20恥目 あれからと、それからと、思い出
それからまた何日も経った夏の終わり。ヒマワリは下を向いてミイラ化し、ちらほら赤トンボを見るようになって来た。ススキはグンと背を高くして、月へ向かって伸びている。
その後、例の御家騒動があってからはバタバタした日々を過ごしていた。
まず金を使わせないためにシンパ活動を辞めさせた。怒られてしょげるしゅーさんを引き摺り、歩き回る日々が続いたのだ。
軽いんだか、重いんだか。好き勝手やっていたくせに、彼の体に触れると痩せ細っている。人の金を散々使ったんだから、体に良い物を買えばよかったのに。馬鹿。酒ばっか飲んで、この人は健康を全く気にしない人だ。
まあなんだって、金のほとんどはシンパ活動へのカンパに使い込み、彼等にいいように使われてるだけだった。活動の内容なんて僕は知らないが、教育上よくないので辞めさせる。メッ! と一括。
少しでも目を離すとロクでもない。おまけに借金まで作っていたんだから、僕はバカバカしくなって腹を抱えてゲラゲラ笑った。全然面白くないけど。
そして勝手に夫婦2人で引っ越した神田同朋町の住処から荷物を再度五反田へ移動。お帰りなさいませ、だ。
しゅーさんは「シンパ活動のアジトなんだ」と引越しを拒んだが、そんなことは関係はない。
拒める立場じゃないのに、いつまで図々しいのか。文治さんが青森からすっ飛んでくる事と、僕が口煩く隣にいるのはどっちがいいか聞いたら「お前」と即答するもんだから笑ってやった。
1番怖いのはやっぱりお兄さん。その次に多分、怒った初代さん……だろうか。
それから僕は夫婦をレストランへ行かせないために、出来るだけ家に居られるような生活を選んだ。バイトは出来る時に出来るだけ、飴屋と豆腐屋だけは続ける事にした。
初代さんにも雑貨や着衣もしょっちゅう買われては困るので、金は僕が完全に管理。
掃除や炊事も僕が全てやった。聞けば初代さんは家事があまり得意ではなくて、料理も出来ない。裁縫も不器用とは綺麗に言い過ぎているくらいだ。裁ち鋏を持つと様になるのは何故だろうか。不思議。毎日教えてもやる気がないのか空返事ばっかり。
ドタバタと走る日々から漸く解放された僕は、今までとは違う毎日を送るようになったのだ。料理を作るたびに司の事を思い出して、あの美味しくて温かいもてなしを受けたいと夢見ている。
久々に会いたいと思っても、鎌倉に行くお金がない。
そして思い出す、司に金を返していないことを。やべえ、しゅーさんのこと言えないわ。
それはさておき。僕のメニューったら、大体はこうだ。家にある野菜をぶっ込んだだけの汁だとか、大根の皮のお浸しだとか、豆腐屋の余りだったり、焼き魚だったり、エトセトラ。簡単に言うと質素で慎ましい食生活。
そんなんだから、初代さんはつまらなそうに食べるし、しゅーさんも同じ顔。
「お金がないのはわかるけど。たまにはレストランにだって行かないと息が詰まっちゃいそうよ」
「初代さんの着物やアクセサリーを売るならいいですよ? でも手放したくないんでしょ」
「んじゃあ、せめて洋食! 洋食作ってくれない? 吉次ちゃん家、一昨日はコロッケだったみたい!」
「よそは他所! うちはうち! 初代さんが材料買って来て作ってどうぞ!」
こんな会話が毎日。初代さんが「ケチ」と呟いて終わる。
食生活も切り詰めて借金や、これまでのツケの支払い、生活費や家賃を支払ってるんだ。働いているのは僕だけだし、文治さんが送ってくれる仕送りは完全に学費に当てていた。
余った分は、これからしゅーさんが文章を書く時に必要になったら使うお金として隠し貯めている。
もし有名になったらきっと新調する物はたくさんあるだろうから。一銭も無駄にできないのだ。
――そしてまた別なある日。時期はセミの泣き声も聞こえなくなって、深い秋の入り口へ立つ9月下旬。
しゅーさんの机周りを掃除していて見つけたものがあった。
「座標」と書かれた雑貨と「学生群」と書かれた作品。どちらも隠す様にあったが、勝手に拝借。さてはしゅーさんの作品が載っている!
雑誌をパラパラめくるが、それらしき名前がない。
「しゅーさん、これに載ったの?」
学校から帰宅したしゅーさんを見上げ、直接聞くとまた面倒くさそうにする。
「うらさい。いいから、閉まっとけ」
僕は負けじと部屋の中へズカズカ入って行く兄を追いかける。
「載ったんでしょ! 根拠はないけど、しゅーさんは天才だから乗ってると思うんだよなあ。どれ? ねえ、どれ?」
「相変わらずしつこいな。言うと怒られるから嫌だね。どうせお前もチクるだろ。俺の味方とかいいながら、反抗的だしな」
「良いことは言うよ! 雑誌に乗ったんだから、文治さん喜ぶと思うよ?」
「んなわけないだろ!」
しゅーさんがいつもより大きい声を出す。僕を煙たがる声。兄の表情は焦りの入った不安混じりだ。
「兄貴からの圧がすごくて辞めざるを得なかったんだ。どっちも未完! 満足かあまくせ!」
割と大きい声、しかも早口で話すのは珍しい。
どんな内容だったかと、ペンネームである「大藤熊太」だけを聞いて読んでみた。
僕には考えたこともないような訳の分からない。中身は多分、所謂、政治へ対する意見を言った物。
文治さんは政治に関わる仕事をしていると聞いたから、これは悪い影響が出ると踏んだのだろうか。気の毒と言えばそうだが、日頃の行いが招いた事。
「でも、自分の意見が言えて文章に出来るしゅーさん、すごいと思う!」
僕は肯定してあげたほうが良いと思って、しゅーさんのもさもさ頭を両手で掻き回した。うざがっているようにも、照れているようにも見えるが、嫌な気はないらしい。
「大丈夫、これから認めてくれる人が増えていくよ」
どんな事を書いて、どんなに自分の意見とは合わなくても。僕はしゅーさんの書いたものを全て大好きだと言える自信があった。
しゅーさんがペンを握るのを見るだけで胸が熱くなった。カリカリとペンが紙の上を走り、文章という魔法を使う彼の姿をずっと眺めた。
じんわり、鼻にツンとくる。熱い涙が出そうになる。
――良かった、これで救われる。
もうずっと先の未来を、僕は過去にしていた。平成の自分が何かに救われていたことを思い出せない。毎日何かを一つずつ忘れている気がする。前は思い出せた事も、思い出さなければ無い事と同じなんだから。忘れてしまった方がいいんだ。私はその方が生きやすい。
ああ、でもまだ一つ、思い出せる。
失うのが嫌だった、それだけ。何に対してかは、わからない。しゅーさんが文章を紡いでくれなければ、失う未来がある。
記憶というジグソーパズルのピースが少しづつ無くなっていく。けれど文章を読めば思い出せるような気もしていた。思い出したくないけれど、遠い先の僕は求めている。その時の僕の為に、今はペン先で原稿用紙に魔法かけていて欲しい。
「しゅーさん、僕ね」
「なんだ……え」
煩わしそうな返事。だけどすぐ驚いていた。
僕は急に、しゅーさんがうんと愛おしくなった。普段は控えめでおとなしい子供が、寂しさの限界で親を求めるように、後ろからそっと頼りない背中に顔をつけて手を回したのだから。
「僕はね、僕に会う前のしゅーさんも、しゅーさんの悲しいも嬉しいも、全部知りたいんだ」
骨はゴツゴツ、頼りない背中。
あっちを向いたまま「気色悪い」と、それだけ言われた。
ねえ、しゅーさん。あなたは平成の僕にとって特別だったのかな。僕は「思い出」を、あなたの"恥ずかしい"所も知りたいよ。
どうにか、なる。絶望するなって。僕のために、そう言ってよ。
その時、風はムラサキケマンを悪戯に揺らしていた。
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