綴り合う縁、これからも -3-
丸一日を費やして、お部屋のお掃除はなんとか終了しました。
ほとんどアサギさんと、途中から駆けつけてくれたエスカラーチェさんが片付けてくれていました。
わたしやお父様、お母様は言われるがままに右往左往していただけな気がします。
ディナーは、アサギさんの提案で『鍋物』というものになりました。
大きなお鍋に具材を入れて、みんなで好きなものをつつくビュッフェスタイルです。
お父様が、アサギさんが取ろうとしたものばかりを横取りして叱られていました。
アサギさんの選ぶものは美味しいと学習されたのでしょう。でも、横取りはダメですよ。
あと、お母様。毎回アサギさんに取り分けてもらうのはズルいですよ! たまには自分で取ってください。アサギさんは、お母様の給仕ではないのですから。
「ツヅリ。これ美味いから食ってみろ」
不貞腐れていると、目の前に彩りも鮮やかに盛り付けられた小皿が差し出されました。
アサギさんが、わたしのためにと取り分けてくださった料理。
これだけでもう、一品料理のような風格です。
「もしかして、サツマイモですか?」
「イモ以外も食え。栄養が偏る」
食べますよ。
食べますけれど、アサギさんはいつもわたしが好きなものを分けてくださるから……つい。
「アサギよ、我にも取り分けてくれぬか。そなたの盛り付けは食欲をそそる」
「では、ワタクシは『豊穣の大地』をテーマに、盛り付けてみてください」
「あまり要求が高いと、金取りますよ?」
「「別に払うけれど?」」
「くぅ、金持ちどもめ!」
急に押しかけてきて、アサギさんに迷惑をかけないかと、仲良くなれなかったらどうしようかと不安だったのですが……
お父様もお母様も、すっかりとアサギさんのことが気に入ったようです。
その点はよかったのですが……ちょっと、アサギさんを取り過ぎです。
アサギさんはわたしの………………はぅ、……なんでもないです。餅巾着、美味しいです。
「ふむ、すっかりと世話になってしまっているな」
「そうですね。何か褒美を……いえ、お礼をしなくてはいけませんね」
「誰か目障りな者はおらぬか? 消すぞ?」
「どこか潰れてほしいライバル会社はありませんか?」
「そういうのはないんで……」
「では、してほしいこととか」
「欲しいものなど、ありませんか?」
強引なお父様とお母様の質問に、アサギさんはアゴを押さえて黙考し、何かを思いついた様子でしたがそれを隠してしまいました。
「これくらい、いくらでもやりますよ。お気になさらず」
「アサギさん」
アサギさんは、わたしの過去に踏み込んできてくださり、そしてずっともやもやとしていたわたしの心を晴れやかにしてくれました。
だから、今度はわたしが。たとえお節介だと言われたとしても。
「今飲み込んだ願いを、教えてくれませんか?」
「……よく見てるな」
「はい。アサギさんですから。穴があくほど見ていますよ」
そんな恥ずかしことも、アサギさんのためになら口に出来ます。
そして、こんな甘えたセリフも。
「教えてほしいにゃん」
「ごふっ、ごっほごほ!」
アサギさんが咽ました。
なぜでしょう?
「……誰に教わった? エスカラーチェか?」
「いえ、ティムさんに。そう言えば、アサギさんがきっと喜んでくれるからって」
「……あの犬。婚約者の前で泣かしてやる」
アサギさんが、現役時代のお父様以上に禍々しく瞳をぎらつかせています。
お父様の現役時代は伝聞でしか知らないのですが、おそらく引けを取らないことでしょう。
「……そんな、たいしたもんじゃないんだが」
ほんの少しだけバツが悪そうに、アサギさんが飲み込んだ願いを口にしてくれました。
「キャッチボールを、してみたかったんだ。……子供の頃、やってくれる相手がいなかったから」
アサギさんは、アサギさんのお父様との記憶がほとんどありません。
わたしのお父様を見て、キャッチボールがしてみたいと思ってくださったのなら――
「嬉しいです」
なんだか、すごく嬉しいなって思えました。
「よぉし、いいだろう! やろうではないかキャッチボールを!」
「いや、そんな真に受けなくても……」
「今から表でやろう!」
「今すぐじゃなくて!」
「サトウ某さん、ボールです」
「お前、なんちゅうタイミングで出てくるんだよ!? そしてまぁ、手にしっくり馴染むいいボールだな、これ!?」
「さぁ、行くぞ、アサギよ!」
「では、応援に行きましょう。肩の骨、砕けるといけませんから治癒のまじないをかけてあげますね」
「その前に、手加減するように言ってくれ、あんたの夫に!」
「男なら、真剣勝負よ、アサギくん!」
「死ぬから! 破壊神と真剣勝負なんかしたら!」
「大丈夫。ワタクシが死なせないわ」
お父様とお母様に両腕を抱えられて、アサギさんが外へと連行されていきます。
本当に、アサギさんのことが気に入ってしまったようです。
「行かなくていいんですか?」
呆気に取られているわたしに、エスカラーチェさんが言いました。
「早くしないと、取られてしまいますよ?」
「それは困ります!」
慌てて立ち上がり、あとを追いました。
「アサギさんはわたしのですからね!」
そんな、自分でもびっくりするようなことを叫びながら。
……二秒後に恥ずかし過ぎてうずくまってしまいましたけれども。
昨日までは想像も出来なかったほどに賑やかに、騒々しい一日が終わろうとしていました。
お父様とお母様は非常に満足げな顔で自室に戻られました。
本当に久しぶりに、給仕や執事もいない完全な二人きりになって少しお話をすると楽しそうに言っていました。
わたしも、もう眠る時間なんですが――
「アサギさん」
事務所の隣、元は物置だった小さな部屋。
現在はアサギさんの私室となっている部屋のドアをノックし、呼びかけました。
「ツヅリ。どうした?」
すぐにアサギさんが顔を出してくれました。
普段着よりも少しだけゆったりとした、寝間着姿で。
アサギさんのプライベートを垣間見たような気分になって、ドキッとしました。
「あの、お父様たちから五分だけ時間をいただきまして……」
あまり長居するのはよくないのですが、でも、どうしてもおやすみの挨拶がしたくて。
そして――
「お顔が見たくなったので、会いに来てしまいました……」
アサギさんをじっと見つめて言うと、アサギさんが口元を隠して「……そうか」と呟きました。
きっと、あの手の内側では唇が弧を描いていることでしょう。
「入るか?」
「は、あひ……あの、お邪魔、します」
この部屋がアサギさんの私室になってから、初めて足を踏み入れます。
部屋の形は変わっていないのに、ここはもうすっかりとアサギさんのお部屋になっていました。
見るものすべてが新鮮で、興味深くて、……ドキドキします。
「あんまきょろきょろするな。恥ずかしい」
「す、すみません」
自分がされると恥ずかしいことを、アサギさんにしてしまいました。
わたしの私室に来た時、アサギさんは部屋をきょろきょろ見渡すようなことはされませんでしたのに。
「あぁ……っと、椅子がないから、ベッドでいいか?」
アサギさんのお部屋は、着替えや仕事の準備、そして就寝するための設備しかなく、人を招くための準備はされていませんでした。
「はい、お構いなく」
「じゃあ、……座る、か?」
ベッドに腰かけて、アサギさんが自身の隣をぽんぽんと叩きます。
そこに座れということですね。……うふふ、アサギさんの隣です。
「失礼します」
そう言って、腰を下ろすと…………ち、近い、です。
思っていた以上にアサギさんが近くて、触れていないのにアサギさんが「そこにいる」という存在感がわたしの右半身にひしひしと伝わってきて……これは、照れますっ!
「ヘアテールに威嚇されてるんだが?」
「す、すみません! あの、思った以上にアサギさんが近くて、ドキドキして、思わず変なことを口走ったり仕出かしたりしそうで、だから、あの、この部屋に充満するアサギさんの匂いに興奮してます!」
「分かった。もう変なこと口走ってるから、一回落ち着け!」
きゅっと、ヘアテールを握られました。
そして、頭をぽ~んぽ~んと撫でられて――
「ツヅリになら、何されても嬉しいよ。俺は」
そんなことを言われたら、わたし、何をするか分かりませんよ!?
わたし、アサギさんが思っているほど純真な娘ではないかもしれませんよ。
だって、アサギさんのことを考えるといつもドキドキして……アサギさんと会った後は心が落ち着きませんし、アサギさんの使った物が手元にあってなおかつ人目がない時とか……ちょっと人には言えないような衝動が…………あぅぅ、わたし、ダメな子です……っ。
「そんな綺麗な顔で見ないでください……」
わたしの中の醜い劣情が心苦しいです。
いたたまれなくなり、アサギさんに背を向けて顔を両手で覆います。……見ちゃ、ダメです。
「お前は、前からそういうことを言うがな……」
はぁ……っと、嘆息して、アサギさんの手がわたしの肩を掴みます。
力強い手の感触にドキッとしているうちにくるっと反転させられ、アサギさんと向かい合わせになりました。
びっくりして顔からどけてしまった手をそっと握って、アサギさんはわたしの顔を覗き込みながらこんなことを言ったんです。
「ツヅリの方が何倍も可愛いよ」
こんなの、無理です。
これは、愛の暴力です。
ときめかないわけがありません。
ときめき過ぎて、めまいがします。心臓が暴れ回っています。血液が濁流のように全身をめぐります。
「そ、そろそろ、お暇しますねっ」
体が熱くて、心が浮き立ち落ち着かなくて、わたしは立ち上がりドアへと向かいます。
ふわふわと雲の上を歩いているように足元が覚束なく、アサギさんとの距離が離れていくほどに切なさが募り――
「おやすみなさい」という前にわたしは振り返り、アサギさんのもとへと駆け戻りました。
ベッドから立ち上がりこちらを向いていたアサギさんに飛びかかれば、アサギさんはその大きな両腕でわたしを抱きとめてくれました。
そんな無防備なアサギさんの腕の中でわたしは――
「ちぅ……」
アサギさんの首筋に唇をつけ、力いっぱいに吸いました。
「ちぅちぅ」と、耳にくすぐったい音が響いて、恥ずかしさが限界に達したところで唇を離しました。
アサギさんの白い首筋に、小さな赤い痣が出来ていました。
「く、口づけは結婚までお預けですが、これなら……」
これならセーフですと言いかけて、本当にセーフなのか疑問に思い、もしかしたらわたしはとんでもないことをしたのではないかと今さらになって思い至り、全身から湯気が噴き出しました。
目の前にはアサギさん。
目を真ん丸く見開いて、わたしをじっと見つめています。
驚いているのか、滅多に見せない無防備なお顔で固まっています。
逃げるなら、今です!
「こ、こうすると、素敵な夢が見られると聞きました、ので……あの、……で、では、おやすみなさい!」
まぶたを閉じて振り返り、今度こそ全力で部屋を飛び出します。
これ以上ここにいたら、わたしは茹で上がってしまいます。
なのに、どうしてでしょうか。
わたしの腕は、アサギさんの大きな手にがっしりと拘束されてしまったのです。
「……誰に聞いたかを問い質したいところだが」
腕を引かれ、後ろにふらついたと思った時には世界が反転していて、わたしはアサギさんと向かい合わせになっていました。
まるでダンスでも踊っているかのような華麗でスマートなリードに抗うことは出来ませんでした。
ただ、ダンスと違うのは、わたしの背中が壁に触れているということ。
壁とアサギさんに挟まれて、逃げ場がありません。
視線の逃げ場すら、ありません。
「ツヅリ……」
アサギさんの整った綺麗な顔が、にやりと笑みを浮かべ――わたしは自身の浅はかな行動を悔いたのです。
「こんなことを仕出かしておいて、無事に逃げられると思ったか?」
透き通るような澄んだ声は、鼓膜を通り心の奥深くにまで浸透して、わたしの体の動きを止めました。
抗うことは出来ません。もう、指一本動かせません。
アサギさんのお顔が、唇が、ゆっくりと近付いてきて……
「……ぁ」
柔らかな感触が触れると同時に、わたしはまぶたを閉じて――アサギさんに身を委ねたのでした。
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