11.「主よ我等を救いたまえ」
「ティアナ様、準備が整いました」
声が聞こえ、目蓋をゆっくりと開ける。
「わかりました」
祈りを捧げる姿勢から腰を上げ、杖を握って部屋を出る。
私室から通路を抜けて、大聖堂に入ると人の姿はなく、蝋燭の明かりだけがぼうっと薄く照らしている。
祭壇の前、普段祈りを捧げるそこには、床に丸く模様が刻まれ、そこから四方に線が伸びている。
その円の中央に立ち、再び目を閉じて精神を研ぎ澄ます。
東門は既に破られ、中に入った魔物と街の人々が激しく戦闘を繰り広げている。
北門は未だに健在で、その先に引かれる意識を留めて抑える。
両手を広げるように街の中へと意識を広げ、俯瞰するようにそれを捉える。
右手に携えた杖をゆっくりと下ろし、それが床に触れた箇所を起点として光が広がっていく。
この街は過去の聖女様が神託を受けて作り、発展してきた街である。
そして、その中央に位置する大聖堂には、ある仕掛けがあった。
わたくしが起こしたその仕掛けは光を産み、そして通りの石畳に刻まれた線をなぞって、街の四方へと伝播していく。
街の入り口、東西南北へと置かれた門へと伸びた光が、左右に別れ、今度は外壁へと伝う。
出来上がった光の線は、そのまま街の外壁と同様に、外周を囲う円となり光を結んだ。
それは街を丸々ひとつ覆う結界の構成陣。
通常、人には成し得ない規模の奇跡。
都市作りの段階から組み込まれた信仰と、その象徴である聖女によって成された御業の行使だった。
「主よ我等を救いたまえ」
捧げる言葉と共に掲げられた杖に呼応して光の洪水が天まで伸びる。
街の全体を包み込んだ光は力強く、そして暖かい。
まるで真昼のように眩い光に照らされて、街の中に入り込んでいたアンデッドの全てが、魂を浄化され昇天していった。
儀式を終え、未だ光に包まれる空間にカツカツと靴音を鳴らして歩く。
扉を開け、大聖堂を外へと出ると祈りを捧げる人々の姿が見える。
避難してきた街の人たち。
この光の正体は積み重なった彼らの信仰と真摯な祈りそのものだった。
「聖女様!」
「わかっています」
衛兵の方に呼び掛けられてそのまま頷く。
「わたくしはこのまま東門に向かいます。貴殿方は市民の保護をお願いします」
「はいっ!」
スケルトンとゾンビ、それに類するアンデッドとランクの低い魔物の大半は浄化できたはずだが、それでもまだ一緒に入り込んだ魔物のいくらかは残っている。
<<遠見>>のスキルを使ってもう一度状況を確認すると、やはり東門の方角ではまだ戦闘が継続している。
北門の外側では、そちらでも戦闘が継続していているが、今はそこから視線を剥がして、東門へと向かった。
「神よ」
祈りを捧げると、目の前の負傷者の傷がみるみるうちに治っていく。
「ありがとうございます聖女様」
「いいんですよ」
治療した相手に微笑んで腰をあげる。
信仰の光の満ちたこの空間では、祈りによる傷の治療も圧倒的に早く済む。
そのお陰で他の神官たちによる治療も早く、犠牲は小規模なものに抑えられていた。
まあ一番の要因は、北門を抑えてくださっているあの方のお陰でですが。
敵の主戦力が街の中へ入ってこないお陰で、街の戦力はこちらへと集中できる。
このままなら戦線を街の外まで押し戻せるだろう。
とはいえ、低ランクの魔物が浄化されたことにより、残った魔物は必然的に高いランクの相手ばかりとなっていた。
通りの先、押し返している最前線で破壊音が響く。
戦っていた冒険者の何名かが、その音と共に吹き飛ばされて通りに転がった。
「気を付けろ、ミノタウロスだ!」
その破壊音の主は牛の頭に人型の体を持つ魔物。
地面に拳をめり込ませていて、殴られた場所はクレーターのように大きく抉られていた。
そんなミノタウロスが体を起こすと普通の人間よりも二回りは体が大きく、太い腕とそれに見あった体格から肉体の強靭さが見てとれる。
「よくも、グウェンエヴィエル様の兵を減らしてくれたな人間どもめ。かわりに俺がお前らを皆殺しにしてやるぞ」
獣の呻き声のような野太い声がその場に響く。
もしかしたら東門側の大群を率いていた魔物かもしれない。
おそらくその実力はAランク。
光の満ちた結界の中で多少は動きが鈍っていても、力は健在のようだった。
これ以上被害を出さないために、一歩前へ進む。
それに気付いたミノタウロスが、こちらに視線を向けて獰猛に笑い牙を覗かせる。
「まさか、聖女自ら俺の前に出てくるとはな。命乞いでもするつもりか?」
「…………」
なにも喋らずに、ただ石畳を鳴らして距離を詰める。
「話す気はなしか。なら死ねっ!」
その体躯で一歩踏み込まれると、即座に拳の間合いに入る。
振り下ろされた一撃は、人を容易く押し潰す破壊力を持つのが見てとれた。
それに合わせて杖を掲げると、その先端が交錯する。
襲いかかるミノタウロスの拳が杖に触れると、息を吹き掛けた羽毛のように光の粒子になって舞い上がる。
そしてその腕がまるで最初から存在していなかったかのように消失した。
Sランク武器、神託の杖。
はるか昔、世界を救済して歩いた聖女が傍らに携え、その偉業を認められて神の祝福を受けたとされる伝説の聖遺物。
聖女の称号を持つ者にしか扱うことができないそれは、しかしひとたび振るえば魔を祓い、呪いを解き、魂を救済する。
この都市の結界を発動する鍵であり、比類無き破邪の武器。
「なっ!?」
その現象に驚愕するミノタウロスへ、落ち着いた口調で告げる。
「貴方に神の救済はありませんが、せめて安らかに逝けますように」
「ふざけっ……」
怒気を孕んだ言葉と共に残された腕が振り下ろされる前に、神託の杖を横に薙ぐ。
それだけで、彼の者の胴体が光と散り、残された身体も光となって拡散して消えていった。
「御無事ですか」
「はい。このまま進みましょう」
「はっ!」
現場の指揮をしている衛兵の代表が指示を出していく。
このままいけば、こちらの方は街の外まで敵を押し戻すことができるだろうと判断して、一時だけ歩みを止めて北に視線を向けて<<遠見>>を使う。
俯瞰したその先では、丁度ビダン様が魔族と相対していた。
その様子を見て思う。
わたくしでは、あの魔族には勝てません。
纏う魔力の禍々しさでわかる。
あの相手の桁外れの実力は、人間が個で相手にできるものではない。
どうかご無事で。
届かない声を、心の中で呟いた。
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