愛しているからこそ -7-

 ザックハリー司祭は砂糖の概念で、ハルス司祭は塩の概念だ。


「だから、お二人の中には『いつも隣にいた』という記憶が刻み込まれているんですよ」


 事務所のキッチンでも、砂糖と塩は隣同士で並んでいる。

 ツヅリが勘違いして砂糖と塩をセットで小瓶に入れてしまったくらいだ。


 料理をする者にとっても、まったく料理をしない者にとっても、砂糖と塩はコンビだと思われている。

 キッチン用品でも、砂糖入れと塩入れがセットになったケースはたくさん存在する。


「ザックハリー司祭は、多くの者を幸せにしたい、笑顔にしたいと思っているんですよね」

「そう、だね。それが、僕の使命だと思っている」

「砂糖は、人を笑顔にするための調味料ですからね」


 ケーキやパン、お菓子。人々が好んで食べる物には、砂糖が多く使用されている。

 頑張った自分へのご褒美としてスウィーツを堪能する人もいる。

 つらい時にケーキのやけ食いをする人だっている。


 砂糖は、いつだって人々に笑顔と元気と活力を与え続けてきた。

 そして人々はその甘美な味わいの虜になってきた。


「一方のハルス司祭は、人々を生かすためにその手腕を振るってきましたね」

「う、うむ。人々の命を守ることが、私の使命だと思っている」

「人間が生きていく上で欠かせないのが水と塩です」


 塩がなければ人は生きていけない。

 砂糖がなくても生きていけるが、塩はそうはいかない。

 ただし、砂糖と違って塩を大量に摂取することはない。あまり摂り過ぎると、体が拒否反応を起こしてしまう。

 罰ゲームでありそうな、カラシやワサビが大量に入ったプチシュークリームを食べることは苦しいが可能だ。しかし、同じ量の塩を入れたプチシュークリームは食べられない。体が拒絶してしまう。


 塩は生きるためには必要だが、一定以上は必要とされない。

 だからこそ、ハルス司祭はいつも一歩退いて状況を見守っていたのだ。甘みが度を過ぎた時にのみ一歩踏み出して、それを止めていた。


 砂糖は、過剰摂取しても体が拒絶しないからな。


「ザックハリー司祭は、みんなをまとめるのがうまい。ただし、みんながザックハリー司祭の思考に寄り過ぎてしまう」


 煮物でもなんでも、味付けに砂糖を使えば具材のすべてが甘くなり、ある種の団結力を見せる。が、どの食材も甘くなり個性は薄れる。


「一方のハルス司祭は、個々の特徴を発揮させることには長けているが、まとめ役としてはザックハリー司祭より劣る」


 塩は、食材の味を引き出す調味料だ。

 何を食べても塩の味、なんてことにはならない。塩が素材の味を引き出し、むしろ自分の存在を素材の味の中に隠してしまう。


「ハルス司祭は言ってましたよね? お二人が同時に求められる時、いつもザックハリー司祭が先行して、その後ハルス司祭が呼ばれると。それは、料理のサシスセソですね」


 調味料は、浸透圧の関係で味付けの際に使う順番が決まっている。

 サシスセソの順番で。

 サは砂糖。シは塩だ。


「ザックハリー司祭が私に対して、あまりいい感情を抱いていなかったのも、おそらくあなたが砂糖の概念だからですよ」


 大方の場合、俺のようなタイプの男は甘いものをほとんど食べない。

 色鮮やかなケーキが並んでいようと、俺はその前を素通りする。

 すべての者に笑顔と幸福を与えたいザックハリー司祭としては、天敵のような存在なのだ、俺は。


 ケーキを食べたいという娘に「あとにしろ」と厳しく接する父親のような、そんな目で見られていたのだろうな、きっと。


「味覚の対比効果というものがあります」


 俺は作ってきたお汁粉を水筒から器に注ぎ、両司祭の前へと置く。


「一口飲んでみてください」


 言われるまま、二人はお汁粉を口に運ぶ。


「……甘い、な」

「ふむ、上品な甘さだ」


 甘さを確認してもらったら、その器の中に塩を一振りずつ。


「ちょっ、アサギ君!? それは塩ではないのかい?」

「はい。まぁ、騙されたと思って飲んでみてください」


 勧めると、おっかなびっくり、二人はお汁粉を一口飲む。


「ん!? 甘みが増したな」

「本当だ、先ほどよりも甘く感じる」

「人間の舌は、甘みよりも先に塩辛さを感じるように出来ているため、塩を入れることで一層甘みが増したように感じるんです」


 それが、味覚の対比効果だ。

 ……でもよかった。具現化した概念が俺たちと同じ体の構造で。


「なるほど。私がザックハリーの仕事を手伝うと、普段以上によい成果が現れたのは、これが原因か」

「一概には言えませんが、おそらくは」


 彼らは、人間の姿になっているが、それでもまだまだ砂糖と塩としての特性に引っ張られている。


 トーマスさんが言っていた。

 之人神は、人間になっても神の力を失うわけではない。

 概念もまた同じなんだ。


 人になっても、その性質が変わるわけではない。


 だから……


「最後に、あまり相性がいいとは言えませんが、ハーブティーとサラダを召し上がってください」


 それぞれの前にハーブティーとサラダを置き、そして中央に砂糖と塩をブレンドした小瓶を置く。

 ハーブティーには砂糖を、サラダには塩を振りかければ美味しくいただける。

 そして、今そこにある小瓶の中には砂糖と塩が入っている。


「さぁ、どうぞ。召し上がってください」


 勧めるが、二人はどちらも手に取らない。

 こちらの言いたいことを理解したようで、双方の顔に物悲しげな表情が浮かんでいる。


「そうなんです。いかに優れたお二人でも、唯一やってはいけない禁忌があったんです」


 言いながら、俺は砂糖と塩のブレンド小瓶を下げ、砂糖と塩が個別に入った小瓶を並べて二人の間へと置く。


「お二人は隣り合って、いつも寄り添って、それぞれの力で様々な人を救い幸せにしてきました。ただ――同じ場所に入ってはいけないんです」


 味の対比効果で、塩が砂糖の甘みを強くすることはある。

 だが、度が過ぎればそのバランスは簡単に崩れ去る。

 二人が同じ場所でそれぞれの力を遺憾なく発揮すればどうなるか……


「ハーブティーやサラダに、同量の砂糖と塩を使えばどうなるか……分かりますよね?」


 二人は答える代わりにそれぞれ一つずつ小瓶を手に取った。

 ザックハリー司祭は砂糖の小瓶を、ハルス司祭は塩の小瓶を。

 そして、ザックハリー司祭はハーブティーに砂糖を入れ、ハルス司祭はサラダに塩をかけ、同時に口へと運ぶ。


「あぁ、甘くて美味しい」

「うむ、いい塩梅だ」


 互いに口を付けたハーブティーとサラダを交換して、またそれぞれ口を付ける。


「これくらいの甘みが、嫌味がなくてちょうどいいぞ、ザックハリー」

「君も、これくらいのさりげない塩加減が素敵だよ、ハルス」


 互いに見つめ合い、優しく微笑んで、ため息を漏らした。


「……そうか」

「……ダメなんだね」


 二人の顔がこちらを向く。

 俺たちが導き出した結論は、もう覆らない。


「はい。お二人は、離婚されるべきだと思います」


 愛しているからこそ、離れる方がいい。

 夫婦でなくなった方がうまくいくカップルも多い。


 この二人は、まさにその典型だったのだ。


「我々から言えることは以上です。それを踏まえた上で、どう決断されるかはお二人の自由です」


 俺たちには、それを強要する権利はない。


「ありがとう。参考にさせてもらうよ。……悲しい結果だったけれどね」


 ザックハリー司祭が、初めて見るような優しい笑みを向けてくれた。


「すまなかったね、つらい役割を押しつけてしまって」

「いえ。……仕事ですから」


 今回、ツヅリには一言も話さなくていいと言っておいた。

 決めるのはあくまでこの二人だが……やっぱり、あんまりいい気分じゃないからな。


「諸君らには、心から感謝する」


 ハルス司祭が頭を下げる。

 慌ててやめさせ、頭を上げてもらう。

 再びこちらを向いたハルス司祭の顔は、笑顔だった。


「けれどスッキリした。見つからぬ記憶の中で、自分が何をしたのか、何を仕出かしてザックハリーにここまで憎まれたのかと不安だったのだが……そうか、私たちは憎み合っているわけではなかったのか……」

「もちろんだよ、ハルス。こんな結果になってしまったけれど、僕の隣にいるのは君以外には考えられない。愛しているよ、ハルス」

「ザックハリー……私も、愛している」


 二人は抱き合い、そしてすぐに離れた。

 離れた後、背を向け自身の手や腕を確認している。


「ふむ、接触は問題ないようだな」

「そうだね。じゃあ、離婚さえすればイチャイチャし放題かもね」

「ば……っ!?」


 ザックハリー司祭の言葉に、ハルス司祭は立ち上がり、拳を握って振り上げる。

 あぁ、またケンカかと思ったが、振り上げられた拳はゆ~っくりと下降してきて、ハルス司祭の胸の前できゅっと握られる。


「……人前で、おかしなことを言うな、……バカ」


 その時の表情は、まるで初恋の相手に告白された少女のようで……この二人ならうまくやっていけるだろうなと、そんなことを思った。






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