少女甘愛・前章 ~バレンタイン~

へーたん

バレンタイン

「レイカ、よっすー!」

「ん、おはよーチコ……」

 二月、日曜日の早朝。白い息を吐く、二人のモコモコした小学生。

 おさげの少女レイカと、ショートボブの少女チコ。幼馴染みの二人組。

「きょーもまだサムイなー」

「そうだねえ……」

 二人で並んで歩く。レイカの方が遅いので、チコが歩調を合わせて歩く。

「……ねぇチコ。きょう、なんの日かしってる?」

 隣のチコを横目で見て問う。チコの方は心当たりがないのか、小首を傾げた。

「なんかあるのか?あ!『キュージツトーコー』だったな!これだろ!」

 胸を張り、自信満々に答えたチコだったが、レイカは鼻を赤くしてうつむいた。

「たしかにそうだけど……。ううん、なんでもない」

「えー!おしえてよレイカー!」

 うつむいたまま足を速める。チコも急いで合わせた。

「……」

「……?」

 しばらくの沈黙。先に沈黙を破ったのはチコの方だった。

「……レーイカ?なんかあったのか?ソーダンにのるぞ?」

「ぴっ!?」

 素早く前に回り込み、レイカの顔を両手で包み込む。レイカの顔は、まばたきも許さない速度で赤くなる。

「レイカ!?すごくアツイぞ!?ビョーキか!?」

 触れた顔が熱を帯びていることに、チコが目を回して慌てふためく。その隙にレイカが勢いよく下がった。

「いっ、いきなりなにするの!?」

 真っ赤な顔を冷たい手で抑えるレイカ。

「びっくりした……。あの、ご、ごめん……。びょうきじゃないから、だいじょうぶ……」

 深呼吸をして落ち着いたが、顔の火照りは色濃く残っている。

「レイカ?ホントにだいじょーぶ?」

「う、うん!だいじょうぶ!ほら、げんきでしょ……!」

 心配して覗き込むチコから、さらに後ずさるレイカ。小さなガッツポーズとは裏腹に、目には涙が浮かんでいる。

「そんなことよりも、早くがっこういかないと、ちこくしちゃうよ……。いそがなきゃ……!」

「あ、まってよレイカー!おいてかないでー!」

 涙を誤魔化すように、走り出すレイカ。すぐにチコも駆け出す。

『なんで、こんな日に……!わたしのばか!よわむし!』

 レイカは走りながら、自分を責める。

『バレンタインなのに!キモチをつたえなきゃ……なのに!』

 高鳴る鼓動と、想いに反する自らの行動。過剰な焦りは、想い人にも牙を剥く。

『チコもチコだよ!……こんなにたいせつな日を、忘れちゃうなんて!ひどいよ!』

 涙をこぼしながら、走る。走る。

『……わかってる!わかってるよ!わたしの勇気がたりないんだって!でも……!でも!』

「──レイカ!!」

「ぴぃ!?」

 物思いに耽っていたため、後ろから迫るチコに気付けなかった。重い衝撃。飛び付かれた。

「はぁ、はぁ!おいついた!あたいのほうが、はぁ、レイカより、はやいんだよ!」

「そう、だったね……!けほっ!けふっ!」

 元々レイカは運動が苦手だ。急に走ったことが災いして、咳き込んでしまう。そんなレイカの背中を、チコが優しく撫でた。

「ムチャするから……よしよし」

「ひぐっ、ごめん……」

「のこりは、ゆっくりいこ!」

 レイカの背中をさすりながら、ゆっくり歩く。レイカは、さらに自分を責めていた。こんなにも優しい友人に、少しでも責任を押し付けようとした自分を。

『やっぱりばか!ぜんぶわたしのせいなのに!』

 しかし。不意に、頭に重みと温かさを感じた。

「またかなしいコトかんがえてる。レイカは、レイカ。ほかのひととくらべないでいいんだよ!」

 チコが、頭に手を置いていた。包み込むように、優しく。励ます内容は的外れだったが、レイカの心には染み入った。

「……そうだよね。うん、ありがとうチコ。落ち着いたよ」

「ならよし!がっこういこ!」

「……ちょっとまって!」

 立ち上がったチコにレイカが手をのばす。

「……て、つないでいこ?」

 勇気を振り絞って、声をかける。チコは始めにきょとんとし、やがて満面の笑顔で頷いた。

「……うん!」


 学校のげた箱。二人のクラスは違うため、レイカは渋々繋いだ手を離す。

「それじゃあ、ほうかごにね……」

「……べんきょうがんばってね!」

 お互いに手を振って分かれる。レイカの胸の内はモヤモヤしていた。

『チョコレート……。ほうかごに、わたせるかな……』

「やっぱり、いわなきゃ!」

「ぴぴぃ!?」

 物思いに耽っていたためか、再度飛び付かれる。

「ごめん!あたい、ウソついてた!」

「うそ……?」

 目をぎゅっと閉じ、顔を耳元に寄せるチコ。そして、一言だけ呟いた。

「……ほうかご、『おんがくしつ』にきて!」

「おん……?」

「それだけ!じゃあね!」

 言いたいことだけ言って、さっさと逃げてしまった。レイカは振り返って、チコの背中を眺めていた。耳に残る、熱い吐息の余韻を感じながら。

「……ぴぃぃぃ!?」



「しつれいしまーす……」

 放課後。激しい鼓動を押さえつけ、音楽室の戸を引く。部屋の中央に、少女が一人、立っていた。夕日に照らされた、チコだった。

「あ、レイカ……!よかった!きてくれた!」

 後ろに手を組み、はにかむチコ。レイカも胸に左手をあて、チコに笑いかける。右手は後ろに回している。

「その……ありがと。……バレンタイン、おぼえてたんだね」

「レイカににげられるのはイヤだった……。だから、ウソついちゃった。ごめんね」

「そうだったんだ……。こっちこそ、あんなことやっちゃって、ごめんね、チコ」

「……」

「……」

 二人してモジモジしながら話す。しばらく、恥ずかしさでお互いに目を逸らしていたが、先に動いたのは、レイカだった。

「……チコ。あ、あのね!」

 後ろに回していた手を出す。その手には、トリュフチョコが入った、透明の小袋が。

「こっ、これ!つくったの!うけとって……!」

 緊張に目を閉じ、震える手を差し出す。チコは、軽くレイカの手を握り、静かにチョコレートを受け取った。

「レイカ、ありがと……。あ、あたいはね?」

 紅潮するレイカを前に、言葉が詰まるチコ。その様子に、レイカが小首を傾げる。

「……?どうしたの?……チコらしくないよ?」

 普段の、真っ直ぐ突っ込んで、優柔不断なレイカを支えてくれるチコとは、大違いだった。

「あたいは……。あたいは!ちょこ、もってきてないの!」

「え……、えっ!?」

 チコの口から発せられた言葉は、レイカをショックで落ち込ませるのに、十分だった。目から涙が溢れる。行き場のない悲しいがレイカを襲う。

「そんな……?どう……、して……?」

 しかし。まばたきを一回して、目を開いた時には。レイカの涙は変貌した。


「──だから、レイカ!」

「ぴっ……!?」


 フワリ。

 目を開くと、チコは、いなかった。目の前には。

 チコがいたのは、レイカの胸の中。正面からハグをしてきたのだ。

「ちっ、ちちちチコ!?」

「バレンタインのプレゼントは、あたい!……イヤ?」

 首に手を回すチコ。しっかりと、しっかりと抱きしめる。

「イヤじゃないよっ!チコ!ぐすっ!うれしい!」

 悲哀の涙は一転、歓喜の涙へ。これ以上ないサプライズに、レイカの目からは涙が止まらない。


「さいきん、かんがえてたの!あたいの、レイカをおもうキモチ!わかったよ!あたい!レイカが好き!やさしくて、しんぱいしょうなレイカが!好き!」


「チコ……!わたしも!つたえなきゃ、っておもったの!チコ!わたし、チコが好き!げんきで、ひっぱってくれるチコが!大好き!」


 涙を流す二人の少女は、互いの想いをぶつけ合う。夕日に照らされ抱き合う二人の光景は、写真のように、美しかった。


「レイカ、アツイぞ!だいじょーぶか!」

「ゆうひのせいだよ!チコこそあついよ!かぜかも!」

「ゆうひのせいだ!ヘーキ!」


 しばらく抱き合ったレイカとチコは、手を放す。お互いの目を見つめ合う。


「レイカ、好きだよ!あいしてる!」

「チコ……!んっ……!」


 自分のキモチに正直に。相手への想いを込めて、口づけする。お互いの唇が触れあい、繊細なぬくもりを感じる。


「レイカ、あかいぞ!だいじょーぶか!」

「ゆうひのせいだよ!チコこそあかいよ!かぜかも!」

「ゆうひのせいだ!ヘーキ!」


 ついさっきと同じ会話に、二人で笑う。


「このやりとり!さっきやったじゃん!」

「レイカのせいだぞ!」

「チコのせいだよ!」


 しばらく、夕日に照らされた音楽室に、二人分の楽しい笑い声が、響いていた。



 通学路。

 夕日も落ちかけた頃合い。


 手を繋いで歩く、小さな二つの影が、映しだされていた。

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