ご主人様は引き籠り魔女
七野りく
プロローグ
「はぁはぁはぁ……い、いったい、何だ! 何なんだっ!!」
私は必死に人気の無い、薄暗い深夜の細い路地を走り続ける。
時折、後ろを振り返ると、背筋に怖気が走り震えが止まらない。
……『何か』が……見たこともない『何か』が、私の命を狙って追ってきている
「ひぃっ!」
悲鳴を挙げながら、もつれそうになる足を必死に動かし、大通りへ出ようとする。
何で……どうして、こんなことにっ!
慣れない東京での単身赴任をようやく終え、明日には故郷へ帰れる予定だったのにっ!
会社の送別会で終電がなくなり、タクシー乗り場まで近道をしようと細い路地に入らなければ、こんなことには……。
『ミ~ツケタァァァァ』
「!?!!」
いきなり、頭上から声がした。
思わず立ち止まり、上空を見上げる。
――そこにいたのは、醜悪な極まる『何か』だった。
数本の手足を大きく広げビルの間に肉団子のような身体を固定し、大きな一つ目。長く乱れた黒髪。以前、聞き齧った単語が脳裏を過る。
――『
この世ならざるモノにして、人に仇をなし、時に人を喰らう存在。
古くは『怨霊』や『悪霊』、欧州の方では『悪魔』と呼ばれていたモノだ。
……間違いなく存在する、とは聞いていたし、そう義務教育で学びもした。
だが、四十二年の生涯で一度たりとも遭遇したことはなく、また身内にもそんな存在はいなかった。
まさか、まさか、本当に、実在していたなんてっ!!!!!
呆気に取られていたのは一瞬。
すぐさま、私は再び走り出そうとした。
『異形』は自分の姿を人前に曝したがらない、以前、TVはそう報じていた。
大通りまではもう少し。深夜とはいえ、路地寄りは人もいるだろう。
そこまでいけば、何とか……
『ニガサナイヨォォォ』
「!」
『異形』は音もなく私の前へ飛び降りてきた。
そして、
「ひっ!」
肉団子が半ばから割け、大きな口を覗かせた。
――私を食べるつもりなのだ。
恐怖に竦み、ガタガタと身体が震え、その場にへたり込む。
『異形』の長い黒髪が膨れ上がり、私へと迫ってきた。
迫り来る死に覚悟すら固められず、私は呆然。
嗚呼、私の人生はこんな所で終わる――そう思った、次の瞬間だった。
「――よっしゃ! 俺の方が早かったなっ!!」
快活な声と共に、眩い光が発生した。
咄嗟に手を掲げると、黒髪が焼け焦げ後退している。周囲の壁に白い紙。
そして、一人の少年が後方から私を追い抜き、『異形』を見やり目を細めた。
「事前情報通り、七級、ってとこか……おっさん、早く逃げな」
「き、君は……?」
少年が振り向き、私へ告げてきた。
三日月が雲から顔を覗かせ、顔がはっきりと見えた。
――随分と若く、小柄。
長袖シャツにジーパン姿で、何処にでもいる十代の少年にしか見えない。
私を見ると、自慢げに胸を張った。
「俺か? ふっふっふっ……いい質問だな、おっさん! 俺は『魔術師』だ!」
「魔術師……?」
言葉を繰り返す。こんな若い子が?
――『魔術師』。
日本では古来、陰陽師や呪術師と呼ばれていた『魔を封じ、狩る存在』。
知識としてだけ持っていた存在に、思考が混乱する。
私は、酔っているのだろうか?
『ヨワイマジュツシ。ジャマ!!!!!』
光が弾け飛び、異形が忌々しそうに少年を睨みつけた。
明らかに憎悪している。
少年は向き直り、軽く手を振った。
「おっさん、早く逃げな。此処は俺がやるからさ」
「あ、ああ……あ、ありがとう」
どうにか立ち上がり、今来た道を私は駆けだす。
途中、後ろを振り返る余裕はなかった。
※※※
おっさんが逃げて行くのを確認した俺――五級魔術師、
少なくとも、あいつとの競争――『どっちが先に異形を発見するか』には勝った!
後は、こいつをどうにかするだけだ。
目の前の気持ち悪い肉団子が目を細め、嘲笑う。
『オマエ、ヨワイヨワイマジュツシ。ツカイマモダシテコナイ。フダデ、ワタシ、タオセナイ』
「うっせえっ! 言ってろっ!!」
俺は言い返し、十数枚の呪符を放り投げ、空中に展開させた。
――現代魔術師は、基本的に所謂『使い魔』を用いる。
異形と相対するのは専らそれら、使役する存在であり、呪符を使う者は稀。
が……俺に『使い魔』はいない。
幾ら召喚しようとしても、応じてくれないのだ。
けれど……両手を合わせる。
呪符から『鎖』が生じ、肉団子へ殺到。気持ち悪い手足を拘束。
次いで、手を握り魔力を込める。
『!』
鎖を炎が走り、肉団子へ殺到。炎上させた。
格上の異形ならともかく、格下になら俺の魔術も通用するのだ。
炎の中で肉団子が消失していく。やった、か。
ホッとする間もなく――ポケットの携帯が震えた。取り出し、確認。
――『君の世界で唯一のご主人様☆
何時の間に、設定を変更しやがった!?
パスワード、毎日変えているんだが……。
俺は顔を顰めるも、すぐに出ないと不機嫌になるのは経験則で学んでいるので、3コール内で出る。響いたのは女の声だった。
「はい」
『……出るのが遅いな、
「そもそも、忠誠心なんてねーよっ! お前は俺の雇用主なだけだっ!! それと――今、片付いたぞ。今晩の勝負、俺の勝ちだなっ! 約束通り、有給を取らせてもらうっ!!」
『酷いっ! 唯月は私の世話をしたくないとっ!? 月月火水木金金、私の世話をするのが、君の生甲斐だったんじゃないかっ! 正気を取り戻すんだっ!!』
「事実を捏造するなっ! この、引き籠りぐーたら魔女がっ!! 今晩だって、現地に来ないで、ベッドの上からじゃねぇかっ!!!」
『? 不思議なことを言うな、君は。この程度の案件、ベッドから動くまでもない。あと、私は君が密かに作ってくれたクッキーと珈琲を食べるので忙しいんだ!』
「! お、お前っ!? そ、それは、明日のおやつだろうがっ! 封をしておいたのに、ど、どうやって」
『ふっはっはっはっ! 甘い、甘いね! 君の魔術程度、世界の裏側からでも、看破出来ると断言しようっ! ――ああ、それと、まだ終わってない』
「あん?」
自宅のベッドから通話してきているらしい、雪姫の声のトーンが若干変化した。
同時に――
「っ!」
後方から殺気。
慌てて振り返ると浄化の炎が吹き散らされ、肉団子が姿を現した。
――明らかに魔力量が跳ね上がっている。
こ、この感じ……
「さ、三級かよ」
『そのようだね。おそらく、狩られるのを恐れて力を抑えていたのだろう。最近の異形は悪知恵がついてきたものだ』
のほんとした雪姫の声が響き、俺の頬には冷や汗。
――『魔術師』『異形』共に、その強さ、脅威度は『級』で判定される。
そして、一つでも級が異なると、勝率は著しく下がる。
この世界は冷厳たる実力主義なのだ。
そして、三級ともなれば……公的機関が大々的に討伐隊を組むレベルだ。
肉団子は無数の黒髪を鋭い刃に変化させながら、先程と異なりはっきりとした声を発した。
『――弱イ魔術師。オ前ノセイデ、私ハヨキ狩場ヲ喪ッタ。報イヲウケロ』
「くっ!」
俺は半歩後退。どうしたもんか……。
携帯が明るい声を発する。
『おやぁ? おやおやぁ? もしかして、唯月、ピンチなのかなぁ? ――うんうん、皆まで言わなくていいよ。ここは一つ、明日のお昼で手を打とうじゃないか』
「……おい、待て。俺は明日、有給を」
『え? でも、私が助けなかったら――死んじゃうよ?? そいつ、雑魚だけど、君より大分強いし』
「うぐっ!」
容赦のない指摘に俺は呻く。
……こ、こいつ、絶対、ほくそ笑んでやがるなっ。
言い返す前に、黒髪が殺到。
手持ちの呪符全てを放り投げ、障壁にしながら逃げ回る。
刃の嵐の前に、俺の貧弱な呪符は次々と破られ数を減らしていく。
雪姫の歌うような声。
『全部、破られるまで後、ごぉ~――よん~――さん~――』
「だぁぁぁぁっ!!!!! 分かった、有給は取らねぇっ! 助けろっ、ぐーたら引き籠り魔女っ!!」
『ケチャップで文字は~?』
「何でも書くっ!!!!!」
『――よろしい。それじゃ』
呪符が全て破られた。
肉団子の目が勝ち誇り、大きな口を開け――
『!?!!!! ば、馬鹿、な――……』
突如、月夜を切り裂き、肉団子に漆黒の『花片』突き刺さった!
何が起こったのかも分からず、異形が消えていく。
――特級魔術師、『花の魔女』飛鷹雪姫の特定魔術。
直線距離で数十キロ離れた場所から、ピンポイントで異形へ『花片』を叩きつけたのだ。……とんでもねぇ。
携帯からは上機嫌な声。
『それじゃ、唯月、寄り道せず、早く帰って来るんだよ? 明日の朝はホットケーキがいいな♪ うふふ……勝ったぁ、とはしゃぐ君と、少しだけ怯える君は可愛かったよ☆ 私が、君を助けない筈ないじゃないかぁ? 君のご主人様は、とっても過保護なんだよ?』
「…………地獄に墜ちろっ!」
『いいよ☆ 君とならね♪』
通話が終わり、黄昏る。
全部、あの魔女の手の内かよっ。
はぁ……どうして、何で、こんなことになったんだか。
嘆息が出るのを抑えきれず、俺は天を仰いだ。
綺麗な満月が俺を照らしてくれていた。
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