第10話 母獣の怒り


 娘は人間として育てる。

 その決意は変わらない。


 だから、ここから逃げることもできないのであれば、せめて目立たぬよう、ここで一日一日を無難にやり過ごし、嵐が通過するのを待ち、なにも起きなかったという結果を望むしかない。

 たとえ、それがうまくいくにしても、カイコの病気は先細りの未来しか描かせてくれないのだけれど。



 それでも、その年の繭の収量は、昨年と同じだった。

 飼育規模を倍にしてこの結果なので、半数は病気にやられたということになる。

 いくらかの銀貨エキュを確保することはできた。



 翌年。

 ジェヴォーダン地方に、犠牲は変わらず出続けていた。

 家の近くの村で肉食獣ハイエナが出没することもあり、風の向きさえ良ければ母親が気がついて、助けに行ったこともあった。

 その姿が目撃され、さらにジェヴォーダンの獣の話は膨らんだ。


 そして……。

 この年生まれたほとんどのカイコの背中に、禍々しい黒斑を見た父親は、一縷の希望を断たれて絶望のうめき声をあげた。

 この黒斑が出たカイコは、なんとか成長させることはできても繭を作らないのは、去年の経験でわかっていた。

 ついに、終わりの始まりだった。


 時を同じくして、王から派遣された竜騎兵たちがやってきた。

 村人たちの期待は、最初の数日で裏切られた。

 竜騎兵たちは、対人戦闘には秀でていたのだろう。だが、彼らは狩りについては素人だった。加えて、険しい山岳地帯に森が広がるような場所では、馬は無力だった。

 彼らに蓄えの食料を食い散らかされ、村はさらに困窮した。


 父親にとって迷惑だったのは、カトリックの熱心な信者であった竜騎兵の隊長が、カイコの病死で困っている父親に、あくまで善意で物資を届けてきたことだ。

 神父から聞いたと言われれば、断るに断れない。

 だが、当然のように、その物資の元は、徴収された村の生産物だ。

 つまり、父親は村人たちから疎まれることになった。

 これは、父親から、山菜や山の果実による細々とした売上を奪った。

 さらに、結果として、村から離れにくくもなった。竜騎兵の隊長の面目を潰すことになるからだ。



 獣の出没は続いていた。

 犠牲者の数も増えつづけていた。

 王は、竜騎兵に代えて、銃の扱いに長けた狩人を派遣してきていた。

 彼は連日山に入り、狼を狩るようになった。

 ルーナの両親もここにきて、ようやく村を離れる準備ができるようになった。


 麦を刈り、食料とその売上を確保し、貯め隠しておいた銀貨エキュも掘り出した。

 ようやくにも、村の人たちとの関係を修復し、あと数日で出発というところまで漕ぎつけたのだ。



 そう、あと2日で出発。

 父親も母親も、どこか気楽な雰囲気を身にまとうようになった。

 旅立ってしまえば、旅路の安全は気にしてくていい。

 母親が戦って、それが目撃されても、通り過ぎてしまう土地での出来事だからだ。



 それなのに……。

 旅立つ前に、事件は起きた。

 間に合わなかったのだ。


 カイコを飼う意味がなくなり、父親が刈り取らなくなった桑畑で、偽装された肉食獣ハイエナが、狩った人間の子どもを引きずり込んで貪っていた。


 川の流れで洗濯をしていた母親は、血のにおいに現場に導かれた。そして、怒りのあまり我を忘れた。

 立ち去るつもりでいても、この土地はまだ、自分たちの生活の侵されざる聖地だったからだ。

 母親は、半狼半人の自分が誰かと結ばれて子供を生むことなど、諦めていた。

 なのに、この地でその夢が叶った。


 ここは、自分と家族を作り、また、自分と家族が住処として作り上げてきた場所なのだ。

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