概念とキスマーク -2-

「それで、こんな騒動の発端になったツヅリは、今何をしているんだ?」


 こういう話をするためか、ツヅリを置いて一人で俺に会いに来たのだろう、こいつは。

 今もエスカラーチェの家にいるのだろうか。


「大家さんには、イモ畑に水を撒いてもらっています」

「……ちゃんと監視しとかないと、早く育てようとして水をやり過ぎるかもしれないぞ?」

「根腐れの危険も伝えてありますので、大丈夫でしょう」


 俺は不安が拭えないのだが?

 ツヅリをサツマイモに関わらせると、高確率で暴走するからな。


「あいつこそ、サツマイモの概念が人格化した存在じゃないのか?」

「それはありません。大家さんの出自は、立派なものですよ」

「調べたのかよ……」


 好意も行き過ぎると怖くなるから、ほどほどにしとけよ。


「……聞かないのですね」

「ん?」

「大家さんのご家族について、興味はありませんか?」


 こういう流れなら、「あいつの両親はどんな人なんだ」と尋ねるのが一般的なのかもしれない。

 だが、俺は聞かない。

 ……自分が答えたくない質問を、誰かにするつもりはない。


「あいつが話したいというなら聞くが、あいつがいないところで他人に聞くようなことはしたくない。知られたくないと思っているかもしれないしな」

「家族のことを知られたくないという方がいるとでも?」

「五万といるさ」


 すべての家庭が幸せなわけじゃない。

 幸せな家庭に育った者には信じられないかもしれないが、「父親の職業は?」「お母様はご在宅ですか?」なんてありふれた質問に答えられない人間だってたくさんいるのだ。


 みっともなくて知られたくない親を持ったガキは、この世にたくさんいる。

 そして、それを理解できないという幸せな子供もまた、たくさんいる。


 俺は、そのどちらも知っている。


「エスカラーチェは、自分の両親を誇れるか?」

「両親……ではないのですが、私の生みの親はとても素晴らしい方ですよ」


 生みの親?

 こいつは、養子にでも出されたのか?

 それで、生みの親と両親を分けて考えているのかもしれない。


 それでも、生みの親を素晴らしいと言えるってことは、相応に愛情をもらって生きてきたのだろう。


「そう言えるなら、お前は幸せ者なんだろうな」

「私が、幸せ者……ですか? 初めて言われました」

「お前の人生をすべて知っているわけじゃないから、決めつけるようなことはしないが……俺に言わせれば、十分羨むに値するよ」


 俺は、自分の両親が素晴らしいだなんて、死んでも口に出来ない。



「あなたは、ご両親を憎んでいるのですか?」



 その言葉は、突然のように思えた。

 ……が、よく考えてみれば、そう尋ねられても仕方のないような返答をしてしまっていたな。

 いい歳をして、また拗ねてしまっていたようだ。バカバカしい。


「憎んではいないさ」


 そんな関心すら抱いていなかった。

 俺にとって両親というのは、いようがいまいがどうでもいい存在だった。

 だから、俺が心底嫌いだったあの寒い部屋から出て行く時だって、一切気にもかけなかった。

 嫌いな場所から出て行く。それは俺の意志であり、俺の自由だ。

 口を挟ませるつもりはなかったし、尋ねもしなかった。

 向こうにしたって俺に興味なんかなかったわけだし、「気が付いたらいなくなっていた」程度の認識だろう。


「ただ、情っていうのは、もらった分しか返せないもんだってことだ」


 愛情を注がれなかったガキは、愛情を返す術を知らずに育つ。

 カサカサに乾いた大地には、花も咲かず、果実も実らないのだ。


「……では、過剰に愛情を注がれた子供は、生涯を賭して返し続けるべきだということですか?」


 どうやら、俺はまた不貞腐れていたようだ。

 エスカラーチェの言葉に驚き、それに驚いてしまっていることこそがその証拠だと言える。

 不貞腐れている時は周りが見えなくなっているものだ。だから、相手の返答が突然のように思えてドキッとさせられる。「こいつ、なんでそんなことを?」と。

 なんでも何もない。自分の投げやりな態度が相手にそうさせてしまっているのだ。


 どうやら、俺はまた一人で拗ねて、勝手にやさぐれて、不貞腐れて我が身の惨めさを嘆いていたようだ。

 ……いつまでそんなことをするつもりなんだ、俺は。

 もういい加減、頭の中から消してしまいたいのに。

 いちいちチラついて、気が付くと囚われている。


 ……何やってんだ、俺は。


 反省ついでに、エスカラーチェの問いに答えておいてやる。


「その必要はない」

「なぜですか? 与えられなかったから返さないというのであれば、与えられた者は与えられた分を返すべきではないですか? そうでなければあまりに身勝手ではないでしょうか?」


 身勝手か。

 あぁ、そうさ。身勝手なんだよ、子供ってのは。


 言い切ってしまえば、子供は親の愛情を踏み倒したって構わない。

 なぜなら、育ててもらった恩も感じず、親の愛情を踏み倒すような子供になっちまったのは、他ならぬ親の責任だからだ。

 愛情を注いだつもりで注げてなかったから、失敗しちまったんじゃないのか?


 ……なんて、これも八つ当たりくさいセリフだな。

 だから、もう少しマイルドに――


「愛情を注ぎ過ぎて根腐りさせちまったら、収穫は出来なくて当然だろう」


 さっき話をしていた冗談に合わせてそう言っておく。

 無表情な仮面がきょとんとして見えて、ちょっと可笑しかった。


「……ふっ。屁理屈の極みですね」


 そして、話題の芋畑があるのであろう方向を見上げる。


「けれど、根腐れしてしまったのでは仕方がありませんね」


 そういった声音はどことなく嬉しそうに聞こえたのだが、天井を見上げるその表情はなんだか寂しそうに見えた。……まぁ、仮面だから寂しそうも何もないんだけれど。


「では、私はそろそろ戻ります。大家さんをいつまでも寒空の下に置いておくわけにはいきませんし」

「あいつ、今日はちゃんと上着きてるか?」

「えぇ。もこもことしたとても可愛らしい上着を着ていましたよ……誰かさんの趣味なのだそうですね?」


 べ、別に俺はもこもこが好きだなんて言った覚えはないのだが。

 ……確かに、ここ数日、ツヅリはもこもこした服ばかり着ている気がするが。


「……幼女趣味の権化」

「誰がだ、こら」


 別にもこもこは幼女趣味じゃないだろう。

 ツヅリには恐ろしくよく似合っているが、ツヅリは十九歳だ。幼女でもなければロリータでもない。……まぁ、ちょっと子供っぽいところがある気はするが、別にそこを取り立てて持ち上げているわけではないし……というか、もこもこが好きだなんて言ってないからな、俺は?


「反論があるなら、声に出されてはいかがですか?」

「……うるせぇ」


 言葉にすれば、きっと墓穴を掘る。

 目に見えている落とし穴に自ら嵌りに行くつもりはない。

 沈黙は金だ。


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