第22話
クロエは、目の前にある掲示板を眺めていた。
コルクボードのようなものが貼られた壁には、たくさんの依頼書が貼られている。
中には色褪せて、文字が読み取れないものもあった。受けてくれる者がいないまま、それでも貼り続けているところに、依頼主の執念を感じる。
興味はあったが、残念ながら日に焼けて文字が読み取れない。
これを貼り続ける意味はあるのだろうか。
(……ないわね)
気を取り直して、比較的新しい依頼書に目を通す。
(薬草採取とか、本当にゲームみたいね。初心者向けのクエストって感じだわ)
魔石制作の依頼もあり、なかなか金額が良かったので、今度受けてみようかと思う。
その後も、色んな依頼書に目を通していた。
「……」
ようやく背後が静かになったので、クロエは振り向いた。
あれから気を取り直してギルドの建物に入ったが、またすぐに屈強な男達に絡まれてしまった。やはり実力主義の世界なので、エーリヒのような優美な外見は目立つし絡まれやすい。
最初は彼も、相手にしていなかった。
だが先ほどと同じく、男達がクロエに目を付けた途端に豹変し、力技で黙らせること、数回。
心配していたクロエも、エーリヒは強いから大丈夫だと判断し、こうして依頼書を見て時間を潰していた。
「エーリヒ?」
心配ないだろうとは思っていた。
けれど彼の周囲に転がる男達の多さに、思わず声を上げた。
「だ、大丈夫? 怪我していない?」
せいぜい二、三人くらいだろうと思っていたのに、エーリヒの周辺には十人くらいの男達が転がっていた。
いくら何でも、ひとり相手にひどすぎる。
そう憤って彼の元に駆け寄ると、腕を引いて抱き寄せられた。
「へ?」
いきなりの抱擁に、我ながら間抜けな声が出てしまう。
「他にクロエに手を出したい奴はいるか? 何人でも相手になるぞ」
威圧するような低い声。
今まで見たこともない冷酷な視線に、息を呑む。
(エーリヒ?)
クロエの前では見せたことのない顔だ。騎士団に所属していた頃、彼が氷の騎士と呼ばれていたことを思い出す。
思わず彼の腕に手を添えると、エーリヒは途端に、にこりと笑った。
「ごめん、待たせたね。何か良い依頼はあった?」
「……う、うん。魔石の依頼とか」
「いいね。登録したら受けてみようか」
エーリヒは周囲の惨事などまったく顧みず、クロエの手を取ったままギルドの受付に向かう。
受付には、中年の男性がいた。
床に転がる男達を見ても、驚いた様子も見せないところから考えると、ここではよくあることなのか。
ここは可愛いギルド嬢だろう、とひそかに思ったクロエだったが、この治安の悪さだ。
女の子には、危険すぎる職場かもしれない。
「ああ、見ない顔だと思ったら新人だったのか。初日にいきなり絡まれるのは不運だったが、あんた強いな」
新規加入の手続きをしてくれた中年のギルド員が、感心したように言う。
「あれだけの人数を素手で叩きのめすとは。それに、多人数との戦いに慣れているな」
「ああ。元騎士だからな」
あっさりと白状したエーリヒの言葉に周囲がざわつく。
(え、大丈夫なの?)
クロエのことだと慎重なのに、自分のことにはあまりにも無頓着な彼の様子に心配になる。
自分のことなど誰も気にしない。
どうでもよいと思っているようだが、あの何重にも掛けられた魔法を考えると、王女はかなりエーリヒに執着している。
「元騎士だって? じゃあ、あんたはやっぱり貴族か?」
エーリヒの目立つ銀色の髪を見つめながら、男がそう問いかける。
銀髪はこの国の貴族にもいるが、どちらかといえば北方の国に多いらしい。冒険者ギルドに所属しようとしていたのだから、北国の人間だと思われていたのだろう。
「いや、ただの庶子だ。それに、クロエと生きるためにすべてを捨ててきた」
「ふぁっ?」
急に引き合いに出されて慌てるクロエの耳元で、エーリヒが彼女にだけ聞こえる声で呟く。
「……という設定で」
自分達はどうやら、元騎士と移民の女性の駆け落ちという設定らしい。
だからエーリヒは、クロエに手を出そうとした男達をすべて叩きのめしたのだろう。
身分や地位を捨てるほど愛した女性を守るのは、当然のことだ。
(わかったわ。設定ね!)
演技なら任せて、とクロエは自分を抱きしめるエーリヒの腕に手を添えて、愛しそうに彼を見上げて微笑んでみせた。
完璧な笑顔だと思っていたのに、なぜかエーリヒは視線を逸らしてしまう。
(あれ、駄目だった?)
白い肌が薄紅色に染まっているので、自分で言い出しておいて恥ずかしくなったのかもしれない。
「まぁ、ギルドで名を挙げれば、移民でも国籍を与えられる。そうなったら結婚も可能だから、頑張れよ」
中年のギルド員はそう言って励ましてくれた。
そう。目指しているのはその国籍なのだから、頑張って功績を残さなくてはならない。
「ありがとう。ふたりの未来のために頑張るわ」
沈黙してしまったエーリヒに代わりにそう言うと、彼は無言のままクロエの手を引いて受付から立ち去る。
「エーリヒ?」
「次は隣にある魔法ギルドに行こう。クロエもギルド登録をしなくては」
「そうね」
どうやら立ち直ったようで、普段の彼に戻っていた。でも、手を放してくれない。むしろさっきよりも抱き寄せられている。
「えっと、もう少し離れてくれないと歩きにくいよ?」
「……魔法ギルドは女性が多い。だから、傍にいてほしい」
彼は女性が苦手だったことを思い出して、納得する。
「何となく手順はわかったし、ひとりでも……」
「いや、クロエの登録が終わったらパートナー登録をするから、俺も行く必要がある」
「そっか。じゃあ、一緒に行かなくちゃね」
エーリヒがここで男達から守ってくれたように、今度は自分が守らなくては、と決意する。
「今度は私が守ってあげる。だから大丈夫だよ」
手を差し出すと、ぎゅっと握られる。
そのまま手を繋いで、隣の建物に向かった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます