第39話 蛇穴、蜈穴


 他の男たちは、落とし穴という間抜けな手段にげらげらと笑いながら男に救いの手を伸ばし、その手を伸ばしきれずに蒼白になった。

 穴の中は、落ちた男の胸までのたくりかえす蛇で満たされていた。

 落ちた男は気が狂ったように叫び、もがくもののどうやっても穴から這い上がれない。

 すでに、何匹もの牙が男の手や顔を貫いていた。

 助けようと手をのばす男たちの手に、何匹もの蛇が鎌首を上げた。


 男たちは騒然とし、棒はないか、ロープはないかと叫ぶ。

 そして、船にロープを取りに戻ろうとした1人の姿がまた消えた。

「ひぁぁ!!」

 再び声にならない悲鳴。


 一番年配の凄みのある男が、「助けてやれっ!」と叫び、覚悟を決めた男たちは、2つ目の落とし穴に手を伸ばして再び凍りついた。

 2つ目の穴は、30cmはあろうかというオオムカデで満たされていた。

 黒い身体に鮮やかなオレンジ色の脚が禍々しい。


 穴の中の男は泣き叫び、不意にその声の質が変わった。

「痛ぇっ! 死ぬっ! 痛ぇっ!

 助けてくれっ!」

「……刺すのか、ムカデってやつは?」

 蒼白になった声で誰かが呟く。

「刺されたことなんかねぇけど、死ぬほど痛いって聞いたことはあるぜ」

 そう話しているうちに、穴に落ちた男はぐったりとし、叫ばなくなった。


 最初の蛇の穴に落ちた男のすでに枯れた声での弱々しい悲鳴以外、誰ももはや声を上げられなくなっていた。

 手に持った拳銃は、おそろしくちっぽけで無力なものに変じていた。



 そんな中、一番年配の凄みのある男だけは、どうやら自分を取り戻したようだった。

「てめぇら、盃交わした仲だろうがっ!

 命懸けで助けろい!」

 そう叫び、叫び終えるやいなや、彼自身が3つ目の穴に落ちた。


「兄貴っ!」

 そう叫んで、再び手を伸ばそうとした男たちは三度みたび凍りついた。

「く、臭えっ!

 クソか!?

 兄貴、クソの中に落ちたのか?」

「お、お、お、俺……」

 穴に落ちた、一番年配の凄みのある男は、自分のこめかみにクソまみれの銃を向けた。


 舎弟の目の前で、出入りの真っ只中、敵の手に嵌ってクソツボに落ちた。

 これは、メンツと上下という人間関係を建前とする彼らの世界で、二度と尊敬されなくなることを意味した。

 よくて、死ぬまで飼い殺しである。出世はおろか、鉄砲玉としても使ってはもらえない。

 まかりまちがって出世できたとて、組員は「出入りのときに敵の手に嵌ってクソツボに落ちたオヤジの手下」と呼ばれるのである。ドジさ加減にも折り紙が付いてしまったのである。

 絶望も仕方ないことなのだ。


 男は、せめて最後の「男」を見せるため、ためらいなくトリガーを引いた。

 かちゃ、という軽い音が響いた。

 ……不発であった。


 不発の場合、自動拳銃は遊底をスライドさせて不発弾を排莢し、もう一度引き金を引きねば弾は出ない。

 だか、それをするだけの心の柱はすでに残っていなかった。

 心のすべてを折られた男は、泣きだしていた。

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