田舎の駅

Kokos

田舎の駅

 人々を押さえつけるかのような厚い曇天を、私を乗せた電車は進む。冬の平日の朝の冷たい空気が、甲高いブレーキの咆哮ほうこうとともに、ドアが開いて流れ込んできた。どうせほとんど誰も乗り降りしないというのに、こんな小さな駅に止まる必要なんてあるのだろうか。乗客をいたずらに寒がらせるだけではないか。そんなことを、この鈍行列車に乗っているといつも思う。

 スマホでTwitterを眺めていたら、会社の最寄り駅に着くことを知らせるアナウンスが、私を現実へと引き戻した。降りなければ! 足元に置いた鞄を遠心力をつけて持ち上げ、人混みの中を、何度も頭を軽く下げながら、手で切り分けるようにして進んでいく。今日はいつもより人が多い。こういうときに限って、さらに不運は重なるものだ。彼らの肩より一回りも二回りも大きな荷物を背負った屈強な男たちが、数人束になって電車に押し寄せてきた。なんということだ。降りる人が優先されるという日本の電車における基本的マナーを知らないらしい。ドアは無情にも閉まり、私は再び車内に充満する、都会の冷徹で陰鬱とした空気を呼吸せざるを得なかった。席を立ってしまい、さらに人を押しのけてまでドア付近まで旅をした私は、冷たい憐れみの視線に窮屈さを感じつつ、なんとかドア横付近に肩をすぼめた。私はあくまで常識を身につけた人間であるから、私が駅で降りられなかった原因ともいえる、電車に押し寄せた彼らを、睨みつけたり声をかけたりはしない。しかし、伏し目がちに彼らの顔を確認したり、公共の場であるにも関わらず大声で話す彼らの言語を聞くに、どうやら日本人ではないらしい。だが、そこまで語学に精通してはいないので、彼らの話す言語が何処の国の言葉かは分からなかった。少なくとも、英会話教室である程度は聞き慣れた英語ではないようだった。

 そういうわけで、私は電車を乗り過ごしてしまったようだ。ようだ、というのも、私が毎日朝早く起き、会社の朝礼の30分前には必ず着いているような人間であり、乗り過ごしたことなど過去に経験していないからに他ならない。それも、上司に叱咤されるなどという、面倒極まる事案を避けて通るためであるのだが。乗り過ごしたという理由を説明して上司が呆れるのが目に見えていて、にも関わらず説明責任を果たさなければいけないのがただ面倒なのだ。それはさておき、だから、こういうときに、何をするのが最適かを知らない。次の駅で降りるのは決まっている。ただ、その後歩いて会社まで行くか、それとも、再び反対方向への電車を待つか。あいにく、会社の最寄り駅は、普通電車しか止まらない。私はちょうどいい、健康のために、なんて都合のいい景気づけをして、会社まで歩くことにした。

 想像していたよりも早く、次の駅に着いた。ドアが狩りを始める肉食動物のような、高い呼吸音を上げて開く。驚いたことに彼ら、私が降りるはずだった駅で乗ってきた彼らも、この駅で降りるらしい。彼らは既に電車を降りて、ただでさえ小さなホームを横並びになって歩いている。あの常識知らずの集団と、駅の改札までもう少し空間を共にしなければならなくなるであろうことに、小さなため息を吐いて、私は意を決して寒空さむぞらに飛び込んだ。

 その瞬間、私の体は横から吹き付ける北風に晒され、いやおうなしに縮こまってしまう。この田舎の駅の周りには、高い建物がほとんど無く、風を遮るまともな壁すらも無いようなので、風の強いさまは、真冬の広い荒地に一人で立っているも同然だった。髪が風に煽られて吹き流しのように四方八方へ逆立つ。背中を丸めて、壁と天井があり少しだけ風を凌げそうな改札口まで、早歩きで向かう。風が再び吹き付ける。少しすると、俯角30度で歩いていた私の視線にも、あの忌まわしい彼らが、行く先を阻むように広がって歩いているのが見えてしまった。本来降りるはずであった駅で強引に乗ってきた、先程から何度も私を苛立たせている彼らである。私は幾度となく彼らを追い抜こうと試みたが、全て失敗に終わった。彼らは終始、ホームの内側の錆びた鉄柵から、線路側の点字ブロックの端まで、その巨大な図体と荷物でもって、占有していたのだ。そして、私が抜かそうと右へ左へ、大きめの足音を鳴らして動いても、彼らは知ってか知らずか、決して道を空けようとはしなかった。結局、私は彼らの数メートル後を、寒さに震えながらゆっくりと追従することしか出来なかった。私の手は、ドアから改札口まで歩く間に、薄い赤色を示し始めていた。

 改札口に着くと、彼らは切符を改札に入れて、背中に抱えた大きな荷物を、手で押し上げるようにしながら、ぞろぞろと進んでいった。私は、その奥の改札を使って、すたすたと駅を出た。降りたことのない駅である。古風な煉瓦造りの駅の入口に、気怠けだるい雰囲気を漂わせた駅員が改札横に一人。角が剥がれかけた時刻表には、一時間に三、四本の電車がこの駅を発着する旨が書かれている。数段の階段を降りると、中央に申し訳程度の木が植わる、小さなロータリーがあった。その左側には、駐輪場があり、その屋根は所々に風化して穴が空いている。右側には、花壇があり、春にはチューリップが咲くらしい。しかし、今は十二月だったので、何も咲いてはおらず、ただ花壇の隅に小さな枯れかけの雑草だけが生えていた。

 私がこの田舎の駅のあまりに寂しげな雰囲気に感傷的になっていると、彼らも改札を通り抜けたらしく、何を思ったのか、私の数歩分隣りに、その巨大な荷物を下ろした。彼らの挙動を不審に思い、横目で見つめる。彼らはその巨体を大きく屈ませ、荷物を漁り出した。小さなデジタルカメラを取り出すと、彼らは振り向いて、この駅の写真を撮り始める。私は、写真に写らないように、目前のロータリーに赴き、彼らの挙動が気になるので、そこにしばらく腰掛けることにした。携帯電話を取りだし、顔は画面に向けながら、しかし視線と意識は確実に彼らを捕捉する。彼らは、三人、揃いも揃って丈夫な体格をしている。カメラを渡し合いながら、興奮した様子で、この小さな駅を写真に収めていた。よく眺めてみれば、先程は寂しげな雰囲気を纏っていると述べたこの駅も、別の視点から見ると、その姿は日本の近代化遺産の一部分とも取れるような、立派な風格も感じられないわけではないと思われた。煉瓦がこの駅の歴史を、建築の技巧を、示唆しているように感じた。私は、会社の最寄り駅からわずか一駅隣のこの駅について、何も知らないことを恥じた。彼らは、観光客であろうか。未だにとても嬉しそうに、駅の写真を撮っている。雲の隙間から、眩しい陽の光が差し込んできた。駅に陰影ができ、その荘厳さをさらに強調する。花壇の隅の雑草が、光を受けて凛々しく輝いた。私は、静かにその場を立ち去った。

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田舎の駅 Kokos @xkokos1234

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