第26話 鳥天狗の掟
騒動が一先ずの落着を見た後、ボロボロになった神社は紫苑があっという間に綺麗に直してしまった。
相変わらず紫苑の力がどんなもので、どういう存在なのかわからないが、本人曰く
「この程度だったら直せるのよ」
ということらしい。
後からわかったことだが、あの場所には元々結界が張ってあり、修復作業は然程大変ではなかったのだという。
(その結界が、深影の張ったものだったんだ)
神社に入る前、確かに誰かの結界を感じた。
鳥居をくぐった瞬間に消えてしまったと感じたあれは、消えたのではなく気配を消しただけだったのだ。
巌が深影の気配を追ってあの神社に辿り着いたのも、勘違いではなかったのである。
(それに巌の言う通り、僕と深影の気は確かに似ている。だって、兄弟だったんだから)
睦樹が、いや、蒼羽がそれを知ったのは、あの火事の夜だった。
それまで蒼羽にとって深影は『特別で大好きな友達』だったのだ。
隠れ家にある睦樹の部屋の縁側は、暖かな陽が降りそそぎ爽やかな風が緩く流れる。
庭に咲く花は里山では見たことがないが、小振りでとても可愛らしい。
(あれを見せたら深影は、きっと喜ぶだろうな)
などと思いながら、睦樹は取り戻した名に紐付いていた失くした記憶を反芻し始めた。
〇●〇●〇
生れた時から長子として育てられていた蒼羽は、物心がついた頃には自らが鳥天狗の長を継ぐのだと信じて疑わなかった。
周囲の者たちも、従兄の巌も、皆が蒼羽にそういう接し方をしていたからだ。
こと巌は、蒼羽の美しい黒い羽と能力の高さを大層褒めた。
「お前の黒羽は一族の誰よりも美しい。お前こそが誇り高き鳥天狗の長を継ぐべき者だ」
幼いながらに、自分の力がそれ程高いものだとは思っていなかったが、誰しもがそうして蒼羽を褒めることに、心を良くしていたのは確かだ。嬉しかったし誇らしかった。
深影と初めて出会ったのは、蒼羽が里山の散歩をしていた時だ。
常に誰かが傍に居ることに息が詰まって、こっそりと里を抜け出した。
出てはいけない、と言われると行ってみたくなるのが、幼心である。
一族の里を少し離れただけで、感じたことのない開放感と沢山の発見があった。
里山の中には鳥天狗以外にも多くの生き物や植物がいて、蒼羽は彼らと話すのがとても好きだった。
「おはよう、白詰草」
偶然見つけたお気に入りの場所には、白詰草が咲いていた。
『おはよう、蒼羽。また里を抜け出してきちゃったの?』
くすくすと笑う白詰草に、人差し指を口元に立てて「しーっ」とする。
笑いあう背中にふと影が落ちて、蒼羽はびくりと振り返った。
「あ……君は……」
目の前の青年は蒼羽以上に驚いた顔をして、こちらを見下ろしていた。
真っ白な髪と陽を吸ってきらめく真っ白な羽。
「凄く綺麗」
何かを考えるより早く、するりと口から零れた言葉に、目の前の彼は後退る足を止めた。
『おはよう、深影。今日は、いつもより早いのね』
白詰草が目の前の青年に挨拶するのを聞いて、蒼羽は彼に駆け寄った。
「君、深影って言うの? 僕は蒼羽だ。ねぇ、友達になってよ!」
幼く多感だった蒼羽は、一族以外の友達が欲しかった。
この時の言葉は、里山の兎やムササビ、白詰草や檳榔樹に声を掛けたのと変わらない気持ちだった。
「でも、僕は……」
顔を逸らしてしまった彼の手に、何かの草が握られているのを蒼羽が見つけた。
「誰か、体調でも悪いの?」
握られていたのは薬草だ。
深影は戸惑いながら小さな声で返事した。
「うん、ちょっと、知り合いが、お腹が、痛いみたいで」
「だったらこの辺りに、もっと良く効く草があるよ。ね? 白詰草」
白詰草は、ふふっと笑う。
『そうね、深影もきっと、それを取りに来たのよね』
気まずそうに頷く深影の手を握る。
びくり、とした手が蒼羽から逃げそうになったが、
「それなら、僕も手伝うよ! 行こう!」
蒼羽の真っ直ぐな瞳を見ていた深影が、その手をそっと握り返した。
「ありがとう。それじゃぁ、手伝ってくれる?」
困ったように笑った顔はとても可愛らしくて、どうしてか心の奥がこそばゆくなった。
それからは、白詰草の所に行けば必ず深影に会えた。
初めて会った時の戸惑いが嘘のように、深影の方から蒼羽を待っていてくれるのだ。
「深影、お待たせ!」
蒼羽の姿を見付けると、とても嬉しそうに笑って手を振る。
「蒼羽! こっち、こっち」
わくわくを隠し切れない顔で手招きし隣に座らせると、木々の隙間から見える向こうの山を指さす。
山裾にかかった朝靄と、辺りを包む白んじた空気の向こうから、ゆっくりと朝陽が昇り、白い山が金色の衣を纏うように染まっていく。
「今の季節の朝早くにしか見られないんだ。実は前からずっと、蒼羽と一緒にこの景色を見たいと思っていたんだよ」
微笑みかけてくれる深影が嬉しくて、蒼羽は白く湿った空気に滲む金色に目を細めながら笑みを返した。
「まるで深影の白い羽と髪みたいだ。凄く綺麗で、大好きだ」
すると深影は少しだけ困った笑みをして、目を逸らしてしまった。
「蒼羽、僕はね……」
「知ってるよ」
思いも寄らない返事に、深影が逸らした目を戻す。
「深影が鳥天狗だってことは、最初に会った時に気が付いた。でも、それより綺麗って感動の方が大きかったから。僕は深影が大好きだし、同じ鳥天狗で嬉しい」
華奢な手を握った蒼羽の小さな手を握り返し、深影は蒼羽を抱き締めた。
「蒼羽……」
少しだけ泣いているように聞こえた声の理由は、見当が付いていた。
何故、深影が一族の里で暮らすことなく、一人で生きているのかも。
けれど、もっと大切な深影の秘密には、まだ気が付いていなかった。
鳥天狗一族の象徴は黒羽。
白い羽は凶兆の印、一族存続のため忌み子として間引く。
それは蒼羽が生れるよりずっとずっと昔から変わらない一族の掟だ。
久遠の昔から引き継がれてきた一族の肝ともいえるこの掟を覆したのは他でもない、現在の長、蒼羽の父親だった。
『白い羽が生れるも自然の摂理。抗う方が不自然な行為だ。黒い羽も白い羽も鳥天狗である』
父の提言に驚くことなく、むしろすんなりと受け入れられたのは、蒼羽が既に深影に出会っていたせいかもしれない。
黒い羽しかいなかった里に白い羽が混じり始める。と言っても、深影のように真っ白い羽の者はほぼ無く、黒い羽に少しの白い羽が混じっている程度のものだ。
それも数としては一割にも満たない程度である。
「汚い羽だ」
「斑な白黒は力が弱い」
「災いの元だ」
古参の鳥天狗は白の混じる羽の者を忌み嫌った。
鳥天狗の衰退や絶滅を危惧する声も多く挙がり、やがて一部の者たちは彼らを『忌み羽』と呼ぶようになった。
その先頭に立っていたのが、蒼羽の従兄である巌であった。
長の弟の子である巌は黒羽だ。
元々個体の小さな種である鳥天狗の中では体格もよく、羽も厚い。妖力も強く賢くて、蒼羽は巌から多くのことを学んで育った。
兄のような存在であった巌とすれ違いが生じてしまったのは、この時からだった。
「蒼羽、お前は黒羽であり長の息子、一族を継ぐ者だ。この異端な掟を廃止し、元に戻すべきだ」
「僕は父様の決断を間違っていると思わない。羽の色なんか関係ない。鳥天狗に生まれたら皆、鳥天狗だ」
意見は平行線のまま、巌とは話すことも会う機会も減っていった。
だから気が付かなかった。
巌が水面下で進めていた、あの恐ろしい企てに。
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