10恥目 生きる責任

 骨は予定通りに焼かれた。田部さんは同行せずに、中畑さんが1人で行ったらしい。


 あの後、中畑さんと顔を合わせるのが気まづくて仕方がなかった。年上の男性に怒鳴り散らした事を後悔していたのだ。

 それでも中畑さんは、「一緒に宿に泊まりましょう」と声をかけてくれた。が、病院に無理を申し付けて、しゅーさんの病室に居座る許しを得てその通りにした。


 遅くなりつつも「しばらく帰れない」と、病院にある電話で帝大に居る先生に連絡した。先生の話だと、豆腐屋と飴屋のアルバイトは吉次が代わりに行ってくれているようだ。

 どうやら彼にもお金を稼ぐ理由が出来たらしい。なんだろう。爺さんも夫妻も理解してくれていると聞いて安心した。平成と違って人に恵まれているなと、じんわりと目頭が熱くなる。


「僕ら要さんに会えなくて寂しいので、帰るときは連絡くださいね。迎えに行けるところまでは行きますから」


 先生はそう言って電話は終わった。寂しいと言われるまでになったか。三鷹でドタキャンされたのが嘘のようだ。人の暖かさ、プライスレス。


 それでしゅーさんというと、まだ落ちつかない様子ではあった。だけど会話もしてくれるようになって、ご飯もいくらか食べられるようになっていった。よかった、きちんと回復してきている。

 罪を犯したと感じている彼に影はあった。だからこそ、体を治して、やる事はやらねばならない。その晩、僕としゅーさんの2人で病室に篭り、お喋りしていた。


「そういやさ、100円はまだ貯まってないんだけど、話してもいいのか?」

「何がだ?」

「話したかったら、100円持ってこいって言っただろ」

「そんな事言ったか?」


 100円の事は忘れているような言い方をしていたが、この人は絶対に覚えている。何故そう思うかと聞かれると、僕が手洗いに行こう椅子を立った時だ。


「どこに行くんだ」と、わかりやすくしょげる。

「尿意に襲われてるんだよ。膀胱が破裂寸前だ」と返す。

「そうか」と言って、早く行けと手を払う。


 僕はこのやり取りで考えたのだ。この人は今、僕しか味方が居ないのだと焦っている。そりゃそうか。自殺幇助の疑いをかけられて、お里の家族は呆れ返り、おまけに心中事件が新聞に取り上げられたとなれば、どんな人にでも縋りたくなる。

 僕に殴られたとしても、僕が味方で、助けてくれるなら、この手は放したくないはずだ。僕にとってもこの事件は始まりであって、きっかけになる。


 突然、太宰治のことを思い出した時、自然に助けに入ってもおかしくない距離。それを作らなければならない。

 しかし、助けるために近くに居たくても、赤の他人の僕じゃあどうにもならないが。とにかく今は、しゅーさんの味方であって、しゅーさんを正す人でいよう。


 先のことを考えるより、今この瞬間を生きるこの人を救わなければいけないのだから。



 *


「要さん! 要さん! 起きてけろ!」


 なんだか朝から騒がしい。慌てふためいた中畑さんが豪快に体を揺する。椅子に座りながら眠っていた僕は飛び起きた。飛んで、椅子から落ちた。床に尻餅をついたのに痛がる暇もなく、マシンガンで言葉を放つ中畑さんが炸裂する。


「田部ぐんが遺骨ばぐれどへるがきや、渡したきや居のぐなてまて、あちこち探したんじゃが、見つ痒いきやんきゃえんじゃ! 警察さ渡すなて、言われたばて渡してまねかきや……」


 怒涛の津軽弁。何を言っているんだか、さっぱりわからん。


「なんて?」


 思わず聞き返した。


「だから! 田部ぐんが遺骨ばぐれどへるがきや、渡したきや居のぐなてまて、あちこち探したんじゃが、見つ痒いきやんきゃえんじゃ!」

「だぁ、かぁ、らぁ! なんて!?」

「だ、か、ら!」


 中畑さんも焦り狂っているから冷静じゃない。僕は寝起きにマシンガンな津軽弁に冷静じゃない。何度聞いても呪文である。おまけに早口。平成で聞いた津軽弁の方がまだわかりそうだ。


 宮城生まれの平成育ち。津軽生まれの昭和育ち。分かり合えないにもほどがある。


「あまくせ」


 これだけ騒げばしゅーさんだって、嫌でも目が覚めるだろう。声のする方へ振り向くと、彼はベットから起き上がっていた。


「田部くんが遺骨をくれと言うから渡したら居なくなってしまって、あちこち探したが見つけらない……と」


 マズイ。津軽弁を通訳してくれた寝起きのしゅーさんの顔には、そう書いてある。田部さんが遺骨を持って居なくなった。帰ったのではないか、と思ったがそんな空気ではない。


「全然そんな風には聞こえなかったけど! 本当ですか!?」

「んだ! 探してぐれ!」


 中畑さんはバタバタと病室から出て行ってしまった。風にとばされそうなやせ細った体と精神病を患っている。そして先日妻を亡くした田部さん。

 中畑さんが焦るのは、田部さんが後を追って自殺するのではないかと考えたからだ。警察は遺骨を渡したら自殺してしまうかもしれないと思ったから、渡すなと言ったのだろう。


 田部さんは今、悲しみのどん底にいる。人は悲しくなって、どうしようもなくなったら「死」を考える。ああ、こうしちゃいられない、僕も行かないと!


「あまくせ」

「しゅーさんはまだ体調が悪いから、待っててくれ。僕も探しに行ってくる」

「……」


 しゅーさんは俯いていた。もしも田部さんが自殺を考えていて、もしも死んでしまったら。しゅーさんはもっと深い闇に落ちてしまうのだろうか。そうなれば、この人もまた自殺を考えるんだろうか。俯く彼を見て悩んだ。置いていくか、僕も此処に残るか。どちらが助けになる? 最善はどれだ?


「俺は、どうしたらいい」

 

 絞り出すような声。涙でも溢れそうな目。この人は責任を感じている。だったら、どうせ苦しいなら、お節介を選ぼう。


「殴られる覚悟はあるかい?」


 お節介なら、田部さんを見つけた後そうしてもらえばいい。しゅーさんは昨日殴られた頰を撫でた。一度、目をキツく瞑った。彼なりによく考えたんだろう。


 本当にそれで良いのか迷っていた。それでもこの人は、不安な心を何とかして隠そうと引きつった笑顔を作った。しかし、そこからのもう一踏ん張りが足りない。


「大丈夫、僕がいるだろ」


 周りが怒るような勝手な事をしても、僕は味方をやめない。その一言でベットから降りてくれた。


「行こう!」


 しゅーさんの左手を引いて、病院を飛び出し外に駆け出した。僕よりも大きい手だっていうのに、情けなくてビクビクしている。

 それは、自分の犯してしまった罪を理解しているから。だからどれだけ弱々しく走っていても、僕の手を強く握るのだ。声に出さなくても聞こえる、どうしようもない「助けて」なのだ、と。


 さて、田部さんの行方がわからない。もう外は大騒ぎになっていた。


 警察、消防団、青年団――皆、山に海にあちこち探し回っている。特に山を重点的に探していたので、僕らは別の場所を聞いて走り回った。


「居たかー!」

「どこに行った!」

「田部さん!」


 付近一帯から田部さんを探す声が聞こえてくる。僕も目一杯叫んだ。捜索は昼を過ぎ、空がオレンジ色の夕暮れになるまで続けられた。僕らももちろん見つけられずに、ただ闇雲に走り回るだけだ。


「はぁ、はぁ」

「しゅーさん、大丈夫か?」


 ずっと走っていて、しゅーさんは胸を押さえ過呼吸寸前になっていた。その場で立ち止まると、背中をさすり、吸って吐いてを繰り返しさせた。


「大丈夫、大丈夫だよ。立ってるのが辛いなら、僕にもたれてもいいんだよ。背中に乗るかい?」


 小さくだが首を振った。何回か深呼吸した後、咳払い。そして僕の右手を握った。


「引っ張ってくれ」

「うん」


 彼は体がぼろぼろになっても歩くのを選んだ。 体調を考えて、ゆっくり海岸線を歩いていく。もう夕方だ。山の方で、もしかしたら田部さんは見つかっただろうか。しゅーさんに問いかけてみたが、返事はない。


 気がつくと、心中現場に近づいていた。僕はしゅーさんをチラりと見たが、立ち止まる様子はなく、僕が行く方に着いて行くと言わんばかりの顔だった。


 ――そして岬の前を通りかかる時。


「ここじゃない、か」

「え」


 しゅーさんは岬の方を指差している。それこそ、心中現場だ。たしかにここは探していない。でも大丈夫だろうか。しゅーさんに行く勇気はあるんだろうか。今度こそ過呼吸になって具合が悪くなってしまったら。心中現場に行けるかと口には出せず、しゅーさんを見つめた。


「あまくせ、引っ張ってくれ」


 しゅーさんは殴られる準備をしている。手を引いて、足場の悪い岬を進んで行った。岩場に出ると、やけに細い人影が、箱を抱いて泣いている。それは田部さんだった。


「田部さん、探しましたよ」

「うぅ、うぅあ……」


 声をかけると、なお一層泣き出した。しゅーさんは視界に入っているんだろうが、責めることも殴りにかかって来ることもない。


「しゅーさん、言わなきゃ」

「……」

「ちゃんと言わなきゃ、ダメ」

「……」


 怯える子供みたいに背中にべったりくっつく彼を、肘で突いた。ごめんなさいでは済まないことでも、言わなきゃいけないことがある。それをしゅーさんはまだ口にしていない。

 何度も躊躇っていたが、しゅーさんは徐々に泣く声が大きくなる田部さんを見てたまらなくなったんだろう。岩場に膝をついて頭を下げた。


「すいません、でした。殴ってください」


 しゅーさんが一言。しかし田部さんは――「いいえ」と、身体を横に振る。「すいませんでした」「ごめんなさい」、しゅーさんが何度それを言っても、田部さんは同じようにした。それで何度目だったか。


 田部さんはシメ子さんが亡くなった場所にうずくまり叫び出したのだ。


「僕が、僕が駄目でした! 僕が駄目だったのです、ごめんなさい、ごめんなさい! シメ子、悪かった、すまなかった、ごめんよ」


 ――シメ子さんへの懺悔。


 幾度叫んでも、彼女からの返事はない。僕らはそれを見てる事しか出来なかった。この場所にも、警察や中畑さんらが駆けつけて、田部さんは病院へと連れて行かれた。


 僕としゅーさんは、あまりにも綺麗な水平線に浮かぶ夕日に照らされる。


「これでよかったのか」

「わからない。だけど」


 しゅーさんもまた、岩場に座ったまま静かに泣いている。


「頑張ったね」


 田部さんが何故、ああ言っていたのかはわからない。しかし、なんとなくわかったのは、しゅーさんだけが悪かったわけではない。という事だ。

 

 史実ではどうだったか。それはわからないが、しゅーさんが田部さんに謝った。もちろん罪が軽くなるとは思っていない。 

 それだけだったとしても、今はしゅーさんを褒めていいんじゃないだろうか。だから僕はそう言って、彼に手を差し伸べたのだ。


 しゅーさんは僕の手を握り、立ち上がった。手を引いて病院まで帰る道。

 彼は相変わらず小さい子供みたいにぐずぐずと鼻をすすりながら泣いて、僕に手を引かれていた。


 *


 次の日。


 朝早く病院を退院し、しゅーさんは警察から取り調べを受けていた。そこには田部さんも同席していた。しゅーさんの自殺の理由は、やっぱり金が回らなくなった事からだった。シメ子さんが務めていたカフェに通ったが、いろいろと出費があって、溜まっていたツケの支払いができなくなった。


 溜まったツケはシメ子さんがお店に支払わなければいけないシステムで、もともと金に困っていた彼女も同じくどん底にいたと言うわけか。彼女の自殺の動機は推測でしかなかったが、田部さんは自分のせいですと言うばかりであった。

 田部さんはもともと役者を目指して、東京に来たという。しかし役者にはなかなかなれず、就職も出来ず、所持金も無くなってついに神経衰弱になってしまったようだ。

 それで妻であるシメ子さんが、生活費のためにカフェで働き始めた。


 田部さんはきっと自分が役者や就職先が決まって、彼女に苦労をさせなければ、こんなことが無かったと思っているんだろう。おまけに精神が安定していないので、尚更自分を責めることしか出来ない。


 自分がしっかりしていたら、男としてシメ子さんと向き合っていたら。しゅーさんと心中なんかしなかった、と考えるしか出来ないんだろう。

 シメ子さんが最期に叫んだ名前は、田部さんだったとしゅーさんが伝えると、もう渡す場所がない愛がドバッと涙になって溢れたらしい。


 ツケが支払えなかったしゅーさんは、もうダメだと、思い詰めて死のうとした。シメ子さんもまた、死ぬ直前までは金に困って死んでもいいと思っていたのかもしれない。

 同じカルモチンの量を飲んでも死ななかったしゅーさんは、やはり耐性がついていて死ねなかったということで、自殺の手助けをしたことにはならなかった。


 中畑さんはこの後、刑事さんに立会人になってもらって、田部さんとは今後一切無関係という念書と津軽のお兄さんから預かってきた金を出して終わりにしたようだった。

 この事件はの解決は縁にある。検事さんが津島家の遠縁、刑事さんは津島家と同じ村の出身。この2人がいなければ、どう転んでいたかわからないと中畑さんは言っていた。


 とにかく自殺幇助の疑いはなくなったのだ。これで一件落着といったように見えるが、終わってはいない。罪で問われる事がなくなったとしても、シメ子さんが亡くなった責任は、少なからずしゅーさんにもある。


 そんな彼を僕はずっと留置所の外で待っていた。すると留置所から彼はトボトボと僕の方に、下を向きながら歩いて来る。僕より10歩くらい離れた所で立ち止まり、顔を上げて「あまくせ」と暗い顔で呼んだ。


「ん?」と首を傾げて返す。


「次はどうしたらいい?」

「次って?」

「お前は未来から来たんだろう。なら俺は次、どうしたらいいんだ」

「あー……信じてくれちゃうんだ」


 しゅーさんにとっての未来。僕はこの先の出来事を思い出せない。まだ必要ではないから、思い出せないんだろうか。しかし一つだけ、シメ子さん関連で成さなければならないことはわかる。


「シメ子さんを忘れない、ことだなぁ」


 人は死んだ時に死ぬのではない。死んで、忘れられたら死んでしまうのだ。どこかで誰かが言っていた言葉だ。忘れなければ、生きている。そんな生きている人のためのまやかしでも、今はそれくらいがベストだろう。


「忘れない、か」


 漠然とした答えに空を見上げて、どうやってと言いたげにしている。


「しゅーさんにはそんなに難しい事じゃないさ。忘れないようにする方法を知ってるだろ?」

「毎日思う、とかか? そのくらいしかないね」


 言葉と記憶で忘れないようにして生きていく。それも大切だ。しかし津島修治という男は、のちの「太宰治」すなわち、文豪と呼ばれる人間になる男である。


「しゅーさんは文章があるだろ」


 僕がシメ子さんを知っているのは、太宰治がそれを文章にして書き残したからだ。それが彼女の生きた証を残す証明になっている。しゅーさんは「ああ」と言って、顔にシワを作って笑った。


 何度間違えても、僕は君の味方だから。太宰治を救うのが僕の使命なら、全うしてみせるさ。不思議だね。平成に帰ることよりも、この人を守っていたいと思えたんだ。

 

 この人の笑顔のために過去を進んでいくなら、悪くない。味方というのは、笑顔を守る人のことである。

 

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