第6話
(クロエなら、ちゃんと知っていたはず。あの父親がどれほど横暴で、娘のことなんか道具みたいにしか思っていないことを。でも前世の私が、勝手に自由になったと思い込んでいたのね)
落ち込むクロエの肩を、エーリヒは慰めるように叩いた。
「そう気落ちするな。別に俺は、冒険者になる夢を諦めろと言っているわけではない」
「うん……」
クロエだってわかっている。
自分たちは追われている身だ。
闇雲に動くのではなく、安全に、適切な時期に行動するべきだ。
ただ少しだけ不安になったのだ。
魔法という力を得て、エーリヒという相棒を得た。
すべてが順調で、このまま自由に生きられると信じていた。それが少し躓いただけで、もう不安になってしまっている。
「心配しなくてもいい。彼らの対応は俺に任せてくれ。クロエは王都で、庶民の暮らしを満喫すればいい。貴族の御令嬢がいきなり冒険者になるよりはいいだろう」
「うん。そうね」
そう言えばクロエは、深窓の令嬢だったと思い出す。
前世の記憶を思い出したせいで、もうすっかり庶民の感覚だった。
でもこの異世界では、常識がまったく違うかもしれない。ここは町の暮らしを体験してみるのもよさそうだ。
「髪色や瞳の色を魔法で変えれば、外を出歩いても大丈夫だと思うよ」
変えられるかと聞かれて、多分できるはず、と答える。
(まだ目覚めたばかりで、何ができるのかもわからないのよね)
魔法の知識がなさすぎるのも問題点だ。町で暮らしている間に、少し学ぶべきかもしれない。
(ゲームや小説だったらすぐに冒険者になって旅立つけど、現実はこんなものよね)
知識や常識がまったくないから、予想外のことが起きると不安になるのだと気が付いた。
まずは勉強が必要だ。
「私はまだ、魔法が使えることに気が付いたばかりなの。いろいろと勉強しなきゃ」
「……そうなのか?」
クロエの返答に、エーリヒは驚いたように目を見開く。
「ええ。自分の意志で使ったのは、あのときが初めてよ」
「それなのに王女の魔法を吹き飛ばしたのか。クロエはすごいな」
手放しに褒められて、思わず照れてしまう。
「そ、そうかな。でも、まだわからないことばかりだから、勉強しないと。図書館とかあったら、そこにも行ってみたいわ」
でも、本当に色素を変えるだけで大丈夫なのだろうか。
「髪の色とかは変えられるけど、それだけでいいの?」
「ああ。クロエの髪や瞳はとても綺麗だから、少し目立ちすぎる」
「地味だとしか、言われたことがないけど」
色素の薄い金色の髪に水色の瞳を、綺麗だと言われたのは初めてだった。
「どうせそんなことを言ったのは、キリフ殿下か団長だろう? クロエは彼らと俺と、どちらを信じる?」
不実な婚約者と横暴な父の名を上げられて、答えを躊躇うはずがない。
「それはもちろん、エーリヒだけど」
「うん。それでいい。クロエは綺麗だよ。だから、ちゃんと変装すること」
「……うん」
綺麗だと言われることが、こんなに嬉しいことだなんて思わなかった。思わず頬を染めて頷くクロエに、エーリヒは満足そうに笑う。
「じゃあまず、拠点を見つけないと。宿屋だと料金が掛かりすぎるし、人目も多い。ちょっと下町の方に適当な一軒家でも借りて、そこで暮らそう」
「ふたりで?」
「もちろん。離れていては危険だし、俺もクロエの魔法を頼りにしている。一緒に居た方がいい」
「……そうね。わかったわ。家のことはエーリヒに任せる」
「了解。なるべく狭くて、寝室がひとつしかないような家を探さないと。ああ、もちろん予算の関係だ。これからどうなるかわからないのに、無駄に広い部屋を借りて、資金を無駄にするわけにはいかない」
「え、うん」
たしかに長期戦になるかもしれないことを考えると、低予算のほうがいい。思わず頷いたクロエに、エーリヒはさわやかに笑う。
彼はこれから、物件を探してみると言った。
「王都の警備についても、少し探ってみる。クロエは、城門には絶対に近寄らないように」
「わかったわ。気を付けてね」
何だか押し切られたような気がするが、エーリヒに任せておいたほうが安全だろう。
彼を見送ったあと、クロエはそっと自らの髪に触れる。
色素の薄い金色の髪。
ずっと、この髪が嫌いだった。
兄のような輝く金髪か、エーリヒのような煌く銀髪が羨ましかった。
(……綺麗、かぁ)
でもエーリヒがそう言うのなら、自分が思っていたよりひどくはないのかもしれない。
クロエは自らの髪に触れて、少しだけ微笑んだ。
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