32恥目 生出要の対象者

「何を期待してるの?」


 中也さんは積み上がった本達の上に読んでいた本を重ねた。先生の寝巻きの着物を借りたこの人も新鮮で艶めかしい。恥ずかしくてしょうがないのに、目を逸らせない。


「夜は長いって言われた上に、高い物をご馳走してもらったので……僕を女性として見ているならそういうことかな、と思いまして……」


 発情しているとかでは決して無いんだけれど、そういう何かを期待しているんだろか。複雑な心中は自分でも理解出来ないでいる。


「なるほどね。じゃあ、1つ聞いてもいい?」


 枕元の明かりだけが灯る部屋。真正面を向き合うと、きっと男女のアレとソレが始まるのだと袖をギュッと掴む。ついに抱かれてしまう、そればっかりが頭をぐるぐると駆け巡ってしまう。


「はい、出来る事なら」

「じゃあ」


 僕は心臓の鼓動が聞こえないように、左右にゆらゆら揺れて落ちつかない。目をキツく瞑って覚悟を決めた。


「要はどうして津島のために生きるんだい? 話を聞くだけで嫌な奴だってわかるよ」


 ……なんか、拍子抜けだ。津島と聞いて浮かぶ顔。もっと甘い時間が流れると思っていたのに、鼓動も、力も全部普通通りになる。あのひょろひょろクソ野郎がここにも登場するなんて腹立たしい。


 中也さんの質問にはきちんと答えなければと、思い出した苛立ちを隠しながら「嫌な奴」に付き纏う理由を話した。


「それが僕の使命ですからね。花言葉の意味を理解して対象者と生きる。理由なんかそれだけですよ」

「花言葉は?」


 僕はいつも持ち歩いているムラサキケマンを、普段着である袴の袖から取り出した。


 花弁は4つ。外側と内側の2つで形が違くて、花は紫色。いくら怪我をしても、濡れも、走っても。この花は折れたりしないし、無くなることはない。亡霊のように気づいたらそこにあって、監視されているような気分だ。


「喜び・あなたの助けになる――だから僕は体も張るし、無理もする。あんなクソ野郎も守ってあげなきゃ、平成に帰れないみたいだし」


 思わず乱暴な言葉が出る。訂正はしない。


「要は平成に帰りたいのかい? 司は帰らなくてもいいと言っていたけど」

「いえ、僕はあんまり考えてません。どっちみちあの人が死ぬまでいなきゃいけないし、まあでも、平成に帰りたいと思う程あの時代に未練もないですから。なるようになれよって感じです」


  帰るとか帰らないとか、考えるのも面倒だ。いつもその日暮らしで、てんやわんやしてるのに先の事を考える余裕がどこにある。

 平成に対して未練がないと言うのも、ほぼ記憶が素っ飛んでいるので戻りたいとは思わない。クソ野郎のことで駆け回っては財布を見つめてショックを受けたり、恋をして挙動不審になったり。毎日忙しい。いつだって余裕という言葉とは無縁なんだ。


「きちんと考えなきゃ」

「迷ってられないんですよ。いつも、しゅーさんを守らなきゃいけないから」


 悩んでも時は過ぎていく。選択を間違えれば取り返しがつかない。自分の人生なら時間を無駄にしてもいい。僕は津島修治の人生を任されている。


 自分の事を考えている程、時間は待ってはくれないんだよ。冷静になれば、今回の喧嘩も出ていくほどの事ではなかった気がする。考える時はこんな事をさらっと思うくらい。あとは体が勝手に動いたままになるだけだ。僕は時間に動かされているような気がした。


「要……ごめん!」

「え?」


 中也さんが何に謝ったかと疑問に思うと、手渡したムラサキケマンの花が二つずつになるように、茎を縦に折っているじゃないか。今ままで折れなかった茎は簡単に曲がってしんなりしている。


「ちょっと、中也さん、何を、やってんですか? えっ、待って? えっ、茎、茎、折った?」

「折った!」


 中也さんは、肩で息をしながら強く頷いた。


「何やってんの!?」

「いや待て、俺の話を聞いてくれよ」

「いや待てない待てない」


 僕は真っ二つになったムラサキケマンを見て思考が止まってしまった。

 なんて残酷なんだ。多分僕の生命線。この花が無くなったらどうなるかなんて聞いてない。僕はいない存在になるだろうか?


「あはは……」


 恐ろしい。死んだ気分だ。今まで何をしても折れない花を簡単に折ってしまって。人間は大粒の涙が出ても、恐怖が勝ると笑うようだ。実際に今の僕がそう。


「花を折ったことはもちろん悪い事だってわかってる! けどね、君が津島にするように、俺も君にそうしたいだけさ!」


 中也さんは訴えかけるように声を勢いよく、激しくそう言った。そしてお互いに落ち着くと、僕の豆だらけの手の傷を指でなぞった。


「君が津島を探し回る頃からずっと見てきた。大怪我をしても働いて、何かあれば頭を下げに行く。要はそれを達成できれば満足かもしれない。でも違うんだよ。要は要のためにもっと喜んでいいんだ」


 満足――満足、そうか、そうだ。一つ何かある度に解決していけば満足だった。それでしゅーさんが生きて笑ってくれるなら、歩みを止めようと思わなかった。自分が怪我をしても、彼の事ばかり考えて、放って置けなかった。

 でも、僕のためだったろうか。認められていく事に喜びは感じていたけれど、昭和に来てから、僕は自分自身のために生きていた事があるだろうか。しゅーさんが主軸の毎日で、自分のことは蔑ろにしていた気がする。


「だからね、この花の半分は俺がもらう。俺も理解しよう。要が少しでも嘘をつかなくていいような居場所になるから」

「嘘って……」

「そうさ」


 僕がついている嘘は一つだけ。今までよくバレないで来たもんだ、褒めてくれ。


「俺は要の、生出要の助けになろう」


 僕がしゅーさんに行った言葉を、そのままそっくり中也さんから貰った。僕を助けるとは、女性である事を見失わないように手を取って生きてくれる。ということだ。


 だから、ムラサキケマンの半分は中也さんにあげた。

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