26恥目 剥がさないで!

 あれから、しゅーさんは自首をした。警察の取り調べを受けて、政治活動からきっちり足を洗う事を約束したと、文治さんから連絡が来た。


「それでもまだ帰すことは出来ません。修治もちゃんと初めに戻って、やり直したいと言っています。要さん、待っていてくれますか?」


 受話器の向こう、文治さんは答えなんて聞かなくてもわかる事を聞いてくる。


「わかりました。あの、しゅーさん、虫歯だったので歯医者には連れて行ってくださいね。右の奥歯です」


 連絡は伝えておくべき事だけを伝え、特にそれ以外は話さない。しゅーさんに電話を変わるわけでもないし、僕らはあの日以降、全く顔を合わせる事はなかった。

 僕は退院して数ヶ月は小田原の司の家で静養し、その後五反田の家へ戻った。


 しゅーさんも同じ時期に、薬や気持ちのバランスを図る為、静岡にて静養していると聞いた。


 もう随分と良くなった体と心。あちこち怪我をしたのに、以前よりも強くなれた気がする。


 それから僕は学生達に聞いた話を頼りに、シンパ活動に参加していた頃に迷惑をかけたという人々をあたって頭を下げていた。

 無理矢理シンパ活動に参加させられそうになった人、シンパ活動中の騒動に巻き込まれて怪我をした人。いろんな人がいた。


中には飴屋に頻繁に来てくれる学生もいて、謝ると「なんだい、昔のことを」と笑って誤魔化し、何もなかったようにしてくれる。


「それよりあまくせさん。もう体は平気?」

「大丈夫! あとはしゅーさんの帰りを待つだけだよ」

「本当に丈夫な体だ。それで、津島はいつ来る?」


 帝大の仏文科の学生と話しながら歩き、通りかかった店の時計を見る。

 久々に会う友人の中原さんとの待ち合わせの時間を気にしたんだ。


「わかんない。けどいつまでも待ってるよ。約束したからね。あ、ごめん。これから中原さんと待ち合わせなんだ! また!」


 僕は駆け出して、学生に手を振った。下駄で走っても痛くない足は、前にも増して強くなった気がする。折れると丈夫になるっていうよね。


「待つって……もう12月だぞ」


 学生がぽつり。そう言って見上げた空からは、雪が降り始めていた。



 久々に会う中原さん。僕はドキドキしていた。


 時々、建物に映る自分の身なりに気を使ったりして、いつもは気にしない髪型もやけにいじりたくなる。

 半年、いや、もっと会っていないと思う。いつか別れた飴屋付近のバス停で待ち合わせ。何を話そうか、ワクワクしていた。もうその角曲がればバス停、という時だった。


「要!」


 道路を挟んで向こう側。手を振る中原さんの姿が見える。


「あ、あっ、中原さん!」


 熱と心拍数はドコドコと音を立てて上がる。少し大人になった中原さんの姿に溜息が出てしまう。黒いマントのようなコートを羽織り、首にマフラーを巻いている。


 ナンッテコッタイ。発狂しそうだ。まず顔がいい。走ってくる笑顔がいい。

 久々の声に思い出す、あの日の思い出。


――じゃあ頑張って、要。


 低くて色っぽい声で耳を溶かされたあの日を思い出すと、しんどい。

 胸がいっぱいで吐きそうだ。中原さんで頭も心もいっぱいになる。


 もう手を伸ばしたら体に触れられる距離になると、右手を両手で握られた。久々の再会を喜んでくれているようだけど、恥ずかしい。


「久々だ! 大怪我をしたって司から聞いたよ。その様子だと大丈夫そうだね」

「お、おかげさまでもう平気です。あの、えっと、久しぶりで、なんか、恥ずかしい、ですね……」


 いつも通り話せない。目を見れない。挙動不審で心臓が破裂してしまいそうだ。

 雪が降っているのに常夏のような熱さ、どうしてだろう。


「そうかな?」

「な、中原さんは違うかもしれないですけど」

「中也でいいよ、水臭いな」

「え、ええ、はい……僕、でも、なんか、むず痒くて」


 体中の毛穴が全部開くようなムズムズ感。

中原――いや、中也さんはそんな“私“を見てどう思ってるだろうか。


 変な子だって思われてないかな。しばらく会わない間にゴツくなったなって引かれてないかな。ああ、もっと顔とか仕草とか可愛ければ良かったのに。


 中也さんは一瞬、キョトンした。それから僕の手首を掴むと街の賑やかな方へ駆け出した。


「まあ、“デート“だからね」


 でえと。でえと……でえと!?

 ああ、困った。私は男の子なのに。男の子として生きているのに! いやいや、違う、一番はそんなんじゃなくて!


 今まで自分の中にいなかった、新しい自分が顔を出している。

 聞きづてならない単語に、まるでメデューサに睨まれたように体は石化したような気分だ。急いで石化を解かねば!


 僕は自分を取り戻そうと嘘偽りの性別を、本当かのように、わざと怒ったような口調で放った。


「デートって、あのね、僕は男ですってば!」

「へえ」


 中也さんはぴたり、立ち止まる。真顔で建物の白い壁にジリジリと追いやられる。もう行き場がない。そして、その時だ。

 所謂、平成で言う壁ドンとやらを僕にして来たのである!


「じゃあ女の子にしてしまえばいんだね?」


 私が知ってる中原中也と違う! きちんと思い出せないけど、司から聞いた話と違うのは確かだ。

 しかし、中也さんの運命が史実と異なっても、平成に伝わる「中原中也」には関わりがない。


 そして何がこの人を変えてるって、山口県民の中原中也ファンと豪語する司が、全てを中也さんに話してしまっている事。

 つまりこの中也さんは中也さんであって、私達が知る中也さんとは違う、全く別の中也さんと言うことになる。

 それがこんな、男前でセクシーで尚且つ積極的だなんて聞いてない!

僕はダジダジになりながら、顔を手で覆い隠した。


「勘弁してくださぃ」


 久々の再会に胸を躍らせたのは束の間。僕の虚勢はすぐ剥がされる。

 一難去ってまた一難である。

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