追加業務に拒否権なし -2-

「……ここで面談するのでは、ないのですか?」

「ここはただの集合場所さ。あ、ついでに、更衣室も兼ねているかな」


 じりっと、心が所長から遠ざかろうとしていました。

 心に合わせるように、一歩、私は後退りました。


「大丈夫。セッティングはすべて私がしておいた。君はな~んにも考えずに、ただ『会って』『話をして』くればいいだけだよ」

「お……お断りします」

「それはダメだよ」


 ことさら楽しそうに、いつも以上ににっこりと、底冷えするような笑みを浮かべて所長が私へ向かって手を伸ばします。

 小さな腕が伸びて私の首を締めつける、そんな錯覚に呼吸が困難になっていく。


「神の前で立てた誓いをそう易々と違えられると思うかい? そういう不敬な輩を、私は世界で二番目に嫌っている」


 すべては目の錯覚。

 そう分かっているのに、所長の髪が持ち上がり、暗黒のオーラを纏って、瞳が真っ赤に燃え上がっているように見え、心が萎縮して身動きが取れません。


 呼吸することさえ難しく、萎縮する心は逃げ出すことすら放棄して身を縮め震え続ける。

 抗えない絶対的な力の差を見せつけられ、恐怖という感情すら起こらない。


「……っ!?」


 突如、背後からぬっと魚の顔が突き出してくる。

 私の顔に触れるくらいの近距離を、モナムーちゃんがゆっくりとすり抜けていく。


「その子は、元の世界にいた時からずっと私に仕えていてくれた眷属でね、何よりも信頼できる相棒なのさ」


 ゆったりと空中を回遊するモナムーちゃんだが、その瞳には常に私が映っている。

 ……おそらく、所長の命令一つで襲いかかってくるだろう。


「君は聡明な女性であると、私は信じている。おのれの口にした言葉には責任というものが付き纏うのだよ。……分かるだろう?」

「………………はい」


 やると言ったのならばやらなければいけない。

 それは当然のことだ。

 話が違うと憤る前に、詳細を確認しなかった自身の迂闊さを嘆くべきだ。



 ……そう教わっていたはずだ。かつての世界で。完全であることを求められて。



「あなたの言葉に従います」

「うん。分かってくれて嬉しいよ、カサネ・エマーソン君」


 ……こうして名を呼ぶのも、名を押さえることで相手を縛れる神格の持ち主が自身の優位を知らしめるために他ならない。

 仕える者が変わっただけで、私のやっていることは何も変わらない。

 私は、何も変わっていない。


「それじゃあ、大切な相談者様を待たせないように、早急に着替えてくれ給え」

「……はい」


 気が付けば、私の周りを回遊していたモナムーちゃんは天井付近をゆらゆらと泳いでいた。


「……はぁ」


 息を吐くと、呼吸が途端に楽になった。

 主のそばは息が詰まる――そう考えていた以前の世界のことが懐かしい。

 不満を不満とも認識せず、ただ主のめいに粛々と従うだけの生き方だった。


 萎縮しきっていた心を抑え、かつて私がいた世界で見た、神の怒りに触れた者たちの末路を思い出す。

 彼らは一様に泣き叫び、必死に許しを請い、あっけなく消し炭にされていた。


 私は、それが当然のことだと認識しながらも、なぜか納得が出来なくて……



「カサネ・エマーソン君」


 所長の声に、思考の海から意識が浮上してくる。


「時間がないのだよ。早く着替えないと、相談者が到着したら着替え途中でも所長室から引っ張り出すよ?」

「何を考えているんですか。ダメに決まっています」

「いやいや、私がいた世界では『生着替え』という伝統文化があってね? カーテンで仕切られた小さなスペースで着替えをするのだけれど、時間が来ればそのカーテンがストーンと落ちて嬉し恥ずかしいや~んなハプニングが――」

「時間がないようですのでさっさと着替えてきます」


 先ほどの禍々しいまでの威圧はどこへやら、そこにいるのはいつものしようもない話しかしないダメなちびっ娘所長でした。


「あぁ、そうそう! もしウェストがキツかったりバストが余ったりしたら報告し給え。半笑いでお直しをしてあげるから」

「死んでも報告しません」


 所長室のドアを閉め、しっかりと施錠し、所長の机をドアの前に移動させてバリケードを作り、念のために室内の重そうな物をドアの前に積み上げておきます。

 私は何も変わっていない。と、そう思ったけれど、こうして反論できるようになっているのですから、私も少しは変わったのかもしれませんね。


 そして、クローゼットに掛けてあった『これを着るように』というメモの貼られた衣装を見て、頭を抱えました。

 何を考えているのか、まるで理解できない。

 理解しようとする努力すら無駄のように思えます。


「……まったく、胸にもウェストにもボタンなどないじゃないですか」


 一言不満を呟いて、私はその衣装に袖を通しました。

 あの所長なら、本気で着替え途中に引っ張り出しかねませんから。


 あの所長のやることですから、注意したところで無意味、怒ったところで無益、存在そのものが無法地帯。

 早々に諦めて今日一日だけのお手伝いとやらをさっさと終わらせてしまった方がこちらの負担も少なくて済むでしょう。

 半ば諦めの境地で着替えを終えた私なのですが……甘かったです。


 所長がやることとはいえ、限度があります。

 まったくもう。全方位に迷惑をかけて……


 事前に、力尽くでも潰しておくべきでした、こんな傍迷惑な計画は。




「カ、サネ……さん?」


 所長への抗議の言葉をまき散らしながら相談所のドアを開けると、普段着ないような衣装に身を包んだ私を見て、トラキチさんが固まっていました。


「じゃ、あとは若い二人に任せて」


 むひょひょひょと、妖怪のような笑い声を残して所長室へと帰っていく所長。

 なんの説明もなしですか?

 任せてって、何を任されたんですか、私は?

 セッティングはすべてしておいたって言いませんでしたか?


 あぁ、もう……




 所長、何考えてるんですか、まったく。






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