第38話

 翌日から、エーリヒは魔石を小分けにして納品してくれた。

 その際にさりげなく、クロエの体調が悪くて心配だと、馴染みのギルド員のロジェに打ち明けている。

 依頼を達成できないと、せっかく上げたギルドでの評価も下がってしまう。

 ロジェはそれを心配してくれたようだが、エーリヒは、たとえそうなってもクロエの身体の方が大切だから、無理に作らせることはしない。

 そう言ってくれたようだ。

「それで、大丈夫だった?」

 外に出ることはできないので、朝から料理ばかりしていたクロエは、エーリヒのために夕食の配膳をしながらそう尋ねる。

「ああ。納品する魔石の量が多かったから、ロジェは前から心配してくれていたようだよ」

「……そうだったの」

 それを聞いて、何だか申し訳なくなる。

 クロエは、結婚のために必死に頑張っている健気な女性に見えていたようだ。

 だが実際は無理どころか、あれでもかなりセーブした状態である。

 本当に『魔女』の魔力は規格外らしい。

 自分で制御できるようになるまで、力を封じたのは正しかったと改めて思う。

「このまま徐々に魔力が減ったことにすれば、それで大丈夫かな?」

 気になるのは、何かとクロエに絡んでくるサージェというギルド員だ。

 魔導師でもある彼は、同じ移民であるクロエを気に掛けている。

 それだけなら良い人だと思えるが、とにかく人の話を聞かず、クロエが嫌がっていることにも気が付かずに、善意を押し付ける。

 さらにその善意も、移民すべてに向けられるものではなく、自分の気に入った相手にだけのようだ。

 他の移民に、この国出身のギルド員よりも厳しいと聞いて、クロエは呆れていた。

 好ましい要素などひとつもない相手だが、なぜかクロエに執着して、その相棒であるエーリヒを敵視している。

 エーリヒを、いきなり魔法で攻撃してきたこともあった。

 今のクロエにとっては、もう二度と会うこともないだろう元婚約者よりも、嫌いな相手だ。

「クロエは何も心配しないで、ここにいればいい。対応は俺に任せて」

「でも……」

 ギルド員という立場を利用して、エーリヒに無理難題を押し付けるのではないかと心配になった。

「ロジェも心配してくれているみたいだし、明日は一緒に行くわ。違約金の話は、直接聞きたいから」

「……そうか」

 心配そうな顔をしていたが、エーリヒは、クロエが決めたことには反対しない。

 気持ちを話せば、ちゃんとわかってくれる。

 クロエの意志を優先させてくれる。

 この国で、そんな人と巡り合えるのがどれほど貴重なことか、クロエはもうよく知っている。

「例の貴族からの、養女にしたいという話の返事を聞かせてほしいと言われるかもしれない」

「それはさすがに伝言で断るわけにはいかないから、ちゃんと伝えるわ。体調を崩してしまって魔力が減ってしまった。もう魔石が作れないと言えば、向こうだってもう興味をなくすと思う」

 むしろ、スラムの教会で見かけた貴族の女性の話だと、エーリヒの方が危険な気がする。

 あの女性は、エーリヒが王女のお気に入りの騎士だと知っていた。

 ひとりで行きたいところだが、さすがにそれは許してくれないだろう。

 だから、ふたりでギルドに行くつもりだ

(貴族の令嬢が、冒険者ギルドに来ることはないだろうから、大丈夫だとは思うけど……)

 ゆっくりと夕食をすませ、その日は早めに休んだ。

 翌日になってから、規定の数には少し足りない魔石を持って、エーリヒと一緒に家を出る。

「あ、そうだ。その前に……」

 同じ魔導師ならば、クロエの魔力が弱まっていないことがわかってしまうかもしれない。もともとそれなりの魔力に見えるように調整していたが、さらにそれを弱めた。

「これで大丈夫かな?」

 もともと自分にかけていた魔法なので、魔女の力を解放しなくとも、これくらいはできる。

 魔力を弱めたことを報告すると、エーリヒはクロエの身体に影響はないか、心配してくれた。

「うん。私自身には何の影響もないよ」

「そうか。じゃあ、行こうか」

 身体が弱っているという設定なのだからと、急に抱き上げられて慌てる。

「まさか、このまま行くの?」

「もちろん。魔力が弱まるということは、それだけのことだから。疑われないためにも、こうしないと」

「……うぅ」

 恥ずかしいが、疑われるのも嫌だ。

「嫌なら、顔を隠せばいい。さあ、行こうか」

 エーリヒはクロエを抱えたまま歩き出した。慌ててローブのフードを深く被って、顔を隠す。

(たしかに、これなら見えないけど……)

 それでも、恥ずかしさは消えない。

「ごめんね。重くない?」

「全然。これでも、鍛えているからね」

「……そうだったね」

 優美な外見をしているが、それでも彼は元騎士だ。クロエひとりを抱きかかえるくらい、何でもないのだろう。

 ゆっくりと、揺らさないように歩いてくれる。

 まるで壊れやすいガラス細工のように大切に運ばれて、胸が熱くなるような、何だか泣きたくなるような、自分でもどうしたらいいのかわからない気持ちになる。

「クロエ、ついたよ」

 そう言われて、はっと我に返る。

「うん。エーリヒ、ありがとう」

 下して、と言ったら、わざわざギルド内に設置してある椅子に座らせてくれた。

「魔石を、納品しないと」

 顔を隠したまま、弱々しい声でそう言うと、受付から心配そうな声が聞こえた。

「クロエか? 体調が悪いらしいが、大丈夫か?」

 ロジェの声だ。

 エーリヒはサージェがいる魔法ギルドではなく、冒険者ギルドに連れてきてくれたようだ。

 たしかに受けた依頼は、どちらで納品しても構わないことになっている。

 クロエもこちらの方が、都合がよかった。

 心配してくれた彼に礼を言って、クロエは魔石を取り出す。

「ごめんなさい。これしか作れなくて。もう依頼は期限切れになってしまうので、違約金を……」

「……ああ、そうだね。うーん、足りない魔石はあと少しだから、違約金は報酬から支払えると思うけれど、そうするかい?」

「はい。お願いします」

 報酬が減るのは当然だし、依頼を果たせなかった場合、一定期間、同じような依頼は受けられなくなると説明された。

「はい。構いません。しばらくは、魔石も作れないかと」

「そうだね。もう少しだったのに……。でも今は、ゆっくり休んだ方がいいよ」

 ロジェはクロエとエーリヒが何を目指して頑張ってきたのか知っているだけに、残念そうな顔をしてくれた。

「この間のお話も、残念ですがお断りさせていただきます。この状態では、お望み通りの働きはできないと思いますので」

「……ああ、そうだね。そう伝えておくよ」

 あっさり承諾してくれたことに、ほっとする。

 やはり貴族の養女にという話も、魔石が作れることが前提だったのだろう。

 こうして無事に最後の魔石を納品し、他の依頼もキャンセルした。

 サージェにも会わずにすんだ。

 貴族の養女に、という話もきちんと断って、これで大丈夫だと安心していた。

 それなのに、もう帰ろうという頃になって、運悪くサージェが冒険者ギルドの方にやってきてしまった。

 そこでクロエが依頼をキャンセルしたこと。

 体調を崩していることを知ってしまったらしい。

「納品する魔石の量が多いと、心配していたんだ」

 そんなことは今までひとことも口にしたことはないくせに、そう言ってエーリヒに詰め寄った。

「魔導師なら、自分の魔力量はわかっているはず。魔力が減ってしまうことを、何よりも恐れている魔導師が、自分で加減を間違うはずがない。やはり君が、無理やり作らせていたのだろう?」

 どんなにクロエが違うと声を上げても、まったく聞き入れてくれない。彼の思い込みの深さは、もう妄想の域に達しているようだ。

「いい加減に……」

「クロエ」

 激高しそうなクロエを、エーリヒは押しとどめる。

「体調を崩しているのだから、今日はおとなしくしていないと駄目だ」

 そう囁かれて、平手打ちをしたことを思い出す。

 この人はもう、自分がはっきり断らないと、わからないのではないか。

 そう思っていたけれど、貴族との面会を断るほど具合が悪いという設定である。たしかにエーリヒの言う通りに、ここはおとなしくしていなければならない。

 だから、黙ってエーリヒの背後に隠れていた。


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