毒はむ姫と白い花

夕藤さわな

第1話

 イオを見送った日も曇り空だった。


「待っているから。絶対に帰ってきて」

「うん、マーガレット」

 光の加減で紫色にも見える銀の髪を揺らして、イオは私の胸にしがみついた。私を見上げる紫紺の瞳は不安げに揺れていた。

 できることなら、このまま、ずっと抱きしめていたかった。大切なイオを、悪魔のような男に嫁がせるなんて耐えられなかった。


 イオが向かう王宮の主――若き国王は暴力的で、衝動的で、残虐な男だった。

 何十人の少女たちが嫁いで、無残な姿で帰ってきたことか。


 悪魔のような王の元になど、誰も嫁ぎたくないし、嫁がせたくはない。だが、拒んだり逃げたりしようものなら、家族はおろか村中の人が殺された。

 実際、十人の娘のために、十の村と千の村人が殺された。

 イオの母親は百の村を治める領主だ。領主の娘が逃げたら――百の村と万の村人が見せしめに殺されることになる。イオも、イオの母親もわかっているからこそ、拒むことも逃げることもできなかったのだ。


 王都から来た迎えの馬車に乗せられて、イオは悪魔が待つ王宮へと向かった。

 馬車が小さくなって、見えなくなって、あたりが暗くなっても。私は馬車が消えていった方角を見つめて、祈るように、両手を強く握りしめていた。

 女同士だ。私たちの関係は公にできるものじゃなくて。それどころか、いつか諦めなければいけないものだと思っていた。

 でも、もし彼女が無事に帰ってきたなら、なりふり構うのはやめよう。決して諦めたりはしない。そう、誓ったのに。


 祈ったところで無駄だと。神様なんていないのだと思い知ったのは、半年後のことだった。

 イオは――冷たい体で、私の元に帰ってきた。


 ***


 一月七日 十二時――。

 投与開始。口内塗布。五ミリグラム。


 十二時十五分――。

 手足の爪の変色を確認。根本から徐々に青。


 十二時二十五分――。

 多量の発汗。爪、紫。痛みを訴える。


 十二時三十分――。

 嘔吐。


 十二時四十分――。

 呼吸が浅い。呼びかけたが反応無し。


 十二時四十五分――。

 中断。解毒剤投与。


 ***


 私が生成した毒を飲んで三十分ほどで、彼女は不調を訴え出した。一時間後の予定だったが、危険と判断して早目に解毒剤を投与することにした。

 吐しゃ物で汚れてしまったシーツを取り替えるため、気を失っている彼女を抱えあげて隣のベッドへと移した。服も下着もつけていない彼女の肌を濡れタオルでさっと拭って、ベッドに横たえると毛布を肩までかけた。

 ほんの少しの体の変化も見逃さないためにと毒を飲む前に、すべて脱がせていた。最初は恥ずかしがっていた彼女だったが、毒の影響が出るとすぐにどうでもよくなったようだ。

 ベッドを移されても、濡れたタオルを肌に当てても、彼女は目を覚ますことも身じろぎもしなかった。それでも解毒剤が効いてきたのか。血の気のなかった頬に赤みが戻ってきた。首に指を当てると、脈も呼吸も、ずいぶんと落ち着いてきていた。

 ほっと息をついて、私は手の甲で彼女の頬を撫でた。


 私の母は悪魔のような若き王の専属医になるまで、この村で小さな診療所を営んでいた。

 父は私が生まれてすぐに事故で亡くなった。女手一つで、母は私を育て上げてくれたのだ。

 最初は自宅の一部を診療所として使っていたけれど、領主であるイオの母親がお金を出してくれて自宅の隣に診療所を建てた。

 診察室と入院用ベッドが二つあるだけの小さな診療所。でも村の人たちを診るには十分な広さだ。

 母が王宮に呼ばれたのは五年前のこと。当時、私はまだ医学生だった。母は村で唯一の医者だ。断ろうとしたのだが、イオの母親――領主様が頭を下げに来た。娘を嫁がせることを拒んだ家族と、その家族が暮らしていた村が焼き討ちにあったと知らせが届いたらしい。

 ただの村医者でしかない母が王宮に呼ばれたのも、代々、王家に仕えていた医師の一族が皆殺しの目にあったからだ。一人の医師が若き国王に意見したらしい。

 村の人たちを危険にさらすわけにはいかない。領主様に頼まれ、母は一人、王宮へと向かった。


 それから、四か月――。

 何があの悪魔の気に障ったのか。母は、体をバラバラに切り刻まれた姿で帰ってきた。


 悪魔に殺された母の代わりに、学校を卒業したばかりの私が診療所を継いだ。医師として、ほとんど経験のない私に診てもらうなんて、村の人たちは不安だっただろう。それなのに村の人たちは新米医師の私を信じて、頼ってくれた。

 だと、言うのに――。

 私は二年もしないうちに診療所を閉めてしまった。


 今、彼女が横になっているベッドも、この病室も、元は診療所のものだ。今はすべての窓に暗幕を下ろしていて、灯かりをつけても薄暗い。

 母がやっていた頃はレースのカーテンから優しい光が入り込んでいたのに。診察室にも病室にも、村の人たちの笑顔があふれていたのに。

 母が守りたかったのは、そういう場所だ。

 毒を生成し、まだ幼さの残る少女に飲ませ、淡々と記録を取るような。冷徹な実験場所として、私に診療所を残したわけじゃない。

 わかっている。わかってはいるのだけれど――。

「ごめん、母さん」

 それでも私は――悪魔のような若き国王を殺してやりたいほどに憎んでいるのだ。


 ***


「お邪魔するよ、マーガレット」

 そう言って、領主様が診療所にやってきたのは一年ほど前の、夜遅くのことだった。


 彼女は領主らしい品の良いスーツ姿だった。見るからに値の張りそうなスーツが不釣り合いに見えたのは、青ざめた顔とこけた頬のせいだろう。

 以前よりも髪に白いものが目立つようになっていた。威厳に満ちた琥珀色の瞳も、すっかり弱々しいものになっていた。私や、周囲への負い目が彼女から生気を奪っていた。

 領内からはすでに二十人近い娘が若き国王に嫁ぎ、犠牲となっていた。母のように出仕させられ、殺された人たちも相当数いたと聞く。


 村のため、領内のため。どうか若き国王の命に背かないでほしい――。


 領主様は、そう言って領内の人々に頭を下げてまわっていた。死にに行ってくれと頼んでいるようなものだ。それを承知で、彼女は領主として頭を下げてまわっていた。

 自分の娘も、すでに五人のうち四人があの悪魔に殺されていた。


「どうして、私の娘は皆、紫紺の瞳と銀の髪をしているんだ」

 私の母と領主様は学生時代からの親友だったらしい。

 三人目の娘を王宮に見送った日。彼女は遅くに診療所にやってくると、母の胸に抱き付いていた。母に亜麻色の髪を撫でてもらって。領内の誰にも、きっと家族にも見せたことがないだろう、ぐしゃぐしゃの顔で泣きじゃくっていた。


 若き国王に選ばれる娘は決まって、紫紺の瞳と銀の髪の娘だった。この国で美しさの象徴とされる瞳の色、髪の色だ。

 多くの人々は琥珀色の瞳、亜麻色の髪。あるいは灰色の瞳、黒い髪をしていた。紫紺の瞳、銀の髪は三十人のクラスに一人いるか、いないか程度だ。母や私のように黄色い瞳、白い髪は数百人に一人と珍しいけれど、美しくないと貴族や王族たちからは嫌厭けんえんされていた。

 ただ、若き国王が紫紺の瞳、銀の髪の娘にこだわるのは美しさだけではなかった。先王と王妃――つまり、若き国王の両親は共に紫紺の瞳、銀の髪だった。

 二人そろって馬車に乗り、銀の髪を風に揺らし、紫紺の瞳を穏やかに細めて国民に手を振る姿も。二人が微笑み合う姿も。まるで絵本の一ページのように美しかった。


 だが、若き国王は琥珀色の瞳、亜麻色の髪だった。


 珍しいことではない。

 紫紺の瞳、銀の髪があまり生まれないのは劣勢遺伝だからだ。王妃の祖父母は琥珀色の瞳、亜麻色の髪だったという。優性遺伝である色が出ただけのことだ。

 だが、若き国王には――選ばれた者の子だという自負のある男には、それが許せなかったらしい。劣等感が彼を突き動かしていた。


 先代の国王は神と共に魔族と戦った英雄だった。領主様のお父様も、先王に付き従った騎士の一人だったそうだ。

 魔族討伐に尽力し、大きな功績を上げた英雄に、神々は自分たちの力の一部を分け与えた。清廉な精神に見合う、強靭な肉体だ。寿命こそ普通の人と変わらないが、治癒力は神のそれと同等のものが与えられた。

 剣で腕を切り落とされても、切られた断面をくっつければ物の数分で治った。毒を飲んでも腹を裂いて内臓を取り出し、洗って、腹の中に戻せば治った。

 奇跡の力は、しかし、若き国王が玉座についた瞬間から恐怖の力に変わった。

 これまでに何十人、何百人もの人たちが若き国王を殺そうとした。

 国や国民のため、暴挙を止めようとした騎士が。生きて帰りたいと願う娘が。娘を殺され、憎悪に突き動かされた親が。恐怖に耐えきれなくなった大臣が。

 何度も、何度も、何度も――若き国王を殺そうとした。

 だが、首を切っても、心臓を突き刺しても、毒を盛っても、高い高い塔の上から突き落としても。若き国王はどうしても死ななかった。殺せなかった。


「こういう状況を、先代たちは予想していたんだろうな。……マーガレット。これが何かわかるか」

 領主様が差し出した小さなメモに目を通して、私は青ざめた。理解したことを、私の表情から察したのだろう。領主様は唇の片端をあげた。ランプの明かりに照らされた表情は、どこか狂気染みて見えた。

「これを、何に使うつもりですか?」

「何なのかがわかれば、何に使うかもわかるだろ」

「誰かを、殺すつもりですか?」

「決まっている。あの男だ。悪魔のような、あの国王を殺す。私から娘も、大切な親友も奪った悪魔を殺す」

 そう言って、ぐっと顔を近づけた領主様は無表情だった。

「あの悪魔は紫紺の瞳、銀の髪の子が生まれるまで、国中から紫紺の瞳と銀の髪の娘をめとり続ける。だが、いまだにあの男には一人の子もいない。色目を使ってくるだの、怯えた顔をしているだの、反抗的だのと言って嫁いだ娘をすべて殺しているからだ。あの悪魔の気に障らない娘など、この世に存在するものか。

 あぁ、そうだ。すっかり話が逸れてしまった。娘だ。私の娘の話だ。

 マーガレット、お前はもうわかっているのだろう? そこに書かれているのは毒の生成方法だ。“神殺し”という名でね。私の父が、もしものときのためにと神から託された毒なのだ。

 普通の人にとっては、ただの毒だ。解毒剤を投与しなければ、いずれは死に至る、普通の原形質毒性型の毒。ドクツルタケやテングタケモドキを食べた村人を診たことがあるか? 激しい腹痛、嘔吐、下痢、脱水症状、肝不全、腎不全、肝性脳症……そういった症状を引き起こす毒だ」

 丸椅子から立ち上がった領主様は目を爛々と輝かせ、口元には笑みを浮かべ、薄暗い天井を見上げ、診察室内をぐるぐると歩き回りながら語り続けた。

「だが、悪魔には激しい腹痛も嘔吐も下痢も現れない。神の力によって何の痛み感じず、ただ内臓だけは侵され、いずれは機能を停止する。自分が毒を盛られていたと気付くこともないまま、死んでいくそうだ」

 くくっと喉を引きつらせて笑う領主様を、私はぼんやりと見上げた。品が良く、お茶目で、領主とは思えない気安さで母や私や、村の人たちを守ってきた女性が、狂ったように笑っていた。

 大切な人たちを奪われたときの欠落感は、私にもわかっていた。狂って、一線を踏み越えて、人であることをやめてしまいたくなる気持ちも。

「この毒は熱に弱いようですね」

 メモを見つめ、書き物机に頬杖をつく私を見下ろして、領主様はぴたりと動きを止めた。まじまじと私を見つめたあと、

「あぁ、料理に混ぜることはできない」

 丸椅子に腰かけて、静かに頷いた。

 この国はいつでも灰色の曇り空が広がっていて、気温はあまり高くならない。魚や野菜を生で食べる風習もない。飲み物もそうだ。必ず火を通し、温かいまま食べるし飲む。

 何人もの人たちに命を狙われてきた若き国王は、少しでも常と違うことがあれば警戒する。目新しい料理や飲み物を出すことはできない。

「だから、私の娘を使おうと思う」

 領主様の目には理知的な色が戻っていた。だからと言って、一線を越えることを踏み止まったわけではない。私という仲間を得て、意思の疎通が必要になった。ただ、それだけだ。

「五人目の娘は、もうすぐ十五才だ。十六になれば、あの悪魔から嫁ぐよう命じられるはずだ。毒への耐性をつけさせ、夜ごと、あの悪魔に毒を盛らせる」

「わかりました。明日から生成に掛かります」

「村の人たちには治療が必要なら私の邸に来るよう伝えておく。診療所は閉めろ。このことは、誰にも知られてはならない」

 私は黙って頷いた。母から受け継いだ診療所を閉めることに、なんの躊躇もなかった。

「生成したものを試す必要があるだろ。必要になったら連絡しなさい」

 領主様が何をしようとしているのか、薄々、わかっていた。わかったうえで、

「よろしくお願いします」

 そう答えた。

 私もまた、人であることをやめてでも大切な人を奪ったあの悪魔を、殺してやりたいと思ったのだ。


 ***


 ベッド横の書き物机に向かっていた私は、

「ん……」

 小さな声に顔をあげた。

 銀の髪を揺らして、彼女が半身を起こしたところだった。ゆっくりとまばたきをして、紫紺の瞳がじっと私を見つめた。ずいぶんと顔色は良くなったけれど、動きが緩慢だ。まだだるさが残っているのだろう。

「私、どれくらい我慢できた?」

「四十五分だ」

 私の短い答えに、彼女は困り顔で微笑んだ。

「あちゃー、全然、目標に届かなかったね」

 当初、一時間後に解毒剤を投与する予定だった。ぽりぽりと頬を掻いていた彼女は、はっと目を見開くと慌てて毛布を掻き抱いた。自分がまだ裸であることに気が付いたらしい。

 顔を真っ赤にしている彼女に、下着と白のワンピースを手渡すとベッドのまわりのカーテンを閉めた。

「今日は初めてだったからな。それに我慢をする必要はない。無理をして死んでしまっては元も子もない。徐々に慣らして、毒への耐性をつけていくんだ」

 衣擦れの音をカーテン越しに聞きながら、私は言った。淡々と、ろくでもないことを。だというのに、

「わかった!」

 彼女は無邪気に、力一杯、答えた。

「私、頑張るから。母様やマーガレットのためにも。姉様たちやマーガレットのお母様のためにも」

 カーテンが勢いよく開く音がしたかと思うと、

「だから、マーガレット。一年間、よろしくね!」

 紫紺の瞳を細め、銀の髪を揺らして。白いワンピース姿の、まだ幼さの残る少女は天使のような笑顔でそこに立っていた。

 暗幕で目隠しをした薄暗い診療所に、一瞬、暖かな光が差し込んだような気がして。私は小さな彼女を見下ろして、目を瞬かせた。

 せめて彼女のわがままを聞けるだけ聞こう。目一杯、お姫様扱いしよう。

 ふと、そう思ったのだった。

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