第675話 シアとゼウ③
シアの拳が石畳を粉砕し、広間に轟音を鳴り響いた。
土煙が舞い上がり、戦闘中だった十英獣たちは絶望の表情を浮かべている。
土煙が落ち着き、ゆっくりと背中を丸めたシアと、その前で大の字になって地に伏すゼウの姿が現れた。
シアはもちろん、ゼウもピクリとも動かない。
ズンッ
ガタッ
槌が先だったのか、ホバが膝から崩れ落ちる。
「そ、そんな……。何故、こんなことに」
戦意を喪失し、涙が頬から止めなく流れる。
ほかの十英獣たちも同じようだ。
「すみません。本当にこんなことに」
聖獣帝フイが持っているスタッフの行き場を失い、カタカタと震えている。
仲間たち全員の命を犠牲にしてもゼウを優先してすべきだった後悔する。
絶望する十英獣にルバンカは攻撃することもなく、静かにガルムを見た。
『ほっほっほ、ようやくシアは真の獣人になったの』
ご機嫌にニマニマするガルムの表情だけがこの場で浮いていた。
全体重を込め、拳を打ち付けたために屈んでいたシアは、体を起こした。
『そうだな。夢から覚めねばならないな。ガルムの魅せる胸糞悪い夢からな』
『なんじゃと、誰に向かっ…』
まさかの自らを信仰する獣人に呼び捨てにガルムが反応するが、最後まで言い切る前にもう1人、反応する者がいる。
『し、シア?』
頭を潰され死んだと思われるゼウが目の前のシアを見て疑問に思っているようだ。
「ゼウ様!?」
ホバがあまりの衝撃にルバンカを背に、ゼウの元に駆け寄った。
ゼウは既に自らのスキル「獣帝化」の効果によって、体は既に完全に完治している。
シアが自らの止めを刺さなかったことに戸惑い横たわっている。
シアは寸前で思いとどまり、ゼウの顔面側の床石にスキルをぶつけ、ゼウを殺すことはなかった。
『目に見えるものだけが全てではないか。なるほど、ヴェス様のお陰か……』
シアは天を仰ぎ、目を瞑り、風神ヴェスが言った言葉が何の意味があったと理解できた。
『ほう、ヴェスに何やら、吹き込まれたようじゃの』
『いいや、吹き込んだのは貴様だ。ガルムよ、下らぬ憎しみを余に持たせておいて』
『……少し、見せる夢の内容が足りなかったかの』
シアとルバンカは獣神クウガと風神ヴェスとの試練のおり、夢を通して過去に起きたことを動画で再生するように見させられた。
映画館のように途中退場も許されず、途中退場もなく、ただただ2人に起きた凄惨な出来事を見るに至った。
『そうでもないさ。だが、ゼウ兄様と憎悪を共感させるなら、あの夢しかあるまい』
『そこまで分かっていたか』
「ゼウ様、何の話でしょう」
膝をつきうな垂れるシアの横でホバがゼウを起き上がらせる。
『……余が見ていたのはそういうことか』
『返事が随分早かった。ゼウ兄様、お陰で命拾いをしましたね』
ゼウは自らに起きたことと、シアが気付いたことも理解する。
シアは、ゼウが自らの選択によってミアが死ぬことになったことを試練の中で見てきたのだろうと理解する。
母のミアが武器を集めたが、シアの獣王位が厳しそうであれば、邪神教のために集めた武器で内乱を起こす手立てであったことも、ゼウは前々から知っていた。
その話は妃のレナとも共有していた。
そこにきての、シアからの訓練のための王城から出かける日程を耳にする。
この状況で、レナは恐らく、ミアを叩くには今しかないと進言したのだろう。
獣王に密告し、その功績で獣王に成る可能性を少しでも挙げるべきだ。
それは、アルバハル獣王国のためにもなると。
シアのいない状況なら獣王親衛隊を動員するよう獣王に進言しすぐに片がつく。
逆に何もしないなら、獣王になる道も遠のき、さらにアルバハル獣王国に大きな火種を残すことになる。
そんな葛藤の日々をゼウは試練の夜に悪夢を見させられていたようだ。
シアは戦いの前の自らの問いに即答したゼウの表情に全てを理解する。
『余の決断だ。余が獣王陛下に報告をした。どんな確認をしてもらってもかまわぬ』
『だが、迷いが時間を経過させ、余が母の死に立ち会えた。いや、余が戻ってこなければ助かったかもしれぬな。ゼウ兄様はいつも決断が遅い』
内乱は何時間もせずに鎮圧した。
訓練に長い日程を組んだのにタイミングが良すぎるとシアは睨んでいた。
『返す言葉もない。獣王陛下はミア様を愛しておいでであった』
シアの母を討伐すれことに抵抗があったが、獣王は討伐ではなく捕縛を選んでくれた。
『ふん、助かった命だ。余計なことを言っていると、気が変わるやもしれぬ』
獣王の思いなど知ったことではないとシアは言う。
『なんじゃ、つまらんのう。お前たちにはがっかりじゃ』
全てを理解したシアにガルムが退屈そうに頬杖をついている。
『ゼウ兄様にも同じ夢を見せ余の手に賭ける算段か。趣味が悪い』
シアがゼウからガルムへと向きを変える。
『ほう? 戦いを止め、憎悪を洗い流すと? 儂が魅せたのはシアよ。そなたの願望よ』
『そうだ。たしかにゼウ兄様を憎んでいた。それで言うなら拳を振るう父上も、自らの夢を余に押し付けてくる母上もな』
『だったら、何故じゃ?』
『だが、そんなものは余の一面にすぎぬということだ。愛憎全てが余のものよ』
『ふん……』
ガルムは納得しないようだ。
『納得はどうであれ試練は達成したぞ。次は貴方との戦いでよろしいか? そういう話であったはずだ』
『ん? なんじゃ、もう一度言うてくれ。聞き間違いじゃないかの? 試練を放棄して戦うのを止めた癖に……』
『見ておいでだと思っていたが、違ったか。余はゼウを圧倒的な力でねじ伏せ、戦意を喪失させ、戦いを放棄させた。これがゼウを倒したではなく何だと言うのか』
『え、いや。それはシアがあまりにも余に憎悪を向けるから……』
ゼウがたまらず声を上げると、先ほどのように厳しい視線で睨みつけて黙らせる。
シアにとって今が交渉のしどころだ。
邪魔が入るわけにはいかない。
『ほう、儂は「倒せ」とは言ったが、「殺せ」とは言っておらぬ。言葉遊びじゃな』
『だが、一度出した試練は覆すのは理に反しよう。余はガルムの力が必要。従順な愛玩動物が欲しいわけではなかろう』
『もうよい。分かったわ。言葉の使い方のなっておらぬ子らに教育するのは儂の務めか』
ここにきてようやく重い腰を浮かした獣神ガルムに、後ろでシアの交渉を見ていたゼウと十英獣が固唾を飲んでいる。
『……このまま始められても困る。我ら「皆」のクールタイムを戻してもらってもよろしいか。必死で戦ったので皆、スキルや魔法を使い過ぎた』
『なんじゃ。呆れたの、まあ良い。おぬしら程度でそこまで長い試練になるとは思えぬ……ん? 「皆」じゃと!?』
シアがあまりにも自然に言うものだから、ガルムは自分の言った言葉に疑問をもってしまった。
『そのとおり皆よ。ここにいる全員が余の配下となったのだ。回復せぬと使えぬからな』
なるべく早くクールタイムを回復するよう催促する。
『ふっ。やはりこうなったか。シアとは息が合うな』
シアの言葉にルバンカに鼻で笑う。
この1ヵ月近くになる試練はシアとルバンカの息が合うには十分な時間であった。
ルバンカはシアの思考を読み、十英獣たちを殺すことはしなかった。
『そういうことです。ゼウ兄様、十英獣の皆に、余と共にガルムの試練を受けるよう説得を』
『え? 今から、わ、分かったわ。そう、睨むな』
殺意を込めて睨まれたため、シアを背後にし、ゼウは十英獣と向き合う。
「おいおい、まじかよ。さっきからついていけないんだけど」
「お前は黙っておれ! 我らの矛を振るう相手は誰であれ、ゼウ様の決めた者でございます」
ホバはレペを黙らせ、一瞬迷いを見せたゼウの背中を押す。
『ホバよ。……皆も聞いてくれ。余は今日ほど理不尽な試練をガルム様より与えられたことはない。牙無き獅子であれと獣王陛下より学んだことも一度もない』
さらに、ゼウは十英獣に語り掛ける。
『余はシアと共にガルム様と戦おう。聞いていたとおり、獣人たちの心の拠り所に反する行動やもしれぬ。無事では済まないだろう。反対する者は階段から降りてくれ』
ゼウの実直で真面目で分け隔てなく優しい性格を、何年も共に行動をした十英獣の皆はよく理解していた。
獣人を思い、これまでの戦いでも、誰1人欠けることなく戦えたことも、ゼウの優しさによることが大きい。
今回の試練でも、ここまで無事乗り越えてきたのだが、ゼウはこれから危険なに試練に臨むと言う。
それはシアのため、そして、傷つけられた自らの尊厳のためだが、参加は自由だと言う。
ゼウは階段に向かって手を指し示す。
だが、誰1人としてこの場を離れようとする者はいなかった。
シアとの過去の葛藤を1ヵ月近くに渡って悪夢を見させられたゼウは皆に選択を迫る。
「我らの命、この一戦に捧げましょうぞ!」
占めくくるようにホバは胸を叩き、ゼウの問いへの返答とした。
「この場にいる全員が試練を望んでいる。補助をかけなおしたい。クールタイムの解除を」
獣帝化を解除したシアが改めてガルムに催促する。
『まあよい。……後悔しても遅いからの。ほれ、解除したぞ。ゼウも試練に参加するなら、当然、シア及びゼウ2人がこの神殿で体得した神技全てを儂にぶつけてくるのじゃ。当然、1つの連携の中での話じゃよ』
【獣神ガルムの試練達成の条件】
・シアとゼウが体得した神技をそれぞれ2つ発動させること
・神技の発動は一連のコンボの中で行うこと
・シアもゼウも10連コンボ後、20連コンボ後に神技がそれぞれ1つずつ発動できる
「分かりました……」
尾しか使わないと言うガルム相手にどれだけの戦いになるのか、ゼウは改めて挑戦する相手の前で身が竦む思いだ。
ゼウが了承すると、ガルムが尾をゆっくりと上部に起こした。
チンパンジーにしては長い2メートルほどの尾に神力を込めると光り輝き始める。
横殴りに尾を振るったら、水滴のように光り輝く神力はシアたちに降りかけられる。
パアッ
シアたちはクールタイムがもう一度解除された。
十英獣のレペやフイが補助を振りまき、攻撃力、素早さ、耐久力などを上げていく。
今度はシアとルバンカもステータスの上昇を感じる。
ここにはステータスを表示するものは何もないが、効果は3つとも1・3倍に上昇するようだ。
『獣帝化!』
『獣帝化!』
シアとゼウが声を合わせるように、スキル「獣帝化」を発動する。
「む!? なんだ、これまで以上の力を感じるぞ!!」
今度はホバがステータスの上昇を感じる。
スキル「獣帝化」はスキルレベルが上昇する程、周りにいる獣人の力を上昇させる。
訓練の時間の長かったシアの方がベクよりもスキルレベルが高かった。
『我も機を見て、獣の爪を発動させようぞ』
ダメージを食らわないといけない効果の良い特技「獣の血」を発動させる必要がある。
『ぐるるるる!!』
『ぐるるるる!!』
ゼウとシア、2体の獣帝化(フルビーストモード)になった獅子と虎がガルムに牙をむく。
まるで、大小2体の獣が1つになったかのような錯覚を覚えるほどの一体感を皆は感じているようだ。
『ほほほ、かかってくるのじゃ。双頭の哀れな獣たちよ。そして、絶望を味わうが良い』
ガルムの目は漆黒の絶望に染まっていた。
獣神ガルムとの最後の試練が始まろうとしているのであった。
あとがき
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