第663話 シアの夢②

 母親のミア妃は幼少期のシアに対して、すぐにでも配下の兵たちを集めよと言う。

 幼少期のシアの様子を背後で見つめる中、ルバンカの声が漏れる。


『なかなか強烈な母親だな』


『そう見えたか。こんなのぬるいほうよ』


 2人の姿は見えず、言葉は聞こえることもなく、目の前では会話が進んでいく。


「もちろんです。今日は何でもベク兄様の獣王武術大会参加を祝した晩餐会が催されております!」


 母の教育の賜物なのかシアがハキハキと報告する。


「なんと! やはりベクは大会に参加するのですか。そのまま命を……」


「……」


 ルドが無言の圧を与え発言を止めさせる。

 獣王太子に死ねば良いなどあまりにも行き過ぎた発言だ。


「分かっております。そう、睨まないでください。ですが、ベクの牙城を崩す良い機会です。シアを頼みましたよ」


「は!」


 シアはようやくこの部屋から出て行けると思って、一瞬、顔がほぐれそうになる。

 だが、緊張感をもって、もう一度獣王族の末裔として礼儀よく頭を下げ、ミアの私室を後にした。


「シア様、これから晩餐会への参加は大丈夫ですか?」


 今日は鑑定の儀、ムザ獣王への謁見、ミアへの報告でルドがシアへの疲れを心配しているようだ。


「無論だ。問題ない」


 切り詰めた表情のシアが、ベクが開く晩餐会へと向かう。


 日が沈み、王城を月明かりが照らす中、王侯貴族たちががやがやと騒いでいた。

 5歳にしてはかなり夜更かしのシアは眠気を押して晩餐会の会場に足を運んだ。


「シア様、任命は慎重に。我らの私設兵は多くても100名程度です」


「ひゃく? それは少ないのか?」


「かなり少ないです。獣王親衛隊3000名の脅威になる数の兵は獣王子殿下たちであっても持てませぬゆえに」


 獣王太子となったベクでさえ、現在の私設兵の数は1000人に満たないと言う。


 会場に向かうため、廊下を歩きながらルドが私設兵について軽く説明をしてくれる。

 獣王が兵長格の配下を世話役に命じたことをきっかけに、獣王子たちは私設兵を持つことになる。

 だが、兵を持つ数には制限があり、立場や実績などによっても変わってくる。


 シアは今日、ルド将軍を配下に付けただけで実績が何もないため、兵の数は持てて100人程度が一般的であると言う。


「優秀な配下を選ばねばならぬな!」


 シアが理解したと大きな声で返事したところで晩餐会の会場の前に到着した。


「これはシア殿下、どうぞお入りください」


「うむ!」


 やる気に満ち溢れたシアがやってきたため、騎士たちが晩餐会の広間の扉を大きく開けた。


 目の前に飛び込んでくるのは、会場中央に置かれた巨大なAランクの魔獣キングアルバヘロンの頭だ。

 ベクは私設兵の力も借りずに、たった1人でAランクの魔獣を狩ったことで獣王武術大会への参加が許された。

 大会参加を祝して、ベクが手に入れたキングアルバヘロンの肉が王侯貴族たちに振舞われる。


 ベクが18歳、ゼウが15歳、シアが5歳の時の話だと懐かしく思うが、画面の切り替わりを見つめるシアにとって、明るい気持ちにはなれなかった。


 入って手前でゼウが王侯貴族たちと話をしている。

 十数人に囲まれたゼウは小さなシアが視界に入らないようだ。


 広間の中央では大きな人だかりには頭が1つ大きなベクの顔が見える。

 どうやら、王城の貴族たちが、ねぎらいの言葉を言いに集まっているようだ。


「ややや、これは素晴らしい魔獣でございますな。うちの愚息も少しは役に立てたかな?」


「それはもう、お陰でどれだけ助けられたか」


「本当でございますか! では、兵長などに是非……」


「もう、父上、私が兵長などなれるわけないですよ。誉め言葉に本気にしないでください!」


 とある貴族がベクに息子を私設兵に入隊させたようだ。

 しっかり働いたか問われたベクは優しい笑顔で応対している。

 次期獣王とも呼び声高いベクの私設兵に入ったのなら、それからどれだけ武勲を上げて、高い役職に就けるのかで貴族の立場も決まる。


『このころのベク兄様はお優しかったな……』


『ほう……』


 ベクが夢に出てきてくれて熱いものを感じる。


「儂の息子はどうだったかね。剣獣豪の才能があったのだ……」

「いや、我の息子をぜひ入隊させてくれ。確か、枠はまだあると聞いておりますぞ!」

「その前に、是非武器や防具の提供は我が領の物を! 大会のため、アダマンタイトの最高の物を用意させましょうぞ!!」


 貴族たちの人だかりがヒートアップしてきた。


「ちょっと、皆、何度も言っているけど、一度に話しかけると……。ベク様、シア様がおいでですよ!!」


 困惑するベクの横にいるイケメンの犬の獣人がシアに気付く。


「む? シアか」


「すみませんが、シア様がお見えです。少しよろしいかな」


 犬の獣人でベク獣王太子私設兵の隊長を務めるケイが、人だかりに下がるように言う。


 シアとベクを囲むように集まってきた人だかり側になって2人を囲んだ。


「すまぬな、ケイよ」


「いえいえ、ルド様。シア様の私設兵長への任命おめでとうございます」


 気を効かせて人だかりに距離を取らせてくれたことにルドが礼を言うとケイは、ルドの就任に賛辞を送って涼やかに返した。


「それでどうしたんだい。シア。体に良くないから、そろそろ休まないといけないよ」


 膝をついて話しかけるがそれでも、2メートルを超えた身長だ。

 ベクがシアよりも視線が高くなってしまう。

 子供のシアの身を優しく案じてくれたようだ。


「シアは配下を探しにやってきました!!」


 シアは目的をベクに伝える。


「ああ、そうか。そうだね、誰かシアの下で働きたい者はいるかな。獣王武術大会優勝者のルドがいるのだ。きっと、心強いと思うよ」


 ベクは立ち上がり、集まる人だかりに向かって声を響かせた。


「む……」


 ルドに疑問符が出たのは、これまであれほど騒ぎ立てていた貴族たちが静まりかえってしまったからだ。

 まるで、授業で当てられたくない生徒のように視線をシアから避け俯いてしまう。


「もう、皆、流石にそれはないよ。たしか、君のところはまだ才能のあるご子息が……」


「……い、いえ。そのようなお話はしておりません」


 さっきと打って変わって貴族たちは消極的だ。

 一歩また一歩とシアとベクから距離を取る者もいる。


「さすがによその国から嫁いできた妃の娘に大事な倅を出す親など……」

「馬鹿! 聞こえるぞ」

「だが、聞いたか。シア様は獣王位継承権がないらしいぞ」


 困惑する貴族たちの小さなざわめきは全てシアに対して否定的なものであった。


「困ったな」


「本当でございますな。これほどとは……」


 何か方法がないかとベクが試案し始めた。

 ルドもこれほどの状況になるなんて予想していなかったようだ。


「もうよい……」


 シアが俯き小さく呟いた。


「え? シア?」


「お前らなど、決して余の配下になどしれやらぬわ! 後悔しても遅いぞ!! ルドよ! 気分が悪い。帰るぞ!!」


 囲んだ貴族たちの輪を切り裂くように走り抜けていく。

 ルドが慌てて後を追った。


 自らのベッドに潜り、部屋の外に「気にしないように」というルドの言葉を聞かないようにした。


『ルドは冒険者の出だからな。貴族たちの考えなど分かるはずもないか』


 あの時は随分ルドを心配させてしまったなとシアは呟いた。


 そこから画面が映像となって一気に変わり、何日か過ぎたミアの私室にシアとルドは呼び出されていた。


「聞きましたよ。獣王に仕える貴族たちに大変失礼なことを言ったそうですね……」


 この王城にはミア妃の目となり耳となり動くものはとても少ない。

 どこから聞きつけたのか、何日かが過ぎ、ようやく妃の耳にも晩餐会でのシアの言動が耳に入ったようだ。

 正座させられたシアの前に鬼のような形相のミアが立っている。


「いえ、やる気のない者が兵になっても……」


「言い訳はよしなさい! 自分のしたことが分かっているのか!! そのような態度で獣王になれると思ってか!!」


 腸が煮えくりかえっているのか実の5歳の娘に母は罵声を浴びせる。

 シアはどうすべきか分からず、震えてしまう。


「シア様、冒険者ギルドで傭兵を募集しましょう。気概の有る冒険者を我は何人か知っております故に」


 昔取った杵柄で、冒険者に顔が効くとルドはシアに助け舟を送る。

 ルドは冒険者の出だが、獣王武術大会の優勝をきっかけに王城へと入った。


「いいえ、権力なくして獣王にはなれぬ。良き配下とは血筋も必要よ。シアよ」


「はい」


「あの時参加してきた方々皆に頭を下げに行ってきなさい」


「え? ぜ、全員でございましょうか?」


 あの場には数百人とも千にも達する王侯貴族やその子らがいた。

 現実的な話でないことは幼少期のシアでも重々解かり絶句する。


「当然でしょう。一人ひとりしっかり、自らの野心と展望を語り、説き伏せてくるのですよ」


「一度断った者たちに……」


「何だその言い方は! 私の命が聞けぬのか!!」


「うわぁ!?」


「そ、ミア様!!」


 シアが反抗的な態度を示したことがミアの怒りを爆発させた。

 5歳になるシアの頭の髪を鷲掴みにし、そのまま髪の毛だけで自分の視線まで持ち上げる。


 髪が何本も引きちぎれる様子に思わず、ルドも声を上げ立ち上がった。

 怒りが沸き上がったのはミアだけではなかった。


「痛いだろ! その手を離せ!!」


 シアは目の前に現れたミアの手首に堪らないと大きく口を上げ、噛みついた。

 犬歯が肉に食い込み、ポタポタと血が滴り始める。


 ルドも女中長ニルも、仕える騎士たちも絶句する中、ミアだけはどれだけ嬉しいのか喜びを爆発させた。


「よし、それでこそ私の子だ! だが、その程度の力で獣王の地位を食らいつけると思うなよ!! もっと力を入れぬか!! 食いちぎれ!!」


 自らの手首を噛まれても痛みはないのか、もっとやれと言う。

 ミアの手首に食らいつくシアを称賛し始め、ゲラゲラと狂気を浮かべ笑い始めた。


『これが母と子か……。ん?』


 ルバンカが身震いすると、廊下からカツカツとこちらに向かってくる足音が聞こえる。


 コンコン


 女中長のニルが扉を警戒するように少し開け、外でごそごそと話した後、ミアに向かって振り返った。


「む? 何奴!!」


 シアをとりあえず絨毯に降ろしたミアが警戒しながら扉へ視線を移した。


「ミア様、獣王陛下がお呼びです」


 扉を挟み、女中長ニルと相対する役人が立っているのをシアはホッとしながら見る。


「まあ、獣王陛下が!!」


 ミアの顔がパアッと一気に明るくなる。


「シア様も来るようにと」


 ニルは引き続きシアにも声をかける。


「余もか」


 どうやら今、行われている謁見の間に来るように言われ、急いで身を小綺麗に整え、母子揃ってルドを従えて謁見の間に向かったのであった。

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