第2話 天体観測
「天城 芽衣子?そんな名前の生徒はこの学年にいないぞ」
担任の村上は首を横に振った。
「他の学年にはどうですか?」と再度尋ねてみても、やはり答えは「知らない」の一点張りであった。
先生は嘘をついているわけではない。
「天城」なんて苗字はそういるものでもなく、日本の中でも珍しい部類の苗字だ。
そんな苗字の生徒がいれば、いやでも覚えてしまうだろう。
だが、僕が見たのは間違いなくここの生徒であった。
確証はないが、ここの生徒の制服をきていたのだから間違いはない。
部外者がわざわざうちの高校の制服を着て、図書館に来るなど、とてもじゃないが信じられない。
では、一体「天城」とは誰なのだろうか。
もしかしたら、あの女の子の苗字は天城ではないのかもしれないし、同一の本を別の図書館で読んだことがあって、それを僕に進めた可能性だってある。
きっとそうだ。そうに違いない。
たまたま僕の本を借りる場面に遭遇しただけなのだろう。
僕はその日から、注意深く生徒を観察するようになった。
普段は2年生の僕は、当然勝手に1年生と3年生の教室に行けるわけでもないので、ただひたすらお昼休みなどに校舎をうろちょろしながら観察し、意味もなく放課後に図書館に行ったりもした。
だが、彼女に会うことはできずに、あっという間に1ヶ月が過ぎた。
もはや、自分の精神も擦り減らしてしまい、とうとう僕は観察をやめた。
観察をやめた金曜日の夜のこと。
僕は望遠鏡を片手に、『東光町森の丘公園』へと行った。
この公園は、なだらかな丘の上にある公園であり、ここから東光町の景色が一望できると、地元民しか知らない夜景スポットとなっていた。
僕は芝生の上にレジャーシートを引き、小型望遠鏡を設置する。
悴んだ手にポケットカイロを握りしめながら、小さなレンズから夜空を覗いた。
砂時計の形をしたオリオン座のちょうど下半分の位置にレンズを向ける。
そこには小さな3連並んだ小三ツ星があり、すこしづつ倍率を上げていった。
この星はM42、M43と呼ばれる星で、そこにはオリオン座大星雲が佇んでいる。
赤い蝶が大きく羽を広げた美しい様に、僕は思わず息を飲んだ。
こんなにも美しいものがある夜空を、僕はなぜ気づきもせずに素通りし続けていたのだろうか。
もう何分もレンズに瞳を付け続けている。
ふいに、僕は肩をポンポンと叩かれた。
だが、そんなことは気にもせず星を見続けていると、耳元で「ねぇってば」という女性の声がし、僕は思わず驚いた。
レンズから目を離し、後ろを振り向くと、そこには図書館で見た女の子がいた。
「久しぶりね、桐谷くん」
「あ、天城さん……?」
長い黒髪に、サファイアのような青い瞳。
制服姿の彼女はにっこりと笑い、僕の目を見つめた。
突然の再会に、僕は戸惑った。
話す言葉が見つからないとあたふたしていると、彼女は僕をどかし、望遠鏡を覗いた。
「オリオン座大星雲っていつみても綺麗ね」
その声は、とても柔らかく、そして遠くの何かを慈しむようなものであった。
「天城さんは星が好きなの?」
僕はようやく捻りだした言葉を投げかける。
「うん」
彼女は一言だけ、答えた。
澄んだ空気が、僕らに冬の温度を運ぶ。
ふと、僕は夜空を見上げる。
そこには、一筋の流れ星が見えたような気がした。
◆
「桐谷くん!これ見て!」
小高く上がった丘の斜面に広がる草原に設置した小型望遠鏡を込みながら、天城が僕を呼んだ。
1月の寒い冬空の下、僕は凍える体をゆっくりと動かし天城のもとへと向かう。
「なにが見えたの?」
「綺麗な青い星群が見える!」
天城は興奮気味に答え、あいも変わらず小さな体を丸め込み、その青い瞳で望遠鏡を覗いている。
「僕に変わってくれてもいいんじゃないか?」
天城の言う青い星群が気になるが、彼女はかれこれ一時間も夜空の星に釘付けになっているものだから、僕もいい加減暇を持て余してしまった。
「もう少し、もう少しだけ!」
なにがあと少しなのかはわからないが、天城は僕が顔を近づけると、望遠鏡を取られぬよう近づけた僕の顔を手で払った。
僕はその行動に拗ねてしまい、斜面の上にあるベンチにまで登り、ゆっくりと腰を掛けた。
このベンチから見える景色は雄大で、街の景色を一望できる。
街は白やオレンジの街灯が煌びやかに照らされ、その上にはポツポツと白い星々が夜空の黒に小さな穴を開けたような光を灯している。
それはまるで、宇宙の白色の光がこの地球に漏れ出しているかのようにも思えた。
その幻想的な景色に吐息をもらすと、ふわりと白い息が立ち上り、風と共に消えていった。
天城と再会を果たして、一週間が経っていた。
僕と天城はまたここで会おうと約束をし、今こうして東光町森の丘公園で天体観測を行っている。
彼女が僕の前に現わられる時は、決まって高校制服の姿であった。
そのことから同じ高校に在籍はしているというのはわかったものの、話を聞いてみると、肝心の彼女は通学はしていなかった。
どうも持病が原因で、リモートで授業を行っているらしいのだが、そこらへんは変にはぐらかされ、それが本当なのかどうなのかという真偽を確かめる術はない。
きっと詮索なんてしたら、彼女と会えなくなってしまうんじゃないかという怖さもあり、僕はそれ以上深入りをすることはなかった。
望遠鏡をまじまじと覗き込む、天城の後姿に思わず、心の奥底がくすぐられる。
なんでだろう。僕は思わず俯いた。
夜が更けるにつれ気温が少しづつ下がっていく。
僕はベンチのすぐ横の赤い自販機に目をやると、小銭入れを取り出し、暖を取るために甘ったるいカフェオレの缶を二つ買った。
缶の落ちるガコンという音がやけに響き渡るほど、あたりは静寂に包まれていた。
僕はそのまま温かいカフェオレを携え、天城のもとへと行った。
「飲む?」
「うん!」
「じゃあ一旦その望遠鏡から目を離せ」
「いやだ!」
「じゃあこれは僕が飲もうかな」
「それはダメ!」
天城はすぐさま望遠鏡から目を離し、僕の右手に持ったカフェオレを奪い取った。
やれやれと思いながら、僕らは一緒にそのカフェオレ缶の蓋を開ける。
カコンという音とともに、その飲み口からは白い湯気が立ち上り始めた。
その甘い湯気に誘われるように、僕らは缶に口をつけ、寒い夜空の下で温かい至福を味わった。
「なぁ、天城」
「なに?」
「なんでそんなに星が好きなんだ?」
僕は今更ながら、そんな質問をした。
「星はいつ見ても綺麗だし、なんかロマンチックじゃない?」
美しいという言葉は、果たして幻想的な光のことなのか、周期性の動きのことなのか、はたまた未知の宇宙への探求心なのか、今の僕にはそれを知る由はなかった。
そんなことを考えていると、僕たちのお腹がぐうという情けない音を上げはじめ、もはや空腹が頭の中を支配していた。
「なぁ、飯食い行かない?」
「いいね!食べたい!」
「じゃあラーメンでも食べ行くか!」
僕はそう意気込むと、天城を自転車の後ろに乗せ、市街地へと駆けていった。
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