第12話 訓練

 僕がいるレーストリンダという国は、リデューラ大陸にある五つの国の一つだ。

 五つの国は、大森林と呼ばれる広大な森林をグルっと取り囲むように並んでいて、レーストリンダは南部から南西部に広がる横長の国だそうだ。


 大陸の南側というと、温暖な気候かと思われるかもしれないが、大陸があるのは星の南半球のようで、南に行くほどに寒冷な気候となる。

 レーストリンダは軍国主義の国だそうで、軍の重要な役職に就いている者が貴族として裕福な暮らしをしているらしい。


 軍事は、いわゆる剣と魔法で、強力な魔術士が軍の主力を務めている。

 主な産業は林業と農業だが、寒冷な気候ゆえに収穫量は少なく、国の財政はあまり良くないようだ。


 レーストリンダの北隣にあるのがダルバーニで、鉱物資源が豊富で、工業生産が盛んな王国だそうだ。

 レーストリンダとダルバーニは、温暖な土地を得たいレーストリンダの侵略行為に起因する紛争を長年に渡って続けているらしい。


 ダルバーニが密かにレジスタンスを支援しているのは、レーストリンダを内部から弱らせるためだそうだ。

 レーストリンダの東隣にあるのが、シセンドルグという宗教国で、エツクーフ教の教皇が国を治めていて、殆どの住民が教義の下に暮らしている。


 シセンドルグは小さな国で、領土拡大を目指すレーストリンダの格好の標的になりそうだが、神聖魔法という強力な魔法を使う聖教騎士が侵略を食い止めている。

 実際に見たことはないが、聖教騎士は一人でレレゾ達三人を手玉に取れるぐらい強いらしい。


 なぜ僕が、このような情報を知っているかと言うと、先生から教わったからだ。


『先生、教えなかった、抜け道、一つ……でも、半分、残ったのは……』

『そうか、それでも上出来だ。良くやったぞ』

『でも、悔しい……』

『そうだな、だが全員を助けようと思ったら、あの三人に加えて護衛の騎士まで倒さねばならん。今のケンでは無理だ』

『分かってる……でも……』


 僕は今、与えられた部屋のベッドに寝転んでいる。

 部屋と言っても鍵の付いていない独房のようなもので、硬いベッドと作り付けの戸棚、折り畳みの机があるだけだ。


 窓には鉄格子がはまっているし、ドアにも鉄格子のはまった覗き窓が付いていて、鍵は付いていない。

 出入りは自由だけど、閉じこもることはできず、プライバシーなんてものは存在していない。


 そんな独房のような部屋で僕と話している先生は、腕を組み、足を組んだ状態でフワフワと宙に浮いている。

 ダークブラウンの髪を短く刈り込み、ガッシリとした2メートル近い巨体は、魔眼を使っても半分透けて見えている。


 先生の名前はイコーダ、この施設で拷問されて殺されたダルバーニのスパイの幽霊だ。

 魔眼を移植され、ようやく自分の意思でピントが合わせられるようになった頃、僕は幽霊が見えるようになっていた。


 殆どの幽霊は、何も言わずに佇んでいるだけだが、中には先生のように話し掛けてくる幽霊がいた。

 幽霊の声が聞こえるのは、幽霊を認識できる者だけで、僕以外には先生の声は聞こえていない。


 僕が幽霊と会話していても、監視している施設の人間は、魔眼に幻覚を見せられていると思っているようだが、さすがにレーストリンダを裏切るような内容を大きな声で話す訳にはいかない。


 僕は声を出していないが、先生は僕の口の動きで話を読んでいる。

 いわゆる読唇術と言われるものだ。


 僕に魔眼が埋め込まれていると知った先生は、読唇術の手ほどきもしてくれた。

 まだ、完全に話を読み取れる訳ではないが、魔眼と組み合わせて使えば、効果は絶大だ。


 声の届かない離れた場所や、分厚い壁の向こうの会話まで読み取る事が出来てしまう。


『ダルバーニの武器、強くなる、早く進歩……レジスタンス、勝てる……』

『そうだな、ケンの世界のような武器が出来れば、状況は一変するだろうな』

『いつか知らせる……ダルバーニに、技術』

『そうしてもらいたいが、まずケンは生き延びる事だ。生きて、この施設を出て友達を探すんだろう?』

『そう、でもフィヤ……家族』

『そうか、ケンにとっては家族なんだな』


 先生の話によれば僕やフィヤは、王と勇者の戦いで生じた時空の歪みに落ちて来た者のようだ。

 魔王というのは、大陸の北にあるマリソンという国に現れた犯罪者だそうで、魔物を操って数々の悪事を働いていたそうだ。


 大森林の北側に自分の根城を作り、徐々に勢力を拡大していたらしく、マリソンは大きな被害を被ったらしい。

 マリソンは、温暖な気候の農業国で、ここで生産された穀物は、大陸全体だる五カ国の食料事情を一手に支えていたそうだ。


 そのマリソンが被害を受けた事で、穀物の価格が急激に上がり、他の四カ国でも食糧事情が悪化し、餓死者まで出す事になったらしい。

 そんな状況を憂いて、シセンドルグの聖教騎士の中から選ばれた三名が、魔王の討伐に乗り出したそうだ。


 魔王の軍勢が膨大なので、マリソンや隣国のカリータの兵隊や冒険者も加わって、大きな戦争のような状態になったようだ。

 僕やフィヤが目撃した、クレーターや森が焼けた所は、魔王と聖教騎士が戦った痕跡だったのだろう。


 森に生き物がいなかったのは、戦いから身を隠すために移動したからで、鹿などが戻って来たのは、戦いが終結したからだ。

 魔王と呼ばれた男は、手下の魔物と分断され、しかも三対一の戦いを強いられ、とうとう力尽きたらしい。


 その戦いの調査に現れたのが、僕をここに連れて来た大男のママダだ。


『ケン、もしここを逃げ出せたら、シセンドルグを超えてカリータへ行け。ダルバーニとレーストリンダは、いずれ大きな戦争に突入するだろう。他の世界から来たケンが、戦争に巻き込まれる必要は無い』

『でも、レジスタンス、沢山した、見殺し……ある、責任』

『戦争では、もっと多くの者が命を落すだろう。私は、その中にケンに入ってもらいたくないのだよ。これは、こちらの世界の問題だ』

『カリータ行く、何する……分からない』

『カリータに行って、自由に生きれば良いんだ。あの国は、農業も工業もバランス良く発展している国だ。レーストリンダとの間にはシセンドルグがあるから戦争に巻き込まれる心配も少ない。自由に、生きたいように生きれば良い』


 先生は、自由に生きれば良いと言うけれど、こんな魔眼持ちが自由に生きられるのか疑問を感じてしまう。


『ここから出れたら……暮らす、森で』

『そうだな、それでも良いかもしれんな。カリータ近くの森の中で、家族と暮らせばいい。そうだ、ついでにチルルを攫って行け。病気や怪我の心配が要らなくなるぞ』

『えぇぇ……うるさい、チルル、要らない』

『そうか、それなら、早く逃げ出せるようにしないとな』


 先生からは、身体の鍛え方や戦い方なども教えてもらっている。

 身体強化を使うガガソには敵わなくても、普通の兵士ぐらいには勝てるようになっておきたいの、筋トレと格闘術のトレーニングは毎日続けている。


 ただし、実体を持たない先生相手の練習なので、格闘術はなかなか上達している実感がない。

 ガガソでは、力量差があり過ぎて、一方的にボコられて終わってしまうからだ。


『いっそ、チルルの護衛を務めたいからと言って、兵士の訓練に加えてもらえば良い』

『うーん……なんか嫌、理由が』

『ふっ、変なところが頑固だな。でも、時には手段を選ばない柔軟さが無いと、生き残れない場合もあるんだぞ』

『考えて、みる……』


 僕らの部隊には専用の待機ルームが設けられている。

 広さは二十畳以上あるだろうか、豪華なソファーとテーブル、ビリヤードに似たゲーム台、壁を埋め尽くす本棚、メイドも常駐しているという贅沢さだ。


 朝食の後は、この部屋に集合して、任務が入るのを待つ事になっているが、ガガトとサメメが昼食前に姿を表す事は殆どない。

 レレゾは、一人でゲームを楽しむか、訓練場に行くかのどちらかで、部屋にいるのは半分ほどの時間だ。


 真面目に部屋で待機をしているのは、チルルと僕の二人だけで、チルルは殆どの時間を本を読んで過ごしている。


「はぁ? 兵士の訓練に参加したい? 何言ってんの、そんな必要無いでしょう」

「立ちたい、役に……」

「あんたは、私の魔力タンクをやっていれば良いのよ」

「敵来た、困る、守れない」

「そのために護衛の騎士が居るんだし、安全な場所で待機するのよ、あんたも監視してんだから必要ないでしょ」


 チルルは言い捨てると、視線を本へと戻してしまった。

 チルルが許可したがらないのは、僕が訓練に参加すると、一緒に訓練場に付いていく必要があるからだ。


 僕がチルルの付属品扱いであるのと同じで、僕が居ないと魔法が上手く使えないチルルは一緒に行動する必要があるのだ。

 本があって快適に過ごせる待機ルームを出て、埃の舞う訓練場なんかに行くのは真っ平御免なんだろう。

 こうなったら、手段を選んでいられない。


「僕、守りたい、チルル」

「なっ、何言ってんのよ、ばっかじゃないの……」

「敵来る、見える、でも、止まらない……騎士負けた、チルル傷付く、駄目」


 本から僕へと視線を戻したチルルは、少し顔を赤らめながら迷っているようだ。


「ちょ、そんなに訓練したいの?」

「したい、チルル、大事……」

「ばっ、と、当然でしょ。私が居なきゃ、あんたは役立たずなんだからね」

「だから、チルル、守る」

「なっ……」


 チルルは真っ赤になった顔を本で隠して、何やらブツブツと言い始めたが、声が小さくて聞き取れない。

 たぶん、もう一押しなのだろう。


「チルル、守りたい」

「分かった! 分かったわよ、もう……好きにしなさいよ……」

「ありがとう、好き、チルル」

「なっ……う、うるさい……」


 どうにかチルルを説得して、この日以降、兵士の格闘訓練に参加させてもらえるようになった。

 訓練の初日、兵士の皆さんは、とても優しく迎え入れてくれたが、すぐに訓練は厳しいものになった。


 ガガトのように痛め付ける目的ではないので、全く対応出来ない訳ではないが、もともと大人と子供ほども体格が違うのだから、訓練に付いていくので精一杯だ。

 訓練の最中、宙に浮かんだ先生がアドバイスをしてくれるが、絶対的な体格差、パワーの差はどうにもならない。


 それでも、僕には他の手段はないから、必死で食らい付いてくしかなかった。

 僕に対する訓練が厳しくなる理由は、チルルに治癒魔法を掛けてもらえるからだろう。


 打ち身どころか、捻挫、脱臼、骨折でさえも、たちどころに治って、訓練に復帰出来るのだから、ズルいと思われても仕方ない。

 実際、訓練中に『お前ばっかり良い思いしやがって……』などと言われた事も、一度や二度ではない。


 今日も訓練中に、腕を取られて背負い投げされ、そのまま兵士の巨体に押し潰され、肋骨が何本か折れた。


「ぐぅぅ……胸がぁ……」

「ちょっとケケン、しっかりして……んっ……」


 慌てて駆け寄ってきたチルルが、キスする振りをして唇に噛み付き、血を吸い終わると治癒魔法を掛けてくれた。


「んぁ……はぁはぁ……ハイヒーリング」

 

 治癒魔法の効果は、本当に劇的で、嘘のように痛みが無くなる。


「ありがとう、チルル、大好き……」

「なっ、何言ってんのよ、普通よ、このぐらい……」


 治療の間、待ってくれていた兵士に頭を下げて、訓練の続行を頼んだ。


「お待たせ、です、もう一回、お願い……」

「ちっ、手前ばっかり良い思いしやがって……来い」


 たぶん若い兵士は、ろくに治癒魔法も掛けてもらえないのだろう。

 簡単に、しかも高度な治癒魔法を掛けてもらえる僕には、日を追うごとに風当たりが強くなっているように感じる。


 素手、ナイフ、剣、槍、日によって、訓練のメニューは変わるが、厳しさは変わらない。

 訓練に参加し始めた僕に対して、リーダーのレレゾは無関心、サメメもどうでも良いらしく、ガガトだけは顔を合わせる度に絡んで来た。


 訓練に参加する事で、少しずつ攻撃を捌けるようになると、その度に苛立った表情を見せるガガトにボコられた。

 訓練を始めた頃は、どこに行ってもボコられるだけだったが、3ヶ月を過ぎた頃から攻撃を受ける回数が減ってきた。


 最初は、何もかもが足りなくて一方的にやられたが、最初に目が慣れた。

 正確には、魔眼が興味を持ったと言った方が良いのだろう。


 相手の攻撃を、僕が予測するよりも早く『深望の魔眼』が察知して視線を向けるのだが、それに全く僕が追いついて行けなかった。

 魔眼の動きに追いついて、自分でも攻撃が察知出来るようになっても、身体の動きが追い付かない。


 そもそもの体力が違うし、攻撃が来るのが分かっても、どう避ければ良いのか、どう捌けば良いのか、考えてから動いていたので攻撃を受けていた。

 3ヶ月経って、ようやく身体が慣れて、受け方、捌き方、避け方を覚えて、兵士と対等に渡り合えるようになった。


 チルルに治癒魔法を掛けてもらう回数が減ったせいか、それとも実力が付いてきたおかげか、兵士達からの風当たりも柔らかくなってきた。

 一方チルルは、自分の能力を見せ付ける場が減ったためか、最近は面白くなさそうな顔で訓練を見物している。


 そしてガガトは、僕が捌きや回避を覚えてくると、苛立ちを露にして向かって来るようになった。


「手前ぇ、チョロチョロ逃げ回ってんじゃねぇ!」

「捕まえられない、悪い……ノロい」

「何だと、ぶっ殺されてぇのかよ!」


 人間技とは思えない速度のガガトのだが、攻撃が単調で、予備動作が大きいので、先読みが出来るようになると、避けられている時間も長くなっていった。

 当然ガガトは、更に頭に血を上らせて速度を上げていくので、一発食らった時のダメージは甚大になる。


「うらぁぁぁぁ!」

「がはっ……」


 回避が間に合わず、直撃を食らってしまったガガトの左フックで、ガードした右腕が砕かれ、そのまま右の肋骨を根こそぎ砕かれ、肺が破裂した。

 中庭の隅まで吹っ飛ばされて、身動き一つ出来ない。


「役立たずの分際で、調子くれてっからだよ……」

「がはっ……ごぼぉ……」


 歩み寄って来たガガトは、僕の右膝、左膝の順に踏み砕くと、唾を吐き掛けて去って行った。


「ちょっとガガト、いい加減にしてよね。こんなんでも死んだら皆が困るんだからね!」

「うっせぇ! さっさとチューチューして治せ、おら、レレゾが来たぞ、任務じゃねぇのか?」

「分かったわよ、言われなくたってやるわよ!」


 チルルは用意していたタオルで手荒く僕の顔を拭くと、魔力補給のためのキスをして来た。

 いつかガガトの奴に吠え面かかせてやると決意を固めながら、治癒魔法を掛けてもらうまでの激痛を、奥歯を噛み締めて耐えた。

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