第3話 ジェヴォーダンの獣の物語り


 でも、幼い頃の友だちと言ってもね……。

 うちはやっている仕事も違ったし、その関係で家も他の人たちと離れていたし、そこまでの交流はなかったんだよ、ヨシフミ。

 ただ、逆に、母さんと私の正体もバレなくて済むから、願ったり叶ったりではあったんだけどね。



 事件の起きた、最初の年。

 すべてが不吉な、忘れられない年。


 父さんが、頭を抱えていたのを覚えているよ。

 その前には、カイコが数匹。

 それがね、黒い斑点に覆われていた。

 病気なのは間違いない。


 今だからわかるけどね、微粒子病っていう病気だった。

 ほら、学校で教わったかな、パスツール。この病気の原因は、そのパスツールが発見したんだ。

 ただ、それはこれから話すことの、100年もあとだったのは残念だよ。フランスの養蚕業の救済には、間に合わなかったんだ。


 これに罹るとね、どんどん感染が広まって、数年で飼っているカイコ、全滅しちゃうんだよ。

 でも、そのときはそんなことわからなかったし、もしかしたら、フランスで最初の症例だったかもしれない。

 それなのに、父さんは異変を感じていたんだろうね。「おかしい、おかしい」ってつぶやきながら、病気のカイコを眺めていたんだよ。


 母さんも、カイコのことは父さんに任せていたから、詳しいことはわからないしね。

 きっとね。父さんだけが、カイコの病気から、迫りくる不幸を感じていたんだ。


 ヨシフミ。

 私、「人を喰ったことはない」って話したよね。

 これから、その事件について、踏み込んで話すよ。

 あとから、父さんに詳しく聞いた話と併せてね。

 私はその時はまだ幼かったから、あとから聞かされたことも多いんだ。



 − − − − − − − −



「おかえりなさい。

 父さん、病気のカイコは、もう大丈夫?

 もう治った?」

 娘は無邪気な眼差して、帰ってきた父親を見上げる。

 母の血も引いているはずなのに、その片鱗はまだ見えない。

 父親にとっては、世界のなにものにも代えがたい、可愛いい大切な娘だ。


「ただいま、ルーナ。

 うん、まぁ、なるようにしかならないよ」

 そう微笑んで見せて、この娘の母親を呼ぶ。

 話さねばならないことがあったのだ。


 ダメ元で、今年発生したカイコの病気について、村の神父に聞きに行ったのだ。なんらかのヒントが貰えればと思っていたのだが、その期待は当然のように裏切られた。まぁ、さほど期待をしていたわけではない。

 でも、ここのような田舎では、神父だの牧師だのってのは、数少ない知識階級だった。期待薄でも、一度は判断を聞いておきたかったのだ。


 逆に神父から聞かされたのは、この2ヶ月、村の女や子どもたちが謎の獣に襲われて、怪我をしたり殺される事件が頻発していること。

 神父は、里を離れ、山の中の一軒家で生活している家族を心配してくれていた。

 とくに、まだ幼い娘がいるのだから、と。


 父親は、母親に複数の事件のあらましを語って聞かせた。

 話を聞いた母親は、途中から娘の耳を両手でふさぐ。

 幼子に聞かせるには、酷な話だからだ。


 娘は、両耳をふさがれたのを、こういう遊びだと思って笑っている。

 無邪気で、まだ人を疑うことを知らぬ娘なのだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る