絡まる糸を解いてみれば -1-

 帰る道すがら、ツヅリに尋ねてみる。


「不貞の嫌疑をかけられて、それでも秘密にしたいことってなんだと思う?」

「そうですね……」


 ぷにっと、自分のほっぺたを摘まんで考え込むツヅリ。

 ……なぜアゴでなく?


「自分では覆しようがないコンプレックス……などでは、ないでしょうか?」


 覆しようがないコンプレックス……か。


 体に大きな火傷の痕がある。そんな理由なら、夫婦の営みを拒む理由にはなるだろうし、秘密にしたい気持ちも分かる。

 だが、それでは獣の毛の説明がつかない。


 もしかして、魔獣を食べる種族だとか?

 聞けば、この『世界』には虫食や生肉食の人種もいるらしいし、もしシーマさんがその手の種族で、しかも生きたままの魔獣しか食べられないような種族なのであれば、魔獣の毛が散乱していたことも、部屋が荒らされていたことも、頑なに秘密にしておきたい理由も頷ける。

 ……が、エリックは言っていた。「血の痕もなかった」と。

 シーマさんが被害に遭っていないだけじゃなく、あの部屋では魔獣も傷を負っていないのだ。


 血抜きの器具でもない限り、寝室を汚さずに生き物を食べるなんて不可能だろう。


「なぁ、ツヅリ。シーマさんの部屋に、おかしな器具や道具はなかったよな?」


 ただの確認。

 そんなつもりだったのだが……


「ご覧になったのですか!?」


 意外な反応が返ってきた。

 ……何かあったのか?


「どんな物があったんだ?」

「え、えっと……」


 少し、視線をさまよわせて、ツヅリは不安げな表情で見た物を挙げていく。


「首輪と、鎖……あと、太いロープが……」

「…………」

「それから、少し大きめの檻のような物が……」

「あぁ、もういい。ちょっと待ってくれ……頭の中を整理したい」


 首輪に、鎖に、ロープ。それに大きめの檻。

 …………脳内に、なんともアブノーマルなイメージが浮かんでくる。

 ボンテージに身を包んだ女王様がブタと戯れたり、SだのMだの言って独特の空気間で意思疎通を行う、めくるめくアダルトなイメージが。


 ……まさか、そういう趣味だとバレるのが怖くてひた隠しに?

 じゃああの毛は? 獣人族のご主人様?

 あぁ、そういやエリックのことを『ご主人様』とか呼んでたっけな!? ちょっと片鱗を垣間見ちゃってたんじゃないだろうな、俺たち!?


「あれは一体、何に使う道具だったのでしょうか?」

「いや、おそらくそれは本件には関係のないことだから忘れてしまうといい」

「そうなんですか? アサギさんはあの道具にお心当たりが?」

「……まぁ、ないわけではないが……」

「お詳しいんですか?」

「詳しくはない!」


 そこは否定しておく。全力で。


 しかし、それはそれでちょっと厄介なことに……

 シーマさんの言葉を信用するなら、寝室に異性は入れていない。だから、呼んでいたのは獣人のご主人様ではなく獣人の女王様?

 それなら不貞ではない? ギリセーフ?

 ……セーフか?


「くっ……どうやって落としどころを見つければいいんだ」


 そもそも、それが正解だと決まったわけではない。

 ただ、それ以外の仮説が立たない。


「どうすれば、シーマさんは秘密を打ち明けてくださいますでしょうか?」

「それには、まずエリックが信用を得ることだな」

「信用、ですか?」

「あぁ。何を言っても離れていかない。どんな事実を打ち明けても嫌いになんかならないって確証が得られれば、シーマさんも話してくれるだろうが……こんな現状じゃあなぁ」

「では、エリックさんの協力が不可欠だとして……どうすればエリックさんは離婚回避のためにご協力くださるでしょうか?」

「あいつは今、全力で離婚に向かって突っ走ってるから、協力を得るにはシーマさんに秘密を打ち明けてもらうしか……いかん、堂々巡りになるな」


 お互いに別れたくはないはずだ。

 客観的に見ていれば、それが手に取るように分かる。

 だが、自分のこととなると、周りが見えなくなる。そういうヤツは多い。いや、ほとんどがそうだ。


 さてどうしたものかと頭を捻っていると、またツヅリが自分のほっぺたを摘まみ始めた。


「どこから手を付けるべきか……悩みますね」


 ぷにぷにと指を動かし、ほっぺたを摘まむ。

 まるで求肥のような柔らかさを思わせる肌感だ。少し美味そうに見える。


「……? どうかしましたか?」


 少しじっと見つめ過ぎたようだ。ツヅリが小首を傾げて俺を見ていた。


「いや、すまん。考え事をする時にほっぺたをつねるのは癖なのかと、思ってな」

「あぁ、これですか? これは、ただぷにぷにして気持ちがいいので。……摘まんでみますか?」


 なんでそうなる!?

 ……と、拒否しようと思ったのだが、好奇心が勝ってしまった。


「い……、いいのか?」

「えぇ。構いませんよ」


 警戒することもなく、無防備にほっぺたを晒すツヅリ。

 そ、それじゃあ……遠慮なく。


 そっと指を触れ、そして優しく摘まむ。



 ぷにぷに。



「おぉ……柔らかいな」

「うふふ。わたしのちょっとした自慢です」


 少し癖になりそうな肌触りと感触だ。

 ぷにぷにして、もちもちして、少ししっとりとして。

 何時間でも摘まんでいられそうだ。



「憲兵に突き出しますよ」



 突然、背後から聞き覚えのある声がして背筋に悪寒が走った。

 慌てて手を離し、振り返る。


「乙女の柔肌を無遠慮に……いやらしい!」

「エスカラーチェ……っ」


 いつからそこにいたのか、俺の背後にエスカラーチェが立っていた。

 いつものように、無表情の白いお面をつけて。

 無表情なのに、とても冷たい視線を向けられているような気がする……


「ぷにりマスター」

「不名誉な呼び名を量産するんじゃねぇよ」


『パンツスキー』だとか『ぷにりマスター』だとか。

 名誉棄損も甚だしいぞ。


「ところで、エスカラーチェさん。お出かけですか?」

「いえ、大家さんをお探ししていたんです」


 伝えたいことがあり、ツヅリを探していたというエスカラーチェ。

 何か問題でもあったのだろうか?


「実は、謎の金髪男が我が家に侵入しようと試みて、食虫植物の毒牙にかかりまして」


 大問題が起こってた!?


「そいつ、たぶん相談所の客なんだが……」

「だと思いましたので、速やかに解毒を施し、現在はあなたの部屋に寝かせてあります。事務所のカギがかかっていましたので仕方なく」


 お前は俺の部屋に無断で入るんだな。

 まぁ、別に構わないけれど。


「勝手に入って、すみませんでしたね。サトウ某さん」

「いや、別にいいさ。カギを開けっ放しにしてたのは俺だし、もともとエリックを寝かせていた場所に戻してもらっただけだしな」

「でも、客間は用意した方がよさそうですね。何かある度にアサギさんのプライベート空間が侵されるのは好ましくありませんし……」

「気にするな、ツヅリ。こういう特別なことがない限り、俺もちゃんと施錠しているし」

「まぁ、あの程度のカギ、私の手にかかれば二秒で開けられますけれどね」

「客間の新設とカギのグレードアップの検討をよろしく頼む」

「え、そ、そうですね。でも、あの、冗談だと思いますよ? ね、エスカラーチェさん」

「…………」


 めっちゃ口押さえてんじゃねぇか。

 こいつなら鍵開けくらい簡単に出来そうな気がするよ。


「それで、あの金髪のエリック・エクシブ二十八歳、憲兵夜間警邏班、結婚して四年、口癖は『ウチの妻がさ~』という男は何者なのですか?」

「もうすでに俺ら以上に詳しいじゃねぇか。これ以上なんの情報が欲しいんだよ、お前は?」


 相変わらずというか、凄まじい情報収集能力だな。

 今し方、出会ってひと悶着あった直後じゃないのかよ?

 いつ調べたんだよ、エリックのこと。


 ……ん? 待てよ。こいつなら知ってるんじゃないか?


「なぁ、エスカラーチェ。シーマさんが一昨日の夜にどこに行っていたか、知らないか?」

「私は他人の私生活を監視するような趣味は持ち合わせていませんよ。知るわけがないではないですか」


 まぁ、さすがに知らないか。

 情報として出回っていることをかき集めてくるのと、特定の人物を監視するのは似ているようでまったく違う。

 それを知っていろっていうのは無茶な話だ。


「まぁ、夜間に怪しい行動を起こさないかと、あなたのことは毎夜監視していますけれど」

「情報料取るぞ、コノヤロウ」


 この一件が終わったら、部屋の中に盗聴器の類いがないか徹底的に調査しなければ。


「それにしても、エリックさんはどうして屋上になんて行ったんでしょうか?」

「寝て起きたら少し冷静になり、離婚なんて大騒ぎしたことが少々不安になって、大事になる前に事の鎮静化を図ろうと大家さんたちを探していたがどこにも見当たらず、事務所も三階も施錠されていたため表へ探しに出たところ非常階段を発見し、とりあえず上がってみた――と、うわ言のように申していましたよ」

「それ全部、毒にやられてうなされている時の発言なのか!?」

「微量ではありますが、自白剤入りの毒ですので」


 恐ろしい植物がいたもんだ。

 いや、こいつが生み出したのかもしれない。遺伝子組み換えとかで。……恐ろしい女だ。


「しかし、冷静になって慌てるということは、ご本心は離婚を望んでいないということですよね?」

「だろうな」


 しかし、起こってしまった騒動をなかったことには出来ない。

 シーマさんが行方をくらませた一晩と、エリックが家をあけた丸一日という時間は取り戻すことは出来ないのだ。

 きちんとケリを付けておかないと、いつかまたぶり返す。

「お前だってあの時――」という具合に。


「絶望的ではなくなったが、誤解は解いておかなければ禍根を残すことになる」

「そうですね。せめて、シーマさんが不貞を働いていないということだけでも証明できれば……」


 ………………ん?

 そうか。


「ツヅリ。エリックが怒っていた理由はなんだった?」

「それは、『シーマさんが不貞を働いた』と思われる言動が見られたから――ですよね?」


 果たして、それだけか?


「エリックが我慢できなかったのは、『ワーウルフのせいで夜勤班に異動させられ、ワーウルフの警戒をしていた時間に、そのワーウルフと浮気をした』から、じゃなかったか?」

「『そう思われるような言動をシーマさんがされた』から、ですね」


 そこは譲れないのか、頑なに『浮気した可能性がある』と修正してくる。

 まぁ、決めつけるのはよくないよな。離婚回避に動こうってんなら、なおさらな。


「そう勘違いさせるような言動があったから、エリックは怒ったんだよな?」

「そうだと思います。エリックさんは、ご両親が亡くなられる原因となった魔獣を心底憎んでいらしたので」


 つまり。

 その可能性を否定してやれば、エリックは今よりも落ち着いて話し合いに応じてくれるのではないだろうか?


 最愛の妻が、もっとも憎むべき相手と浮気していた――わけではないと、分かれば。


「シーマさんが口を割らないなら、もう一方を崩せばいい」

「え?」

「ツヅリ。……うまくいくかもしれないぞ」

「本当ですか?」

「あぁ。そのために、エスカラーチェ、頼みたいことがある」

「いいでしょう。では、報酬はブルーベリーベーグルでお願いします。私、まだ食べたことがありませんので」


 それだけ言うと、詳細も聞かずにエスカラーチェは足早にその場を去っていった。

 走ってはいないのに、俺の全速力よりも速いかもしれない、そんな速度で。

 ……何者なんだよ、ホント。あいつは。






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