生涯一度の…… -6-

「ツヅリ」


 感謝してもしきれない。



「ありがとう。お前に出会えて、本当によかった」



 素直な気持ちを告げると、ツヅリの瞳が揺らめく炎を反射した。

 潤んだ瞳を隠すようにまぶたを閉じ、俯いて数度呼吸を繰り返し、そして――


「わたしも、アサギさんに出会えて、本当によかったと思っています」


 震える唇が笑みの形を作って、一所懸命に言葉を紡ぐ。



 結婚なんか無意味だと、気休めや気の迷いの類いだと、目を背けていた俺はもういない。

 一風変わった夫婦が巻き起こす、一風変わった騒動に直面し、向き合って、イヤってほど『縁』ってものを見つめ続けて、ようやく俺にも分かったんだ。


 簡単に結ばれた縁は簡単に解けてしまう。

 これまでの俺は、それを仕方のないことだと思っていた。

 そんなもんだと達観した気になって、冷めた目で見ていた。


 本当はみんな、そんなこと百も承知だったんだな。


 簡単に解けてしまうからこそ、大切に結ぼうと躍起になっていたんだ。

 だから何億何十億といる人間の中で、『この人は』というたった一人の相手との縁を、慎重に、大切に、確実に結ぼうとするんだ。

 臆病なくらいに不安になりながら、みっともなく足掻きながら、カッコ悪い自分をさらけ出してでも、必死になって結ぼうとするんだ。

 必死になり過ぎて、縁がこんがらがってしまったりしてしまうんだ。


 時に憤ったり、悔しくて眠れなくなったり、号泣してしまったり、理性の箍が外れて制御できなくなるくらいに感情が揺れ動く。

 それでも歯を食いしばってしがみつく。


 端から見ていれば滑稽で、自身の身に降りかかってくれば恐怖でしかない。

 そんな苦悩を抱え込んででも、それでもやっぱり譲れない。

 そして、その先でもし報われることがあれば――きっとそれはこの上もなく満たされた気持ちになるのだろう。

 幸せという言葉の本当の意味を知るのだろう。


 幸と不幸を行き来して、感情の針が振り切れ続けて、心底くたくたになる。

 なのに、なんでかな……悪くない気分なんだ。


 胸の中に思い描くだけで満たされる。

 その笑顔を、その声を、その仕草を。


 この温かい感情が惚れるというもので、この温かい感情を大切に守りたいと思うことが人を愛するということなのかもしれない。


 そりゃ、慎重にもなるし、躍起にもなるし、我武者羅になるよな。

 みんな、こんな大変なことをやってたのか……頭が下がるよ、まったく。


 今となれば、俺もそっち側の人間だけどな。



 そうまでしても失いたくないものがある。

 浅ましさを覚悟で言えば、手に入れたい、独占したい、誰にも譲りたくない。


 そうか。

 これが『譲れない何か』の正体か。


 比較も、交換も、妥協も出来ないよな、そりゃ。

 当たり前だ。



 なんだ、こんな単純なことだったんだな。

 俺がずっと理解できなかったことは。


 ふと、懐かしい顔がまぶたの裏に浮かんできた。

「ようやく分かったんですか?」なんて、得意げに言い出しそうな顔だ。

 塩屋虎吉。

 まったく理解が及ばず、相談員だった俺を最大に悩ませた、難解で――とても純粋な男。

 ツヅリに会わせてやれば、案外意気投合するかもしれないな。


「佐藤さんって、完璧そうに見えて結構抜けてるところ多いですよね?」

「あ、分かります。その後で照れ隠しするんですよね、こんな風に手で口元を隠して」

「佐藤さん、こっちでもそんなことしてるんですか?」

「アサギさん、向こうでもこんなことしてたんですか?」



 ……いや、やめておこう。

 俺がストレスに耐えられない。


「アサギさん?」


 少し思考に没頭してしまったらしい。

 キャンドルの向こうからツヅリが俺を呼ぶ。楽しそうに口を緩ませて。


「何か楽しいことを考えていたんですか?」

「いや……噛みしめていたんだよ」


 料理は順調に進み、気付けば目の前には食後のコーヒーが置かれていた。

 そろそろ、頃合いだな。


「ツヅリと一緒にいると楽しいな、って」


 ツヅリといれば、きっとこれからも楽しいことが山のように舞い込んでくるのだろう。

 そうして、奇想天外な縁が次々と結ばれていくのだ。

 そんな連中に、世話をかけたりかけられたりして、俺はまた成長していく。


 ツヅリを守るためなら、あの笑顔を見続けるためなら、俺はどこまでも成長してやるさ。


 周りの連中には迷惑をかけてしまうかもしれないが、思いきって甘えさせてもらおう。その代わり、受けた恩は何倍にもして返してやろう。

 特に今回の借りは、全身全霊で返してやるつもりだ。


 連中のカンパのおかげで――


「これを、受け取ってほしい」


 ――この『世界』に来てから稼いだ三ヶ月分の貯金を丸ごとこいつに注ぎ込めた。

 給料三ヶ月分の、なんてのは今じゃ古くさいかもしれないが……


「……綺麗…………」


 ピンクゴールドの指輪。

 サイズはツヅリの左手薬指にぴったりのはずだ。


 指のサイズなら目視だけでも大方当てられる。手をつないだなら的中率は10割だ。

 結婚相談員として999組の成婚に立ち合い、いつの間にか身に着けていたスキルだ。


 小さな箱に入った指輪を眺めていたツヅリ。

 角度を変え、覗き込み、そしてじっと見つめる。


 しばらくそんな時間が続いた後、おもむろにツヅリが大きな瞳をこちらに向けた。


「あの、これ……」


 女性に指輪を贈る。

 それの意味するところは、この『世界』でも大きく変わらない。

 ただ、最初のプレゼントが婚約指輪では、少し重たいかもしれない。

 だから――


「婚約指輪の予約指輪――だと思ってくれ」


 ツヅリの瞳が大きく揺らめく。

 涙をこぼすまいと、懸命に唇が引き結ばれている。

 何か、一言でも言葉を発すればあふれ出しそうだ。


 そうなる前に。


「ツヅリ」


 俺は越えていく。

 これまで、意図して越えまいとしてきた境界を踏み越える一歩を踏み出す。


 何よりも大切な人に、今よりもっと近付くために。


 どうか、しっかりと聞いていてほしい。

 生まれて初めて、俺が自分以外の誰かに伝える、剥き出しの気持ちを。




「俺は、ツヅリが好きだ」






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