#10 未来への可能性

 東宮総司が語った事象に、白夜は何か言うわけでもなくじっと押し黙っていた。


 呪いを解く――東宮総司が提示した報酬は白夜にとって喉から手が出るほど欲したいものだった。


 しかし同時に『そんなものを実現できるのか』という疑問もある。例え"スイレン"であろうとも、そこまで実現することは可能であろうか。


 けれど"呪いを解くことができる"部分にだけは少し奇妙な感覚ではあるが、確かな信ぴょう性があった。白夜はアパートを出る前のことを思い出していた。


『主が死んだ』


 突然目の前に現れたベージュ色の短髪をたなびかせた少女、火孁ひるめの言葉。その主というのはあざなのことを示している。


 彼女が白夜に知らせたかったのは単純なあざなの訃報ではない。白夜は拳をぎゅっと握りしめた。


 宿星の五人カルディアンの知られざる"六人目"が白夜であるならば、"七人目"は字であるのだ。それがどういうことかというと、彼女も白夜と同じように呪いにかかったということ。


 字に罹った呪い――それは"不死"。白夜の"短命"とは対を成す呪いだ。いやらしいところは"不老不死"ではなく"不死"である点だろう。――老いに老い、肉が腐り落ちて骨だけになろうとも"不死"は続く。字がかかった"不死"という名の呪いは、文字通り"生き地獄"への片道切符だったのだ。


 しかしその"呪い"をあざなは断ち切った。やってのけた。その事実はまるで白夜の背中を押しているようだった。


 『つまらなくなったね』――突然帰ってきた火孁が白夜に告げた言葉。それは当然ながら白夜を蔑むための言葉ではない。


 字の訃報は"呪い"からの解放を意味していた。それは白夜にとっての生存手段となり得る唯一の道である。


 白夜が腐った原因が"短命"の呪い。そこから逃がれるために吊るされた一本の蜘蛛の糸。それを用意したのは字で、垂らしたのは火孁。目の前に垂らされた蜘蛛の糸へ見向きをしなかったのが、白夜だった。


 お膳立ては充分すぎるほどされていた。二年目に差し伸べられた手も、その一つであった。そして白夜はことごとくそれらを無視し、腐敗し堕落した。


 それがどれだけダサい行為なのか、白夜は理解だけで済まさずようやく自覚する。このままでは絶望に肩まで浸かり、自己と悲劇に酔いしれる知ったかぶりの子供だ。


 未来を切り開ける可能性はある。置き去りにしてしまった"可能性"もあるが、幸いなことに今目の前に新たな"可能性"が再び現れた。


 この短き命、このまま腐らせるよりも、未知の未来のために賭けてみても悪くないだろう。



 答えは決まった。



「やります。その呪術師を狙う依頼、やらせてください」


 白夜は総司を真っすぐ見て、はっきりとした口調でそう告げる。


 字が示してくれた道。八方塞がりでどうにもならないと思っていた未来が、急に明かりを灯し始めた。何となくだけれど、これが最後のチャンスだと思った。


 だから今回ばかりはあの時のように、差し伸べされた手を払い目をつぶりたくはない。


 白夜の返答を聞いた総司は優しく微笑むと、今まで立ちっぱなしだったために雪音の隣に座った。


「そう言って貰えて良かった。君が断るとなれば、雪音一人にやらせることになってたからね」


「……何?」


 安心したようにそう語る総司に、思わず白夜が反応する。不信に思った総司が白夜を見つめ返した。


 白夜はそのまま総司へ言葉をかけようとするも、それよりも先に雪音が立ち上がる。


「すみません。ちょっと外しますね」


 白夜に目でお辞儀をして、雪音は総司の前の隙間を通ってテーブル席から離れ、店の奥へと消えていった。恐らくお手洗いか何かだろうと、白夜は気にせず視線を総司に戻す。


 いや、むしろ彼女がいないこの状況の方が良いのかもしれない。そんな風に思いながら、白夜は総司へ言う。


「俺がいなきゃ、あいつ一人にやらせる予定だったってのは言葉通りの意味でいいのか?」


「……ああ、そのつもりだったよ。呪術師、金剛寺結弦を雪音に任せるつもりだった。まあもうその必要もないだろう」


 落ち着いた様子で総司は返答した。その想像通りだった回答に白夜は苛立ちを露わにする。


 総司は白夜が呪術師の襲撃依頼を拒否した場合、雪音一人にそれをやらせるつもりだったらしい。いくらなんでも、それは"無謀"というほかない。


 白夜は総司を睨みつけ、声を荒げて言った。


「アンタ、"あの"金剛寺に自分の娘をぶつけようなんてどうかしてんぞ!? まだ雪音は俺とほとんど変わらないガキだぞ……!」


 総司は"スイレン"という大きな組織の最高幹部であるのだから、自らが扱える情報の網も大きいはずだ。それなら呪術師・金剛寺結弦の情報も目にしているはず。


 ――金剛寺結弦、奴は並大抵の異能力者ミュートではない。二年前の時点で、白夜は異能力者ミュートとしてそれ程の使い手にはなっていた。それは行動を共にしていたあざな火孁ひるめに仕込まれていたからだ。


 つまり、当時でもそこそこ強かった白夜よりも、火孁ひるめは強かった。それにも関わらず、火孁ひるめは金剛寺結弦に手も足もでないまま


 今にも瞼の裏にこびりついている。左腕を契られ、自らの血液溜まりの上で仰向きに倒れる彼女の凄惨な姿が。


 そんな彼の戦闘力や危険性を"スイレン"が把握できていないハズがない。つまるところ、総司はそれを分かっていて雪音を送り込むつもりだったということだ。


 白夜はそのまま続ける。


「俺はどうせ"短命"の呪いで長くない……。だから無駄死にするつもりはないが、金剛寺相手に死ぬ覚悟で突っ込める。けど雪音は違う……! 俺にはない未来があるし、何よりアンタの娘だ……! いくら雪音の姉長女のためだからって、雪音が死んだら元も子もねぇだろ!」


 白夜は金剛寺の脅威を直接目撃して知っていたし、火孁ひるめが死にかけた時は自分の不甲斐なさと無力さで吐いた。白夜にとって、あざな火孁ひるめは家族も同然だった。だから火孁ひるめ失いそうになって、家族が亡うことに対する恐怖と痛みを知っている。


 知っているから、総司の無謀な考えを理解できなかったし、同調もできず反発してしまった。


「……」


「あっ……」


 そんな白夜の熱を冷やしたのは、総司の白夜を見つめる冷静な視線だった。それに当てられ、白夜は一旦消沈する。


「……すみませんでした。今日会ったばかりなのに、こんなことを言って……」


 白夜が介入した問題については雪音たち、東宮家の問題であった。今日会ったばかりの白夜が首を突っ込んで良いようなことではなかったはずだ。


 総司の視線で冷静になった白夜は素直に謝罪し、頭を下げる。


 総司は少しだけ黙って白夜を見つめた後、息を一つこぼした。それからゆっくりと口を開く。


「君が言うことも分からなくはない。一理ある。ただ確かに、初対面の私たちにそれを説くのはいささか非常識だね」


 さとすように穏やかな喋り。ただそれはいやに淡々としていて、白夜はある種のプレッシャーを感じていた。


「しかしそれは私たちも同じだ。君と私は初対面。あれこれと評するのは非常識だが、これだけは言っておこう」


 総司は瞳を閉じる。そして。


雪音私の娘をナメるなよ陌間白夜。今日知った程度の見解で娘を計るんじゃねえ」


 鋭い瞳で、今度は総司が白夜を睨みつけた。その表情と声色が示すのは、自分の娘に対する信頼と期待、そして誇りだった。白夜はそれに思わず面食らう。


 総司は雪音のことをよく見て、よく知っていた。白夜が知らない努力も挫折も、総司は知っている。だからこそ、信頼と誇りを総司は雪音に預けているのだ。


「すみません……。今戻りました」


 気がつくと、雪音が戻ってきた。それを見た総司は入れ替わるように立ち上がる。


「そうか。じゃ、ここに金剛寺のデータをまとめた資料を置いていくよ。私は仕事があるからね。……白夜君」


 総司は白夜を見下ろす。その瞳はさっきまでの鋭いものとは打って変わって、とても暖かいものだった。


「"陌間白夜"が君で良かったよ」

「……」


 そう言って総司は小さく笑った。それだけ残すと、彼は喫茶店を出ていった。白夜は少し唇を緩ませる。


 彼と入れ替わるかたちで雪音はテーブルにつき、腰を下ろした。そしてどこか様子がおかしい白夜に、首をかしげる。


「どうしましたか? 父とどんな話を?」


「……いや」


 白夜は初めて目の前のコーヒーカップに手を伸ばした。一口含んで、苦みを舌の上に踊らせる。


 娘への誇りを見せた上で、"陌間白夜"が君で良かった――そんな事を言われたら、期待に応えるしかないじゃないか。


「なんてこともない、自慢話をされただけだよ」


「……? はあ、そうですか……?」


 よく分からない、といった表情をする雪音。白夜は薄く笑ったのだった。


 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る