第2話 異世界

 森に迷い込んだ翌朝、棒を倒して決めた方向に向かって、ひたすら歩いて行く事にした。

 同じ場所をグルグルと回ってしまわないように目標物を決めて進み、所々で木に印を刻んでおく。


 クリームパンは食べてしまったので、手持ちの食料はカロリーブロックが一つあるだけだ。

 幸い、森のあちこちには湧き水が湧いているので水の心配はなさそうだが、見つける度にミルクティーが入っていたペットボトルを満タンにしておく。


 子犬は、当然という顔で一緒について来ている。

 貴重な暖房器具だから、どこかに行ってしまうと困るので、名前を付けることにした。


 まだ生まれてから一、二ヶ月だろうか、僕でもヒョイと持ち上げられてしまう大きさで、重さも5キロぐらいだろう。


「お前、どこから来たんだ? こんな赤い毛の犬なんて見た事ないぞ」

「きゃう?」


 前足の付け根を持ってプラーンとぶら下げても、首を傾げるぐらいで大人しいが、子犬にしては足が太いので大型犬かもしれない。

 おちんちんが付いて無いから雌だ。


「うーん……燃えてるみたいだから、炎……ファイヤー……フィヤ、お前の名前はフィヤだ!」

「きゃん、きゃん!」

「分かってるの? フィヤ」

「きゃう?」


 座って休憩にすると、すぐにフィヤはお腹を見せて寝転んでみせる。

 お腹はフカフカで、撫でてやるとフィヤは気持ち良さそうに尻尾を振った。

 尻尾もモフモフで、めちゃくちゃ手触りが良い。


 休憩を切り上げて森を歩いて行くと、例のおかしな風景にぶつかった。

 クレーターのような凹みであったり、木がまとめて焼け焦げていたり、そうかと思うと木が凍り付いている所もあった。


 一直線にどこまでも森がトンネルのように抉り取られていたり、地面までが一度熔けてから固まった溶岩のようになっている。

 まるでアニメに登場する、超人同士の戦闘の跡みたいだ。


 半日ほど歩き続け小高い丘に登って、更に木に登って周囲を見渡してみたが、遠くに山がある他は森しか見えない。

 所々に、木が薙ぎ倒された場所が見えるぐらいで家も道路も見えず、近くに人の気配すら感じられない。


「きゃう、きゃう、きゃう!」

「大丈夫だよ、ここに居るから……」


 まだ子犬のフィヤは、僕が少しでも離れると不安なようだ。

 正直に言えば、人の気配すら感じられない現状は、僕にとっても凄く不安な状況だ。


 木から下りると、すぐにフィヤが飛び付いて来て、口の周りをベロベロ舐め回された。

 もう獣臭いのにも、すっかり慣らされてしまった。


 どこまで森が続いているのか分からない、どこまで進めば人に出会えるのかも分からないので、とにかく食料を手に入れようと考えた。

 一日、二日程度ならば大丈夫だろうが、食べられない日が続けば、いずれは空腹で動けなくなる。


 方向を間違えないように気を付けながら、何か食べ物は無いか探しながら歩いた。

 最初に見つけたのは、胡桃のような木の実だった。


 秋になると、アウトドアが趣味な父さんに連れられて、よく山に木の実を拾いに行った。

 胡桃は拾う人が少ないのか、沢山拾えたものだ。


 この森にも、胡桃のような実が沢山落ちていた。

 試しに一個拾って石を使って殻を割ってみると、渋みも少なくて食べられそうだ。


 落ちていた実を拾い集め、果肉が付いているものは削ぎ落とし、コンビニのビニール袋に詰め込む。

 ついでに殻を割るのに丁度良さそうな石も、ゲットしておいた。


 胡桃の他にも食べられそうな実が無いか探してみたが、どんぐりに似た実は、渋くて食べられない。

 栗は無いかと見回したが、それらしい木も見当たらない。


 歩けども歩けども森が続き、いつの間にか日が傾いてきた。


「駄目かぁ、今日はこの辺で寝る場所を探すか?」

「きゃう、きゃう」


 日が暮れると、ぐっと気温が下がるが、フィヤという名の暖房器具を確保出来たので、雨風さえ凌げる場所ならば凍死はしないだろう。

 丁度良い洞窟は無いだろうかと探してみたが、そんなに都合良く洞窟は現れてくれない。


 どこか良い場所は無いかと探していると、大きな木の根っこが良い感じに張り出していた。

 僕とフィヤなら、スッポリと入り込んで、入口だけ塞げば良さそうだ。


 乾いた落ち葉を集めて敷き詰め、葉っぱの付いた枝を折って集め、折れた太い枝を柱にして入口を被う。

 僕とフィヤが入り込めば殆ど一杯の大きさしかないが、広いと暖かさが逃げて行きそうなので丁度良いのだろう。


 寝床の支度が終わっても少し明るさが残っていたので、拾っておいた胡桃を割った。

 殻が邪魔になるので、割って中身だけ出してしまおうと思ったのだ。


 殻から穿り出した実を溜めておこうと考えたが、思ったほどの量にはならず、フィヤと一緒に食べてしまった。

 また明日、拾っておかないと駄目みたいだ。


 日が落ちて気温が下がり始めたので、僕らは鳥の巣状の寝床へと籠もった。

 足の上に抱え込んで撫でてやると、フィヤは大人しくジッとしている。


 モフモフ、ヌクヌクなフィヤのおかげで、今夜も凍えずに済みそうだ。

 やがて日が暮れて、周囲は闇に包まれた。


 父さんと何度もキャンプをしたが、日本だと森の中に居ても、遠くを走る車の音や、夜間飛行の飛行機のエンジン音が聞えたりする。

 場所によっては、フクロウや野生動物の鳴き声が聞えたりもするのだが、この森は静まり返っていた。


 聞えて来るのは、膝の上のフィヤが立てる寝息だけ。

 夜中にふと目を覚ますと、外から淡い光が差し込んでいた。

 まだ朝には早いし、何かと思って外に出てみた。


「フィヤ、ごめん、ちょっと外に出るよ……」

「きゅーん……」


 眠たそうなフィヤを膝から下ろして寝床から這い出してみると、空には満月が浮かんでいた。


「あぁ……そんな……」


 足から力が抜けて、夜の森に座り込んでしまった。

 もしかしたらという思いはあったが、ここは地球ではなかった。


 空に浮かんだ月は、地球で見る月の倍ぐらいの大きさで、その影からもう一つの小さな月が顔を出している。

 大きな月も、小さな月も、ぼやけて滲んで見えた。


「うっ……うぅぅ……うあぁぁぁ……帰りたい、帰りたいよぉ、お父さん……お母さん……」


 小学生の僕だって、地球以外の星に行く方法が無いと知っている。

 違う世界に行くファンタジー小説も読んだけど、召喚した人も居ないし特別な能力も貰っていない。


 地球上のどこかなら時間は掛かっても帰れると思えても、ここからは帰れると思えない。


「きゅーん……」

「フィヤ、フィヤ……帰りたい、帰りたいよぉ……」

「きゅーん、きゅーん……」


 顔をペロペロと舐めてくれるフィヤを抱きしめて、夜の森で、月明かりに照らされながら泣き続けた。


 翌朝起きると、昨晩思い切り泣いたからか気分はスッキリしていた。

 父さんから、後を振り返って反省するのは一度で良い、考えるのはこれからどうすべきかだと……いつも教えられてきた。


 帰れないなら、この世界で生きていくしかないし、幸いフィヤという相棒も居てくれる。

 ここが地球でないとすると、森の外に人が居るとは限らないので、ひとまず自分達が生きていく術を見つける必要がある。


 衣、食、住……着るものは手に入りそうもないから、食べるものと住む場所の確保を目指す。

 カロリーブロックの半分を、フィアと分け合って出発した。


 何処に住むのが良いだろうかと考えた時、まず頭に浮かんだのは川の近くだ。

 家族で良く出掛けていたのは、川の近くのキャンプ場だった。


 川があれば水には困らないし、運が良ければ魚が獲れるかもしれない。

 実がなる木の生ていれば、更に良い。

 フィヤと一緒に、川を探して歩き続けた。


 それにしても、何故この森には動物が居ないのだろう。

 これだけ広大で食べ物となる木の実も落ちている森なのに、シカやイノシシみたいな大きな動物はおろか、リスのような小動物や鳥の姿さえ見かけない。


 虫は……探せばいるかもしれないが、今はまだ食べようと思えない。

 でも、木の実や最後のカロリーブロックを食べてしまったら、虫でも木の皮でも食べられそうな物は食べるしかないだろう。


 僕とフィヤが、川に辿り着いたのは、三日後の午後だった。

 驚いた事に、川には50センチぐらいの魚が沢山泳いでいた。

 もしかしたら、産卵期なのかもしれない。


 ここまで来る間に、カロリーブロックもフィヤと分け合って食べてしまったし、他に食べたのは拾った胡桃だけだ。

 これはもう速攻で捕まえて、速攻で食べるしかない。


 魚を獲りやすい浅瀬を探して、靴を脱いで川に入った。

 水はかなり冷たくて、長い時間は入っていられそうもない。


 幸い一旦逃げていった魚は、すぐに足元にまで戻って来た。

 ここの魚は、スレていないようだ。


 寒さに堪えながら中腰で待ち構え、股の間を抜けて行こうとした魚を岸へと放り投げた。

 川原の石で頭を殴って動きを止め、カッターナイフでお腹を裂くと、朱色の卵が出て来た。


 川魚には寄生虫が居るという話を聞くが、空腹がもう限界で構っている余裕はなかった。

川の水でさっと洗い魚の卵に齧り付くと、イクラのような味が口一杯に広がる。


 さすが獲れたて鮮度抜群、生臭さの欠片も無く、濃厚な旨みが脳天に突き抜けた。


「うんまぁ! ほら、フィア食べろ!」

「きゃん! きゃん!」


 分けてあげると、フィヤも夢中になって貪った。

 卵の次は、身の部分だ。


 カッターの刃を引っ込めて、金具の部分で鱗を剥がし、切り身にする。

 生のままで齧り付くと、オレンジ掛かったピンクの身には脂がたっぷりと乗り、サーモンの刺身を固まりで食べているようだ。


 フィヤと分け合いながら、あっと言う間に一匹食べ尽くしてしまった。

 脂でギトギトになった手を川で洗い、ついでに口を濯いでみて、おかしな事に気付いた。


 川の水は、ほんの少しだが塩気を感じる。

 水筒代わりのペットボトルに残っていた水と較べてみると、やっぱり、ほんの少しですが塩気がある。


 もしかしたら、近くに岩塩があるのかもしれない。

 いずれ塩も確保しなきゃいけないと思っていたので、これはラッキーだ。


 食事を終えたフィヤは、満足そうな顔で日当たりの良い川原に横たわった。

 隣に座って撫でてやると、フィヤはむくっと起き上がり、体育座りしている僕の足の間に入り込んで腿に頭を預けて来た。


 僕にくっ付いていると、安心するようだ。

 昼寝をするフィヤを抱えながら、周囲を見渡す。


 川には、僕とフィアでは食べきれないほど、魚がウジャウジャウ泳いでいて、胡桃に似た木もチラホラ見える。

 僕は、この近くに住処を作り、食料を溜めようと考えた。


 川の近くは便利だが、大雨が降った時の増水も考えておく必要がある。

 フィアと一緒に川に沿って歩いて、手頃な場所を探した。


 少し歩くと川岸が岩場になり、川原から上がった場所に大きな岩が庇を作っている場所があった。

 庇の下で吹き溜まりになった落ち葉は乾燥していて、どうやら水が入って来ることは無さそうだ。


 すぐ近くには湧き水も流れていて、こちらは真水のようだ。

 川面からは十分な高さがあり、増水しても水没する心配も無いだろう。

 僕は、ここに家を作ろうと決めた。

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