第5話

 そんなことを考えていると、ふと、店内にいた女性たちが騒がしくなった。何だろうと思い、声がした方向を見つめる。

「あ」

 するとそこには、昨日相棒になったエーリヒの姿があった。

(ああ、やっぱり美形よね……。うん、これは騒ぎたくなる気持ちもわかるわぁ……)

 一般的な剣士の服装だが、背が高くスタイルの良い彼には、まるでオーダーメイドの品のように似合っている。煌く銀色の髪に、整った顔立ち。

 真っ青な宝石のような瞳が店内を見渡し、クロエを見つけた途端に華やかな笑みを浮かべる。

「ごめん、遅くなったね」

 彼を見て騒ぎ立てていた女性たちは、今度はこちらを見ながらひそひそと話し合っている。

(クロエは地味だからね……。どうせ似合わないとか、悪口を言っているのかもね)

 記憶が戻る前のクロエならば、そんな言葉を聞けば涙ぐんで俯いたかもしれないが、今のクロエにとっては外野の声など雑音でしかない。

 まったく気にすることなく、エーリヒに笑みを返す。

「ううん、大丈夫。むしろ物珍しくて、周囲を見ているだけで楽しかった」

「そうか。それならよかった」

 優雅な動作で向かい側に腰を下ろしたエーリヒは、クロエを見つめる。

「食事は?」

「もうすんだわ。これはデザート」

「そうか。じゃあ成果は部屋に戻ってから話すよ」

 エーリヒも簡単な軽食を頼んでいた。クロエのほうが明らかに食べる量が多かったが、見ないふりをする。

 いくら食べても、その分消費すればいいのである。

 ゆっくりと食事を楽しんだあと、ふたりで喫茶店を出て、宿屋にある部屋に戻る。

 周囲にいた女性たちが何やら騒がしかったが、ちょっとうるさいな、と思っていたところで声が止んだ。

(小声での悪口って、意外と聞こえるのよね)

 クロエが地味だろうが、エーリヒと釣り合っていなかろうが、それぞれが一緒にいることを選んだのだ。外部の人間に、それをどういう言う権利はない。

 部屋に戻ると、さっそくエーリヒは成果を報告してくれた。

「宝石はすべて換金することができた。これがクロエの分だ」

 そう言うと、布袋に入った金貨を渡してくれた。

「こんなにたくさん」

 思っていたよりも重い袋に、感嘆の声を上げる。

「クロエが持っていたのはシンプルな宝石ばかりで、あまり裏がなさそうだったからな。普通の宝石として買い取ってもらえた」

「そうなんだ。ありがとう」

 あまり派手なものを身に付けることは父が許さなかったから、装飾品も地味なものばかりだった。

 でも、今回はそれが役立ったらしい。

(これくらいあれば、冒険者としての仕事が軌道に乗るまで、何とかなりそうね)

 そのうち自分で、これ以上稼いでみせる。

 そう決意して、金貨をしまう。

「これからどうする?」

 クロエとしては、さっさと冒険者ギルドで登録をして王都を出たいところだ。

 けれどエーリヒは、その提案に難しい顔をする。

「今、王都を出るのは、少し難しいかもしれない」

 思っていたよりも、警備が厳重だったと言われて、クロエも

「移民がたくさんいるって聞いたから、王都から出るのもそんなに難しくないと思っていたのに」

 王都には他国からの移民がたくさんいて、治安の悪い場所もあるから危険だと、屋敷に勤める侍女たちが話していた。

「……その辺りは少し複雑でね」

 もともと騎士だったエーリヒは、そう言って難しい顔をする。

「栄えている王都に、仕事を求めて集まる移民も多い。王都に入るのは比較的簡単だが、自由に出ることができるのは、国籍を持つ者だけだ」

「そうなんだ」

 記憶を辿ってみたが、その辺りの事情は、クロエも詳しく知らなかった。

 この国の王都は、出入口が別々になっている。

 入り口はそれほど厳しい制限がなく、正規の身分証明書がなくとも、商人や冒険者の恰好をしていれば、簡単に入れるという。

 その分、出口は厳しく取り締まられていた。

 それは、この国にまだ奴隷制度があったときの名残のようだ。

 この国は、身分の差にとても厳しい。

 一番上は、当然のように王族であり、次に貴族、そしてこの国出身の人間。

 その下に、功績などが認められ、正式にこの国の国籍を取得した移住者が続く。国籍もなく、ただ王都に住み着いた移民は、その最下層である。

 当然、移民の待遇はあまり良くない。

 安い給料で使われ、差別され、それが嫌で逃げ出そうとしても、一度王都に入ってしまえば、自由に出ることはできない。奴隷制度は禁止されていたが、移民の扱いはほとんど奴隷と変わらないようなものだ。

 だから仕方なく、この国の人たちは嫌がってやらないような仕事を、安い賃金で請け負わなくてはならないという事態に陥っている。

(何というか、蟻地獄のような場所よね)

 しかも、門を守るのは騎士たち。

 クロエの父の部下だ。

 いつもは城門だけを守っている騎士達が、出口だけではなく町中も歩き回っていると言う。

「それって、本当に私を探しているのかしら?」

 父にとって、役に立たなかった娘は、もう不要な存在でしかないと思っている。

 一応、体面のために探す素振りくらいするかもしれないが、行方不明になろうが野垂れ死にしようが、まったく関心を持たないと思っていた。

「私を探す理由なんてあるの?」

「それは、もちろんあるさ。婚約を解消されたといっても、キリフ殿下が感情的にそう口にしただけのこと。そもそも王族の婚約を、そう簡単に解消できるはずがない。決めるのはキリフ殿下ではなく国王陛下だ」

「……うん、そうね」

 言われてみれば、彼の言う通りだ。

 これは侯爵家の娘と、第二王子の婚約である。クロエの意志はもちろん、キリフの意志だって関係のないことだ。

「それにキリフ殿下は、クロエが自分に夢中だと思っているから、捨てないでほしいと泣き叫んでほしかったと思うよ」

「え?」

 まさかの答えに、クロエは不快そうに表情を歪める。

「そんなことしないわ。だって私は別に、キリフ殿下が好きだったわけではないもの。ただお父様が怖かったから従っていただけよ。それに、自分はあんなに綺麗な人を連れていたのに」

 いくら政略的な結婚とはいえ、婚約者であるクロエに見向きもせず、堂々と恋人を連れて歩いていた。

 それなのに、どうして愛されていると思っているのだろうか。

「本当に私がキリフ殿下を好きだったとしても、あんな扱いをされたら一気に冷めるわ」

「それが普通だな。それに団長は、何か思惑があって娘をキリフ殿下に嫁がせたがっていたようだ。逃げたくらいでは諦めないと思うよ」

 父の部下だったエーリヒは、侯爵ではなく団長と呼ぶ。

(それにしても、まさかお父様が私を探していたなんて)

 出世欲か、名誉欲か。

 それとも、何か別の思惑があるのか。

「……たしかにあのお父様なら、何か企んでそう。そのためなら、私を引き摺ってでも連れ戻して、キリフ殿下に頭を下げさせるでしょうね」

 これからの未来しか考えていなかったクロエは、そう簡単に自由にはなれない現実を突きつけられて、大きく溜息をついた。

「王都から出てしまえば、何とかなると思っていたのに」

「予定とは違うが、しばらくここに潜んで、向こうの様子を探ったほうがいい」

「はぁ……。それしかないわね」

 明るい未来ばかり想像していた自分が甘かったのだと、クロエは反省するしかなかった。

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