうとしていたのかなあ。

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