エゴと嫉妬 -4-

 帰り道。

 大通りを過ぎて、運河沿いの道に出るまで、俺たちの間に会話はなかった。

 もうすぐで相談所が見える。

 そんな安心感から、ようやく、短い言葉が声になった。


「……悪かった」

「へ?」

「強引に連れ出してしまって」

「いえ……大丈夫です」


 大丈夫。

 ……何が大丈夫なんだ。


「何か、聞きたいことがあったんじゃないか?」

「それは……」


 言いかけて、やめる。

 そして、微笑む。


「……たいしたことじゃないです」


 いつもの、苦しさを誤魔化すような、寂しげな笑み。

 ヘアテールが、俺から逃げるように揺れている。




『それは、エゴだよ』




 その通りかもしれない。

 俺は勝手にツヅリを守っているつもりになって……


 ツヅリは、そんなこと望んでもいないかもしれないのに。


「あの、アサギさん……」


 相談所が前方に見えた頃、ツヅリが不安げな声でこう持ちかけてきた。


「この次、教会へ行く時は……、わたし一人で行った方がいいのではないかと、思うのですが……」


 ツヅリが一人で教会へ?


 ザックハリー司祭に一人で来ていいと言われたからか。

 俺には出来ない相談を、ザックハリー司祭にするためか。

 俺は、銀細工職人の名前も、仕立屋の名前も知らない、けれど、お前のことなら俺はアイツより――


「あ、あの、アサギさん……?」


 それとも、俺が役に立たないから…………


「アサギさんっ」




 俺は、必要ない人間だから……




「失礼します」

「どぅっ!?」


 突然、みぞおちにすごい衝撃を感じた。

 思わず蹲り、俺の腹にカカトをめりこませた仮面女を見上げる。


「……エス、カ……ラーチェ……なに、しやが……ごほっごほっ!」


 ひらりとスカートの裾を翻し、ターンを決めて美しく足を揃える。

 突然目の前に現れて後ろ回し蹴りを喰らわせてくるとは、いい度胸じゃねぇか。

 無表情な仮面を睨みつけながら、痛む腹を押さえて立ち上がる。


「アサギさん、大丈夫ですか!?」


 駆け寄ろうとするツヅリを手で制する。

 近付くな。……これからちょっと荒事になるから。


「返答次第じゃ、ぶん殴るぞ、エスカラーチェ」

「構いませんよ。殴って気が済むのであれば、甘んじてお受けしましょう」


 怯む様子も見せず、エスカラーチェが優雅に歩み寄ってくる。

 そして、俺の目の前に立ち、そっと俺の頬に右手を沿わせた。


「あなたが考えているようなことを、大家さんが考える訳ないじゃないですか」


 無表情な仮面がしゃべり、その振動が、頬に触れた細い指から伝わってくるような錯覚に陥る。


「ご自分の行動を顧みてください。大家さんに気を遣わせるような言動はありませんでしたか?」


 ……あった。

 というか、ザックハリー司祭と話をしていた時の俺は、確実に周りが見えていなかった。

 ……劣等感?

 そんなものに、俺は囚われていたのかもしれない。


「そんなあなたの異変を感じ、大家さんが一人で行くなどと口にしたのなら、その真意くらいは想像できるでしょう。――あなたなら」

「……俺に、負担をかけないために」

「おそらく、そのようなところでしょう」


 さらっと頬を撫で、エスカラーチェの手が頬からゆっくりと離れていく。

 赤いネイルが尾を引くように視界の中で鮮明にその存在感を発揮していた。


 そして、数瞬後――





 スパーァァァアン!




 ――と、全力の平手打ちを食らわされた。


「……痛……ってぇ!?」


 熱湯をぶっかけられたのかってくらいに頬が熱い。


「大家さんにこんな顔をさせるなど、言語道断です」

「……悪かったよ」


 少々度が過ぎると思うが、この痛みは甘んじて受けよう。

 ……今日の俺は、本当にどうかしていた。


「ツヅリも、すまなかったな」

「い、いえ。わたしは、なにも……」

「いや、謝らせてくれ」


 ツヅリの手を握る。

 両手だ。

 しっかりと握って、真正面から、こちらを見る大きな瞳を見つめて、謝罪の言葉を述べる。


「なんだか、ずっとイライラしてしまってたんだ。隣にいて居心地が悪かったと思う。ごめん。もう大丈夫だから、俺も連れて行ってくれ。次に教会へ行く時も、その次も、この先も、ずっと」


 お前に置いていかれるなんて、真っ平御免だ。


「アサギさんは……何がそんなに気に入らなかったのですか?」

「何が……って」


 あのイケオジがお前に色目を使っていたから……なんて、言えるわけない。

 というか……あんな、なんでも持っているような男と比べられたら、俺は負けてしまうかもしれないって…………ん?


 え?


 あれ?



「俺……ヤキモチ焼いてた、のか?」



 これが、嫉妬というヤツ、なのか?

 おぉ!?

 そうか、これがヤキモチか!


 初めて知った!


 なるほど、これは確かにつらいな。

 相談者が目の色を変えて怒り狂うわけだ。そうか、ヤキモチっていうのは、こんなに苦しいものなのか。


 ……なんて、新発見に浮かれていたこと約三秒。

 その直後、俺は自分がマズい発言をしてしまったことを思い出し、背筋を寒からしめていた。


 ゆ~っくりと、視線を動かしてツヅリを見ると……



「ぇう……ぁの、……はぅ……っ」



 真ぁ~っ赤な顔をして、首とヘアテールを限界まで逸らしていた。

 それでも、俺が両手を握っているので逃げ出すことも出来ずに……ってぇ!? 手ぇ!? 手ぇ握ってたぁ!?


「わ、悪い!」


 慌てて両手を離すと、光の速度でツヅリがこちらに背を向け、自身の手をもにもにと擦り合わせるように揉む。

 ヘアテールが阿波踊りを舞っている。


「ぁの……わた、わたし…………きょうは、つかれましたので、お、おさきに、やすませていただきましゅ!」


 カタコトで言って、最後ちょっと噛んで、ツヅリはこちらを振り返りもせず事務所の中へと駆け込んでいった。



 運河から吹きつける冷たい風が、俺の全身を殴り倒して吹き抜けていく。



 …………やっちまった。



「サトウ某さん」


 静かな声がして、振り返ると――同時に左の頬を叩かれた。……痛い。


「これは、ただの八つ当たりです」

「……言われんでも分かってる」


 理不尽に叩かれた頬がじんじん痛いが、そんなもんが気にならないくらいに、俺の顔は熱を上げていた。






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