異世界に迷い込んだら子犬を拾ったので一緒に暮らしてみた

篠浦 知螺

第1話 出会い

 ピポピポーン……ピポピポーン……

 学習塾の帰り道、クリームパンと温かいミルクティーを買ってコンビニの自動ドアを出ると、そこは森だった。


「えっ……なんで?」


 十秒ほど森を眺めた後で慌てて振り向くと、コンビニの自動ドアが蜃気楼のように消えていった。

 後には森が広がっているだけで、訳が分からず呆然と立ちつくしてしまった。


 僕の名前は柴田健、練馬区に住む小学六年生で、友達からはシバケンって呼ばれている。

 来年からは中学生なんだからと、母さんに半ば強制的に通わされている塾から帰る途中だった。


 塾が終わったのが夕方六時過ぎだったから、街灯にも明かりが灯っていたのに、今は空から日が差している。

 こんな時は下手に動かない方が良い気もするが、じっと待っていても状況は変わらない気がする。


 その場で、ぐるっと周囲を見渡して見ても、森が広がっているだけで、人の気配は全く無い。

 ただ、濃密な緑の匂いの他に、木が焦げたような匂いが漂っているだけだ。


 手にしていたペットボトルを開けて、暖かいミルクティーを少しだけ飲んだ。

 紅茶の香りとミルクの甘さが口に広がって、少しだけ気持ちが落ち着いた。


 それと同時に、これが夢ではなくて現実なのだと理解させられてしまった。

 森に生えている木は、松や杉のような針葉樹に広葉樹も混じっている。


 塾からの帰りが遅くなるので、ダウンジャケットを着てきたから寒くないが、日中でこの気温だと日が暮れると一気に寒くなるだろう。

 十分程じっと動かずにいたが、元のコンビニには戻れそうもないので移動する事にした。


 正直、心細くて喚き出したいが、アウトドアが趣味の父さんと毎週のように山や川へ出掛けていたので、遭難時の対応も教わっている。

 まずは落ち着いて行動する、パニックに陥ると最悪の事態を招く危険性があると、嫌になるくらい聞かされている。


 なので、深呼吸を繰り返して、気持ちを落ち着けてから動き出した。

 念の為に尖った石を探して、木の幹に印を付けながら移動する。


 目指す先は、木の焦げた匂いのする方向だ。

 火を焚いている人がいれば、助けを求められるだろう。


 ここが外国だったとしても、ジェスチャーで何とかするつもりだったが、向かった先には予想外の光景が広がっていた。


「なんだこれ……」


 隕石が墜落したのか、それとも爆発でもあったのか、木が薙ぎ倒され、地面が抉れてクレーターができている。

 炭になってしまった木が、何本も立っていた。


 恐る恐るクレーターに近付くと、空気が揺らめいている所があった。


「えっ……池?」


 池のようなものが見えるが、まるで立体映像でも見ているように半分透けて見える。

 石を拾って投げ込むとポチャンと水音が聞えたが、次の瞬間すーっと池は消えて無くなった。


「なんだよこれ……」


 良く分からないが、なんだか空間が歪んでいるかのようだ。

 僕はこのような歪みに落ちて、この森に来てしまったのかもしれない。


 そうだとしたら、日本に繋がっている場所があるかもしれない。


 空気が揺らめいて見える場所を探して覗いて歩いたが、砂漠や溶岩流、一面の海など日本の街並みは見当たらなかった。


 そのうちに、空気の揺らめきは数を減らしていき、遂には見当たらなくなってしまった。

 クレーターから少し離れた場所に登れそうな木があったので、上から周囲を眺めてみた。


 他にも煙が上がっている場所がいくつか見えたが、人工的な建物とかは何一つ見えない。

 とりあえず、一番近くの煙が上がっている場所に行ってみる。


 森には人の手が入った感じが全くしないのに、動物の気配も感じられない。

 時々足を止めて周囲の音に耳を澄ませてみたが、鳥の鳴き声すら聞えてこない。


 ただ、ドーン、ドーンという太鼓のような、爆発のような音が、遠くから微かに聞えていた。

 やがて木の焦げた匂いが強くなり、森を抜けた所には、またクレーターができていた。



 空気が揺らめいて見える場所を探して歩いたが、ここには見当たらない。

 もう一時間近く歩いただろうか、日も傾きだして赤く染まり始めている。


 立ち止まって、この後の事を考えていると、何か聞えたような気がした。


「きゃう……きゃうきゃう……」

「犬……かな?」

 

 鳴き声がする方向へと歩いていくと、小さなクレーターの中で、倒木と大きな石に挟まれている子犬がいた。


「きゃう……きゃう……うぅぅぅぅ」


 か細い声で鳴いていた子犬は、僕の姿を見た途端、唸り声を上げて威嚇してきた。

 子犬は、見た事も無い赤い毛並みをしている。


 茶色い犬を赤犬などと言うが、この子犬の毛並みは朱色に近い赤だ。


「お前、動けないのか? 大丈夫、何もしないよ、待ってろ、今出してやる」

「うぅぅぅぅ……」


 子犬は唸り声を上げているが、もがき続けていたのか元気が無さそうに見える。

 倒木は太くて、半分土砂に埋まっている感じで簡単に動きそうもない。

 下側は大きな石だが、こちらの下側を掘れば隙間ができるかもしれない。


 折れた太い枝を拾って来て石の下を掘ったが、石の下には別の大きな石があって掘り進めない。

 倒木の下に枝を突っ込んで梃子の原理で持ち上げようとしたが、ビクともしない。


 こうなれば、倒木に乗っている土砂を退かしていくしかない。

 途中で暑くなって、ダウンジャケットを脱ぎ、シャツも腕まくりして土砂を掘り続けた。


 時々、動かないか確かめて、また土砂を掘ることを何度も繰り返した。

 そして空が真っ赤な夕焼けに染まる頃、ようやく倒木がグラつき始めた。


「いいか、思いっきり持ち上げるから、頑張って抜け出せ!」

「きゃぅぅ……きゃん!」

「せーのぉぉぉ!」

「うぐぅぅぅ……きゃうん!」


 子犬は倒木の下から抜け出して、クレーターを駆け上がって走り去って行った。


「はぁ……はぁ……所詮はノラ犬かぁ……まぁ、元気そうだったから、いいか……はぁ……」


 気が付けば泥だらけで、ヘトヘトに疲れていた。

 気温もかなり下がって来ているので、夜を明かす場所を探さないといけないのに動く気力が湧いてこない。


「まいったなぁ……どうすりゃいんだよ」


 クレーターの下で座り込み、途方に暮れて空を見上げたら子犬と目が合った。


「きゅーん……」


 逃げて行ったと思った子犬は心細げな声を洩らすと、恐る恐るクレーターを降りて来る。

 子犬は近くまで来てはビクっと後ずさりし、また恐る恐る近付いて、少しずつ僕との距離を縮めようとしている。


「あっ……忘れてた」


 鞄に入れたまま忘れていた、クリームパンの存在を思い出した。

 鞄を手に取ると、子犬はビクっとまた距離を取った。


 クリームパンは少し潰れているが、食べられない訳じゃない。

 ズボンで手に付いた泥を落として、クリームパンを袋から出して半分にした。


「ほら、半分あげるよ……」


 右手に持った方を食べながら、左手の方を子犬に差し出した。

 子犬はジーっと僕が食べる様子を観察した後で、恐る恐る左手のクリームパンに近付いてきて、スンスンと匂いを嗅ぎ始めた。


 ペロっと舐めてみて、ちょっと齧ってみて、最後は貪るようにしてクリームパンを完食した。

 子犬は、さっきまでのビクビクモードはどこへやら、もっと無いのと言わんばかりに小首を傾げている。


「はぁぁ……現金な奴だなぁ……まぁ、いいか」


 クリームパン半分では空腹は満たされないが、少しだけ気力が湧いてきた。

 完全に日が暮れてしまう前に、今夜の寝床を確保したい。


 鞄を肩に掛けてクレーターから出ると、冷たい風が吹きつけてきた。


「うわっ、寒っ……風を避けられる所を探さないと……」


 本当ならば、洞窟とかを探すのがベストなのだろうが、もう日も暮れかけていて時間がない。

 寝床になりそうな場所を探して歩き出すと、子犬も後を付いてきた。


 もしかしたら、この子犬も僕のように、どこか違う場所から迷い込んでしまったのかもしれない。

 倒れた大きな木があったので、行ってみると枝別れした所で風が避けられそうだ。


 石をどけて枯れ葉を敷き、折れた太い枝を立てかけて葉っぱの付いた枝をバサバサと重ね、石を積んで飛ばされないように抑えた。


「こ、これで何とかなる……かなぁ?」


 何とか完全に日が暮れる前に鳥の巣みたいな寝床は出来たが、思っていたよりも気温が下がってきている。

 後は、餌付けが上手くいった事を祈るだけだ。


「おいで!」


 寝床に入り込み、両手を広げて子犬を呼んでみた。


「きゃん!」


 勢い良く走ってきた子犬は僕の胸に飛び込むと、ベロベロと顔を舐め回し始めた。

 獣臭い涎で顔をベタベタにされたけど、暖房器具の確保は成功した。


 あぐらをかいてダウンジャケットのジッパーを開け、子犬を膝の上に抱え込んだ。

 思った通り子犬はぬくぬくで、倒木に背中を預けたら昼間の疲れも手伝って、あっと言う間に眠りに落ちてしまった。

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