いい日わるい日、揚げたてに

電楽サロン

揚げたてな僕ら

6月8日天気:雨

 妹の葬儀が終わった。病院に駆けつけてから、葬儀会社との打ち合わせ、出棺。眠るヒマもなく過ぎていった。通夜が終わって、久々に会った友人に心配された。その流れで日記を友人に勧められた。感情の整理のためにはアウトプットが大事なんだそうだ。今日から書いていく。

 「事故死です」と珍しくもなさそうに看護師は言っていた。帰り道に煽り運転の車を避けようとして、街路樹に突っ込んだらしい。いまだに運転手は特定できず、このままだと有耶無耶になってしまうのだとか。あまりに寝覚の悪い終わり方だ。一方的な悪意で、こっちはマユコを失っているというのに。この場に犯人がいたら殺してやるのに。

 ああ、だめだ。


 酒を飲むと感情が出てよくない。今日は終わりにする。


6月9日天気:雨

 気がつくと妹との思い出を振り返っている。皿を洗っても、飯を食べてもマユコマユコ……。それで今日はバイトでやらかした。注文の品を間違えて客に怒鳴られた。店長が話をまとめてくれたけど、申し訳なさでいっぱいだ。始めた頃のミスを繰り返して、自分の不甲斐なさで嫌になった。店長は、妹のことで気を遣ってくれたけど、逆に申し訳なかった。

 仕事中お客の顔はずっとこっちを向いていた。オーダーを取るときも、プレートを運ぶときも客の目はカメラレンズみたいだった。


6月10日天気:くもり

 ボールペンを買いに本屋に行った。黒の0.5mmのジェットストリームを探していたけど見つからず、2軒目で買った。インクのついでにカドケシを久々に見つけた。消しゴムの角で何度でも消せるカドケシは、小さい頃マユコが好きでよく使ってた。公文の景品で、貯めたポイントでマユコにあげたのを思い出した。インクのついでに買って帰った。


6月12日天気:晴れ

 昨日は低気圧で何もできず、日記も休んだ。

 今日は病院から電話がかかってきた夢を見た。看護師が早口に事情を伝える声と、後ろでストレッチャーが過ぎてく音が耳から離れない。

「イグチさんですか」

「はい」

「至急来てください。妹さんがこちらに運ばれています。場所は赤坂の葛山病院です。事態は一刻を争っています。」

 病室には包帯でぐるぐる巻きにされたマユコが寝ていた。声をかけようとすると、包帯はじわじわと赤みを帯び、紅白の斑に変わる。微かに見える唇がぱくぱくと同じ動きを繰り返す。

 「じゃーね」と言っていた。

 あれからまだ、事故の話が進んでない。明日確認する。


6月13日天気:晴れ

 今日はバイトを休んで、警察署まで行ってきた。警察は曖昧な返事ばかりだった。なんども食い下がったが、警官の答えは変わらなかった。

 帰る途中、ゴミ捨て場で段ボールに入ったボーリング球を見つけた。誰かが粗大ゴミで捨てたのだろうか。その箱には「この子をお願いします」とだけ書かれていた。

 捨て犬が運良く拾われて、後からボーリング球を入れたのかもしれない。

 気になって持ち帰った。余ってるビニール袋に入れてエレベーターに乗ったら、スイカに似てるなぁと思った。試しに部屋でボーリング球を抱いてみた。ずっしりとした重さがなんとなく生きてる風に感じる。もしマユコが生きてたら、甥や姪をこんな風に抱けたのだろう。そう思うと涙が止まらなかった。


6月14日天気:晴れ

 あの客が今日も来ていた。注文を取ろうとしたら、客はいきなり頭からお冷を被って「こいつがかけやがった!」と怒鳴り散らした。運がいいことに、近くのお客さんが店長に事情を説明してくれて、何とか収まった。同僚が客の話を聞いてくれたけど、その間も「殺す」「早く辞めさせろ」と言うのが聞こえてきた。

 客の眼はこっちに向いていた。自分が100%悪くないと思ってる眼だ。人は自分が見たい景色を見るのが好きだから、あの人も「都合よく自分に危害を加えるウェイター」で見てるんだろうな。

 マユコはどんな風に見ていたんだろう。もっと生きてる時に話していればよかった。「後悔しても何も始まらない」と言うが、これだけが妹との繋がりになってしまった。


6月15日天気:曇り

 すごいことが起こってる。バイトから帰ったら部屋の奥で異音がしていた。パチ…パチパチと薪が燃えるみたいで、火事だと思った。血相を変えてコンロを調べても火種はない。耳を澄ますと、音は布団から聞こえていた。

 おそるおそる布団をめくると、朝と同じ場所にボーリング球があった。見た目は何も変わらなくても、明らかに音は大きくなり、薄氷が割れるような音に変わってきてた。

 今、球が目の前にある。はじめよりパキパキ音が多くなってきていて、触ると小さなゴムまりが跳ねてるような感覚がした。まだ見た目に変化はない。朝まで観察する。

へんかはなし。


かわりなし。


われた


6月16日天気:晴れ

 目が覚めたらボーリング球は、上部分が崩れて茶色い雛が覗いていた。鳴き声が聞こえないので球を揺すると、中の雛も揺れるだけだった。とくに動く様子がない。帰ったらまた書く。


 割れたボーリング球の横に、見慣れないものが落ちていた。

 大ぶりのタワシくらいのサイズに、ざらざらした触り心地、きれいな狐色。

 コロッケだった。

 きのう食べた記憶はない。球を覗くが何もない。

 ボーリング球からコロッケが孵った。そういうこともあるのだろう。触れてみると、かなり熱かった。揚げたてだ。食べようか迷ったけれど、もう少し観察をする。とりあえず小皿に置いて冷蔵庫に入れた。

 


6月17日天気:晴れ 

 冷蔵庫に入れたコロッケはまだ熱を帯びていた。箸で摘むと〈衣〉にあたる部分がピクピク動き、しばらく隆起と陥没を続けていた。

 それは怒ってるようにも見えた。

 それほど嫌だったのか。少しだけ可哀想だったので、小皿にティッシュを敷いて、食べ残した柴漬けを載せておいた。


 今日はもう一つ驚いた。西友の出口で友人に会った。通夜以来に会う嬉しさと、驚きでどもってしまった。手短だが日記をつけてることや、近況報告をした。ボーリングの件は、また疑われても嫌なので言わなかった。

 代わりに、妹の事故について警察が取り合ってくれないことを話す。友人は「また今度聞かせて」とだけ言った。別れ際にあさって会う約束をした。


6月18日天気:雨

 朝起きると、皿の柴漬けがきれいさっぱり無くなっていた。代わりにコロッケからピンクの突起が生えていた。箸で触るとコロッケはまた〈衣〉をピクピクと動かして抗議した。

 

 18時。突起は先が分かれ発達していた。そして、心なしかコロッケの大きさがタワシからグローブくらいになっていた。ずんぐりとした体に小さな手足がついた姿は、胎児を彷彿とさせる。明日起きたら、おぎゃあおぎゃあと騒いでいたらどうしようか。

 今日はイカフライを皿に置いた。


6月19日天気:雨

 くずめくずめくずめくずめ よくもこわしたな くずめくずめくずめくずめ あいつがゆるせない ぜんぶぜんぶおれからうばった うそつきおまえおれじゃない 

おれがわるかった

おまえもわるい

きらいだみんな まゆこあしたはどこにいこうか ころっけでもたべにいこか ころっけころっけふふふふ きゃべつにごはん ころっけそえてみんなだいすきころっけだいすきふふふふふ 

 かえせかえせかえせくずめくずめくずめくずめよくもこわした かえせかえせくずめくずめくずめくずめ くずめくずめくずめくずめ とったものはみみをそろえてかえしましょう くずめくずめくずめくずめ みんなみんなゆるさない しぬのはいっしょまたあいましょうまたあいましょうみんなでどうそうかい 

たのしいぶんかさい

ぎたーをひいて

うたって

さわいで


 この日が私とイグチ様の小さく大きな一歩だったのでしょう。

 申し遅れました。私、イグチ様に些末な命をお救い頂いたカニクリームコロッケマンでございます。

 私のことはさておき、この日の出来事は、ハッキリ覚えております。イグチ様はいつになくお酒を召し上がっていました。ばぁん、と玄関扉を開けると、煩いとドアを叱り、履き潰した靴につまづけば唾を吐きかけました。

 普段の冷静なイグチ様ではまずあり得ません。床に転がったペットボトルを蹴飛ばし、壁を殴りつける。リモコンを床に叩きつけ、プラスチックカバーが割れるまで踏みつけていました。

 ここまで書いて、皆々様にお申しあげたいのは決して私はイグチ様の評判を落としたい訳ではないということでございます。

 イグチ様の斯様な振舞いには理由があるのです。

 人には触れてはならぬ記憶というものがあります。皆々様にもお心当たりがあるでしょう。イグチ様にもありました。

 イグチ様は高校時代、ギターを嗜んでいらっしゃっいました。ということは軽音部?いえ。イグチ様は茶道部でした。茶道に興味があるのではなく、軽音部にいつか入るまでの中継ぎとして身の置き場を選んだにすぎません。

 こうしてイグチ様の学生生活は幕を明けました。そして1度目の文化祭が過ぎて、マユコ様がご入学し、2度目の文化祭が過ぎ……。

 結局、イグチ様は軽音部にご入部されたのでしょうか。否です。茶道部のご学友とわずかに交流していましたが、ギターが日の目を見ることはありませんでした。

 3年の文化祭の後夜祭。テーマソングを高らかにステージで歌い上げるのは金髪に染め上げ、クラスTシャツを着た青年。それはイグチ様ではありません。ご学友の皆様が口ずさむのは、イグチ様のお考えになられたフレーズではありません。マユコ様の眼に映った姿はイグチ様ではありません。

 この時の経験は、後のイグチ様の人生に影を落とすことになります。

 ある時、大きな地震が起こりました。当時、大学二年のイグチ様は、SNSに海外で起きた別の災害の写真を載せて、自分も被害を受けたふりをしました。これは瞬く間に拡散され、閲覧数はうなぎ登りとなったのです。イグチ様は、周回遅れの青春を取り戻しました。頭にクリームの詰まった私には羨ましいものです。

 イグチ様に集う数万の注目は、一高校では叶いませんでした。イグチ様を心配する声は、干からびた自己顕示欲の大地に露となり降り注ぎました。

 しかし、償いの時は来ます。イグチ様の嘘を見抜く者はひとりふたりと増え、イグチ様を断罪せよという声も大きくなりました。可哀想なイグチ様。イグチ様の個人情報は、有志によってすぐに特定され、退学するまで時間はかかりませんでした。

 正義の棒を持った人々に加減はありません。マユコ様のSNSアカウントには誹謗中傷罵詈雑言が押し寄せ、「屑兄」「恥晒し」ここでは書けないような罵倒もありました。イグチ様のお宅には封筒に詰められた烏の生首詰めが送られてきました。

 耐えきれなくなったご家族は、イグチ様を勘当します。イグチ様に弁明の機会は与えられません。見上げた曇天はイグチ様の未来そのものでした。

 それから5年の時が過ぎました。

 その日も曇りでした。バイトで疲れきったイグチ様は、マユコ様を見かけます。喫茶店で本を読むマユコ様。あれからスマートフォンに触れられなくなっているようです。向かいの席には、男物の財布が置かれています。その主がお手洗いから戻ると、マユコ様は彼に笑いかけます。イグチ様は彼を知っていました。ギターをかき鳴らし、後夜祭で歌っていた軽音部の青年。

 あなただったのです。

 こうして私が現れ、この文章を自らの手で書くはめになるとは夢にも思わなかったでしょう。片腕が無くなっても、あなたには書き続けて頂きます。申し訳ありません。


 2人が喫茶店から出るまで待つと、イグチ様は久しぶりに見る妹様に声をかけました。その時の、マユコ様のご様子と言ったら筆舌に尽くしがたくあります。過呼吸で小さくうずくまるマユコ様へ「ひさしぶり」の5文字すら伝えられませんでした。

 それからイグチ様は二度とマユコ様に会えませんでした。

 マユコ様は次の日、首を吊りました。苦難を乗り越え、快方に向かっていた妹様に救いはありませんでした。

 あなたは病院に駆けつけたイグチ様を罵り、路上に突き飛ばしましたね?「マユコの葬式に顔を見せるな」と顔を蹴り上げましたね?イグチ様の鼻から溢れる血を、あなたは見ましたね?

 お話は6月19日に戻ります。居酒屋にイグチ様を呼んだあなたは、驚いたことでしょう。以前の怯えた様子もなく、あなたに友人として接するイグチ様に恐怖すら抱いたと存じます。

 マユコ様の死は、イグチ様を狂わせました。

 日記中ではあなたを友人とし、マユコ様の死因は事故死。努めて真人間のふりをしました。お客様同様、イグチ様も自分の見たい景色の殻に閉じこもってしまったのです。

 それなのに、ああ可哀想なイグチ様。間が悪くも私を見つけてしまうなんて。現実と虚構のバランスは、超自然現実の私の登場により、崩れてしまいます。

 そして追い打ちにあなたは、マユコ様の日記を見せつけました。書かれていたのは、人生を壊した兄への憎しみでした。大学に入っても「あの時晒されてた人」と嘲笑されたこと、あなたとお付き合いする前の彼と兄が原因で別れたこと。積み木を重ねるように淡々と書いていました。

「お前がマユコをおかしくした」「ちがう」「現実と向きあえ」「やめてくれ」

 イグチ様は髪をかきむしり、目に星が飛ぶまで自分の頭を殴りつけました。あなたは容赦なく問い詰めます。恋人を死に追い込んだイグチ様に、日記を音読させました。

 「人生をかえせ」「次」「どうしてアレはわたしより先に生まれてきたのか」「次」「アレと似た目尻が嫌い」「もう一回」「アレと似た目尻が嫌い」「もう一回」「アレと似た目尻が嫌い」

 ぷつん。とイグチ様は糸が切れてしまいました。そこからあっという間でした。レモンサワーをぐびりと飲み干し店を飛び出、部屋に着く頃には破壊衝動の塊と化していました。

 砂城の妄想を崩され、自暴自棄の極地に至っていたのでしょう。マユコ様の死をもう一度見返す強度はイグチ様に残っていませんでした。

 リモコンを踏み割り、電気スタンドを蹴倒すと、矛先は鏡に映る自分へと向きます。

 まず、割れた皿を手首にあてがうと、びっと線を引きます。そして、怒りと妄想の攪拌された呪いのスムージーのような文を書き連ねます。鼓動に合わせて血液がトプトプと吹き出ます。机にじわじわ赤色が広がるにつれ、眠気がさします。イグチ様は、破片を腿にざくざくと刺すと、熱さに眼を覚ましました。傷口は小さい唇となり、ごぽり、ごぽりと命を吐き出します。そしてまた、イグチ様は日記に呪詛を撒き散らします。

 やがてイグチ様は固まりました。電池を抜いた人形のように、ペンを持ったまま動かなくなったのです。

 私は全身を震わせます。全身の皮膚の隆起を繰り返すことで悲しみを伝えました。

 残された幼い私は何をするべきか。半日考えた末、イグチ様の体内に入ることにしました。

 まずは、半開きの唇を持ち上げます。半日で私の指は成長し、開けるのは容易でした。唇の裂け目に現れた仄暗い穴に体をねじ込みます。死後硬直は私の侵入を阻み、歯たちは主人なき城を守る番兵として立ち塞がります。身を裂かれ、みちち、と指の一本がちぎれてしまいました。

 硬口蓋の天井と、ヤスリ付き粘土のような舌の部屋はひんやりとした棺桶内を彷彿とさせます。ああ、死後はひとりぼっちなのでしょうね。

 私は弾性を失った頬肉に指を沿わせます。ですがご安心ください。私がイグチ様の門出に寄り添いましょう。細い繊維の束をぶちちと切っていく感覚が指に伝わります。

 指の先から頬肉を取りこむと、ピカリと光景が過ぎていきます。哺乳瓶、手、毛布でした。

 舌を取り込むと、過ぎていきます。アスファルト、滑り台、運動靴でした。

 イグチ様を取り込むたび、断片が体を駆け巡っていきます。

 ひとかじり。卒業証書と、壊れたギター。

 ひとかじり。マユコ様のお写真、〈削除〉に伸びる指。

 ひとかじり。血痕、割れた皿、コロッケ。

 イグチ様の人生を一周すると、私の体は異変を来たしていました。以前はひ弱な指は、骨の通った肩、腕、脚、腰に変わり、手のあるべき部分には頑健で重厚な甲殻のハサミが備わっていました。

 私はカニクリームコロッケマンになったのです。

 この時の、高揚感と言ったらありません。イグチ様の意志を私が継げたのですから。脚二本で江ノ島だって走り回れます。浜辺に寝そべる海水浴客の腹にハサミをねじ込むのも思いのままです。

 こうなれば、行くべき場所は一つでした。床に落ちた親指の爪をひとかじり。私はあなたの家まで来た次第です。 

 イグチ様は、自分の怠惰を棚に上げて世の中を呪いました。

 イグチ様は、血汁を撒き散らしながら、地球に一雫の悪意を垂らしました。

 それが私です。カニクリームコロッケマンです。皆々様に、あまりにも身勝手なご無礼を果たすことをお許しください。

 朝靄に紛れてハサミを首にかけます。

 昼下がりの公園にお邪魔します。

 夕暮に伸びる影は片足です。

 夜霧をかき分け切断します。

 

 呪われた皆々様が消えるその日まで、私は皆々様をお訪ねします。

 

 長々とお付き合い頂きました。

 左腕で終わってましたね。

 次は右腕です。

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