後日談 元町人Aは年越し礼拝に参加する
リンゴーン、リンゴーン。
夜の帳がおりたヴィーヒェンの町に教会の鐘が鳴り響く。
今日は 12 月 31 日、一年の締めくくりの日だ。
そんな夜にヴィーヒェンは珍しく雪がちらついており、時折肌を突き刺すかのような冷たい風が視界の白を濃くする。
俺たちは今正装を身に纏い、年を
「こんな日に雪だなんて。冷えるね」
俺は隣に座るアナにそう声をかけた。
「そうですね。ですが私は雪が好きです。雪が降るから春の雪解け水があり、雪解け水があるから作物が育ち、民が飢えることなく生活できるのですから」
「うん。たしかにそうだね。それにアナにとって雪、というか氷はずっと身近な存在だったもんね」
「はい。幼少のころからずっと氷は私と共にあってくれました」
「俺も昔はわからなかったけどさ。氷も、雪も、本当は暖かいよね」
「はい」
そう言ってアナは俺の肩に頭を預けてきた。
ちなみに俺が暖かいと言っているのは聖氷魔法の事だ。もちろんアナの気分次第ではあるのだろうが、書類仕事が多すぎて肩や腰がこった時にたまにかけてもらうととても暖かいのだ。
ただ、これは俺よりも義父上の方が実感しているかもしれない。何しろ二日に一度はアナに治療してもらっているのだ。前世で娘に肩もみをしてもらう父親と同じようなノリなのだろう。
まあ、その肩もみが聖女様の神聖なる魔法な点はアレだが、血のつながった家族の話にとやかく言うのは野暮というものだろう。
リンゴーン、リンゴーン。
再び鐘の音が鳴り響く。
この鐘は俺たちの今向かっている大聖堂が鳴らしているのだが、なんと 108 回鳴らすのだそうだ。
王都にいた時は回数など気にも留めていなかったが、まさかのこれが除夜の鐘だったとは思わなかった。
もうすっかり忘れてしまいそうになるがさすがは乙女ゲームの舞台となった世界だ。
教会が除夜の鐘を鳴らすというのは不思議だとは思うが、風習として完全に根付いているのだから気にしても仕方が無いのだろう。
そして俺たち王族や貴族はそれぞれがひいきにしている教会で年越しの礼拝に参加し、その後市民たちが礼拝にやってくるというわけだ。
これは要するに、前世の言葉で言うなら初詣だ。これも風習として完全に根付いているのでやはり気にするだけ野暮というものだろう。
リンゴーン、リンゴーン。
再び鐘の音が鳴り響く。
そして馬車は静かに停車した。どうやら着いたようだ。
扉が開かれ、そして俺はアナをエスコートして馬車を降りる。
どうやらまた雪が強くなったようだ。
除雪にされているにもかかわらず降り積もった新雪が俺の足によって踏み固められキュッ、と音を立てる。
やはり外は寒い!
俺はアナの手を取ると足早に大聖堂の中へと入る。するとそこにはすでにヴィーヒェンに住んでいる貴族たちが既に集まっていた。
あとは義父上、義母上、義兄上の到着を待つばかりだ。
ちなみにこれは公式の場でもあるため母さんは参加しない。母さんは俺の母親ではあるものの、女公爵の配偶者の母親でありながら平民という微妙な立場であるため、義父上の計らいでこのような措置を取っているのだ。
俺たちは集まった人達と当たり障りのない挨拶と会話を交わしながら最前列の椅子へと向かい、そして腰かけると義父上たちを待つ。
大聖堂の内部はとても広く、火は焚かれているもののやはり寒い。手足の先の感覚が無くなりそうな中しばらく待っているとついに義父上たちが到着した。
「おお、先についていたのだな」
「はい。ですが先ほど着いたばかりです」
「そうか。まあそう緊張するな。時間が特殊なだけで普通の礼拝と変わらん」
「はい」
義父上はそう言って初参加の俺を気遣ってくれるとそのまま通路を挟んで反対側の最前列の席に着席した。
一家で座るという決まりなのだそうで、俺とアナの座っている椅子がアナがこれから興す新ラムズレット公爵家の席で、義父上たちが座っている椅子が王家の席という事になる。
新しくできた家族が少し離れてしまっているようで寂しい気もするが、これも貴族ゆえのしきたりというものなのだろう。
リンゴーン、リンゴーン。
再び鐘の音が鳴り響き、年越しの礼拝が始まった。俺たちの結婚式にも立ち会ってくれたあの神父様が挨拶をするとお祈りをし、そして聖書の一節から家族を大切にすることを説いてくれた。
普段の礼拝であればここでもう一度お祈りをして終了なのだが、年越しの礼拝ということで神父様がもう一節を教えてくれた。人の上に立つのであれば自分を低くしろ、と謙虚であることの大切さを教えてくれる内容だ。
リンゴーン、リンゴーン、リンゴーン、リンゴーン。
そうして神父様の説教を聞いているうちに鐘の音が激しく鳴り響いた。どうやら日付が変わったらしい。
「それでは新しい年の始めに神に祈りを捧げましょう」
俺は神父様の呼びかけにあわせて祈りを捧げる。
するとその時だった。突然目の前がふっと真っ白になり、ふわふわと宙に浮いているような感覚を覚えた。
なんだ? これは?
異常事態に思わず目を開けて周りを見渡すがやはり真っ白で周囲に誰かがいる様子はない。
「どうなっているんだ?」
思わず声を出した俺に声が聞こえてきた。
「私が君を呼んだんだよ。久しぶりだね」
真っ白な空間に緑の髪に金の目をした驚くほどのイケメンが突然現れた。
「風の、神様。お久しぶりです」
大恩人、いや、大恩神を前に俺は慌てて跪く。
「ははは。楽にしていいよ。君は見事に未来を変えてみせたね」
「神様のおかげです。あの時加護を頂かなければ今の俺はありませんでした。本当にありがとうございました」
「うん。君の知っていた結末にならなくて良かったよ。あの駄トカゲも今では立派な父親だ」
「はい」
「それでだね。君に、いや、君たちにちょっとやって欲しいことがあってね。祈りを捧げているみたいだからこうして呼んだんだ」
「俺たちにやってほしい事、ですか?」
「ああ。お、向こうは話がついたようだ。招待しよう」
風の神様がそう言うと突然アナと謎の美女が現れた。
「アナ!」
「アレン!」
慌てて俺がアナに駆け寄るとアナも俺に駆け寄ってきた。
「うん。夫婦仲が良い事は素晴らしいことだね。それで、お願いなんだけど、君たちには私たちの神殿を築いてほしいんだ」
「神様と、ええとそちらの女性は、女神さまなのですか?」
「アレン、あの方は氷の女神さまだ。風の神様と良い関係を築いておられるらしい」
慌てたアナがそう俺に教えてくれた。
「あ、そういうことか。女神さま。失礼いたしました」
俺がそう言って礼を取ると女神さまはニコリと微笑んだ。
「いいかい? 話を続けるよ。常に風が吹き常に氷のある場所に私たちを祀る神殿を建て、魔女が出現するきっかけとなった導きの杖を収めて欲しいんだ」
「あの杖を、ですか?」
「うん。今回の騒動を見てあの杖は人間には過ぎたものだったと思ってね。回収することにしたんだ。まさか聖女の資質のある者が自分のためだけにあそこまで強い願いを持つとはね」
そう言われて俺は久しぶりにエイミーの事を思い出した。たしかにあんな事になったのはあの杖があったからともいえるだろう。
あの杖さえ無ければあそこまで滅茶苦茶な事にはならなかったはずだ。セントラーレン王国は少なくともブルゼーニを失陥して東の国土をエスト帝国に蹂躙されることは無かっただろうし、そうであれば散らさずに済んだ命も多かったことだろう。
ただ、今の形に落ち着いたかどうかは不明だし、もしかしたら今もあちこちで泥沼の戦いを繰り広げていたかもしれない。
もしそうなっていればアナともこうして居られなかったかもしれないと思うと複雑な気分ではある。
「ははは。本当に君は奥さんが好きなんだね」
神様にそう言われるとアナが俺の手を握るその手に少し力が入る。
「ただ、あの杖は普通は君の愛する奥さんのような願いでなければそう簡単には聞き入れられないはずなんだよ」
それを聞いたアナはぱっと手を放し、そして恥ずかしそうに俯いた。俺はそんなアナの手をもう一度握って俺の気持ちを伝える。
神様はそんな俺たちの様子を気にした素振りもなく話を進めていく。
「自分のための願いというのはね。なかなか純粋にはなりにくいんだよ。人が自分の欲望のために願う内容は移ろいやすいものだからね」
「それはそうかもしれません」
よくわからないが、エイミーの場合は乙女ゲームの逆ハールートのエンディングに行くという確固たる目的があったからだろうか?
「もしかしたら君の思っている通りなのかもしれないけど、そうではないのかもしれない。だから回収して調べておきたいんだ。よろしく頼んだよ」
「はい。もちろんです」
俺の返事を聞いた神様は満足そうに頷くと女神様の肩を抱き、そして別れの挨拶をすることもなく神様たちの姿は消えた。
そして気が付けば周囲は真っ白な空間ではなくなっていた。俺の視界には見慣れた自分の足と大理石でできた床が見えている。
どうやら戻ってきたようだ。
俺が顔を上げると義父上達が俺の前に立って心配そうに見下ろしている。
「あ、義父上。アナは?」
「アレン……」
すると隣からやや困惑したような様子のアナの声がした。どうやらあの真っ白な空間に行く前と同じ場所に座っているようだ。
「二人ともようやく祈りが終わったか。そろそろ時間だ。雪の中待ちくたびれた民が凍えてしまうぞ?」
「そう、ですね。お待たせしました。さ、アナ」
「はい」
こうして俺たちは馬車に乗り込むと大聖堂を後にしたのだった。
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