第14話

 気持ちを切り替えて、せっかく手に入ったのだからと味噌汁を作ってみることにした。だし入りの味噌だったので手間も掛からない。

(ああ、これこれ。やっぱり最高ね)

 ひさしぶりの味に、ちょっぴり感動する。

 米も手に入ったことだし、今度は和食を作ってみるのもいいかもしれない。他にも欲しい食材はたくさんあるが、安易に願ったりせず、地道に自分で探そう。

(そのほうが、きっと楽しいよね)

 完全に日本食である味噌汁がエーリヒの口に合うか心配したが、問題はないようだ。

「クロエの手料理が食べられるなんて思わなかった。ありがとう」

 嬉しそうに言われてしまうと、簡単な料理だっただけに、少し照れくさい。

(まぁ、たしかに普通の侯爵令嬢は料理しないからね)

 クロエの記憶だけなら、絶対にできなかったことだ。

「料理には興味があったの。これからもいろいろ作ってみるからね」

「うん。楽しみにしている」

 自分のために料理をするのも好きだが、こうして一緒に食べてくれる人がいるのはしあわせなことかもしれない。

 朝食が終わったあと、今日の予定を話し合う。

「今日は町に、水晶を買いに行こうと思う。クロエはどうする?」

 魔石を作るための水晶だ。

「私も行ってみたい。一緒に行っても大丈夫?」

 まだゆっくりと町を歩いてみたことがない。水晶が売っている店も見てみたいし、食材などもいろいろ探してみたい。

 でも、迷惑をかけてしまうならおとなしくしているつもりだった。

 日常生活が楽しくて、つい忘れそうになってしまうが、今は逃亡中の身だ。

「ああ。その姿なら問題ない」

 でもエーリヒがそう言ってくれたので、ふたりで出かけることにした。

 それでもなるべく姿を隠すようにローブを羽織ってから、町に繰り出す。

(わぁ、すごい人……)

 さすがに王都は、人で溢れていた。

 とくに商店街がある大通りは、歩くのも大変なくらいだ。

 買い物に出てきた住人に、流れの商人。

 旅人に、冒険者の姿もある。

 小柄なクロエは人混みに流されそうになり、慌ててエーリヒに近寄る。

(ああ、懐かしいこの感じ。通勤ラッシュを思い出すなぁ)

 人波に揉まれる感覚を懐かしく思っていると、エーリヒが手を差し出した。

「はぐれると大変だ。手を繋ごう」

「えっ」

 一瞬躊躇うが、たしかにこの人混みの中ではぐれてしまったら、探すのが大変だろう。ほとんど出歩いていないクロエは自分の家もわからない。

 そっと、エーリヒの手を握る。

「うん。ありがとう……」

 クロエが男性に慣れていない侯爵令嬢だったこともあり、こうして手を繋ぐだけで少し緊張してしまう。

「今さら何を。同じベッドで眠っている仲なのに」

「だから、そういうこといわないで! それにあのベッドを経験したら、他のものじゃ満足できないから」

 それに逃亡中のせいか、ひとりだと不安になる。

 クロエの記憶はだいぶ薄れているが、それでも父や婚約者だったキリフに追い詰められて、震えながら目を覚ますこともある。

 そんなときに隣にエーリヒがいると、ひどく安心するのだ。

(でも……)

 思えば前世でも趣味に全力だったせいで、恋はあまり経験してしなかった。

(恋はもう少し後でも大丈夫だから、今は好きなことを全力で楽しもう。そう思っていたのよね)

 原因はわからないが、その後の記憶がないことを考えると、恋を楽しむ暇もなく早死にしてしまったのだろう。それを思うと、手を繋ぐだけで緊張してしまう自分が少しかわいそうになる。

 今回の人生では、恋もしてみたいものだ。

 そんなことを思いながら握ったエーリヒの手は、思っていたよりもずっと大きくて、少しだけ胸が高鳴る。

 優美な外見で忘れてしまいそうになるが、彼は騎士なのだ。

「行こうか」

「うん」

 手を繋いで、大通りを歩いた。

 まず、最初に水晶を売っている店に向かう。

 まだ魔石が作れるかどうかわからず、実験のようなものだから、それほど高価なものは必要ないだろう。不揃いなために格安で売っていたものを、いくつか買うことにした。

 エーリヒが会計をしてくれている間、クロエは店内を見て回る。

 綺麗な石や、一般市民でも買える手頃な値段の装飾品も売られている。

(あ、魔石も売っているわ)

 店の奥に、大切に飾られている魔石があった。値段は、クロエたちが買った水晶の五十倍もする。

「こんなに高いのね……」

 思わず、小さな声で呟いた。

 あの小さな水晶の中に、誰かの魔力が込められているのだ。そう思うと、手に取って眺めてみたいと興味を覚える。

「買ってみるか?」

 そんなクロエの心境を察したように、エーリヒがそう言ってくれた。

 いつのまにか、会計が終わっていたようだ。

「他人の魔力に触れることで、自分の魔力を制御するのに役立つかもしれない」

「……うん。そうね」

 たしかに高価なものだが、侯爵家から持ち出した宝石をすべて売り払ったばかりだ。

 買えない額ではない。

 必要経費だと割り切って、魔石をひとつ購入することにした。

 それに、もし魔石を作ることができれば、経費は充分に回収できる。

「手に取ってみたいし、買ってみる」

 そう決意したのに、なぜかエーリヒが買ってくれた。

「自分で買うわ」

 慌ててそう言ったが、彼は取り合ってくれない。

「最初の魔石は、俺に贈らせてほしい。意味のあることだから」

「意味って、どんな?」

 今はまだ内緒だ、とエーリヒは優しい笑みを浮かべる。

「時期が来たら、きっとわかる。今はただ、何も言わずに受け取ってほしい」

 そこまで言われてしまえば、それ以上追及することはできなかった。

「わかった。ありがとう」

 そう言って魔石を受け取る。

 ここは有り難く受け取って、彼には他の形で返せるようにしようと思う。

 冷たいはず水晶は、ほんの少しだけ温かく感じた。

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