第57話 挙行、徒労


 30分後。

 彼らは幅2メートル壁の前に、並んで横たわっていた。

 壁を押すと言っても、手で押しても力は入らない。

 足を壁に向けて横たわり、背中全体で床との摩擦を掴み、その足で壁を押す。これであれば一人あたり200kg以上の力で押すことができる。背中と床の間が滑ってしまうのは力のロスに繋がるので、2人がかりで肩を押さえる。

 直接壁を押すものが4人。その肩を押さえるのが8人だ。

 そレに加えて、壁を体全体で後ろ向きになって足の力で押す者が4人。これでトータルで1.5,tの力が確保できるはずだ。これで計算上、壁は崩れる。


 残りは、銃を構え待機している。壁が崩れると同時に突撃するためだ。


「よし、3、2、1、押せっ!」

 男たちは渾身の力を込める。

 顔が真っ赤になり、首筋に血管が浮いた。


 煉瓦の壁が僅かにきしんだ。

「いけるぞ!

 手応えありだ。

 もうひと押しっ!」

「おおうっ」

 最初の1回目で、床を滑らないためのコツを掴んだ男たちから笑みが漏れる。

 これなら、次は行ける。

 そうしたら。戦いだ。


 戦いの死によってこそ、約束の地へ旅立てるのだ。自殺は禁じられている中、飢えによる緩慢な死を強いられても、約束の地にたどり着くことができるかはわからない。そんな緩慢な絶望の中に、ようやく光が射したのだ。


「もう一度っ!

 3、2、1、押せっ!」

 壁は軋み、さらに揺れ動いた。

 男たちは、薬による陶酔の中、自分の全存在意義を賭けて、壁を押し続けた。



 30分後、食事もない中疲労困憊し、再度のチャレンジもできなくなった男たちの群れがいた。

 壁は軋み、揺れに揺れた。

 しかし、どれほど揺れても、どれほど目地のモルタルが崩れ、壁紙を突き破って落ちてきてさえも、壁自体は崩れなかった。

 

 空腹の中、渾身の力で壁を押し続けた男たちはめまいを覚え、立っていることすらおぼつかなくなっていた。

 血糖値が急激に下がりすぎたのだ。

 薬による作用によって脳のリミッターは外れ、束の間の怪力を得ることができる。

 だが、筋肉を動かせばエネルギーが必要だ。薬剤による陶酔がどれほどのものであっても、食事を抜かれた彼らにはエネルギーの補給はされない。


 なまじの怪力を発揮すれば、立っていられないほどのガス欠状態になるのは必然だった。体脂肪を分解することで、身体はまだまだ持ちこたえるだろう。だがもう、このような力を出すことはできない。



「なぜ……」

「あれだけ傾いた壁が、なぜ崩れない?」

 考えられないことだった。

 レンガ積みの壁に、弾力はない。どれほど固くても靭性はないはずなのだ。

 揺れ動く壁に彼らは奮起し、全身の力を使い果たすまで押し続けたのだ。なのに崩れない。


 銃を持って待機していた者以外、使い物になる男はもういなかった。

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