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「すれ違い、か。佐和子さんも希和子さんも、どちらも親に愛されていたのに、どこで食い違っちゃったんだろう」
帰り道。
遅れて現地入りした小早川クンを交えて、遅い夕食を済ませて、車中の人となった頃、既に時計は夜の十時を回っていた。
小早川クンの愛車はファミリー御用達の七人乗りミニバンで(なんと小早川クン、妻子持ちである!)運転手含めて四人なら、かなりゆったりである。
二列目にハルと隣り合わせ瑛比古さんが座っている。
「そうだな……」
『メールがきてまーしゅ』
「……キリも帰ってきて飯食って寝たって。ミヨちゃん、泊まってくれるってさ」
家の状況を知らせる谷浜美代子さんからのメールが届き、ハルに伝える瑛比古さん。
「朝からの晩まで申し訳ないなあ。今度何かお礼しなくちゃね」
「それはやめた方がいいっス!」
弟妹の世話をしてもらった兄らしく、色々気を回すハルの言葉に、小早川クンが青くなる。
「ハルくんのお礼なんて……何を要求されるかワカンナイっス! 危険っス!」
「チャボ! 前見て! 運転中! お前が危険! ……今度きちんとお礼しとくから、大丈夫。ハルの気持ちだけ伝えておくから」
小早川クンを制止しながらも、瑛比古さん、心の中で賛意を表わす。
確かに、今日の様子を見ちゃうとなあ……ハルってば、恋愛スキル初心者レベルのクセに、何でああいうタイプに引っかかるかな。
最初から負け決定の相手だし。
略奪愛、なんて言葉に縁がなさそうな男が、十歳も年上の、それも人妻に惚れるなんて。
「ハル……初恋、っていくつの頃だった?」
まさか、初めてってことはないだろうなあ……そんな瑛比古さんの期待を、ハルは見事に裏切る……耳まで真っ赤に染めて。
「べ、別に何歳だっていいだろ!」
「……いいけど……」
初恋した日に失恋かよ……いや、ひとめぼれだったら、三日? どっちにしても、こりゃ、絶対ミヨちゃんとは二人きりにできないな。
平気そうにしてるけど、かなりダメージくらっているぞ。
こんなに弱っているときに強引に迫られたら、押しきられそうだ。
「ハルくん、迫られても婚姻届にハンコ押しちゃダメっスよ」
うんうん、と思わず頷いてしまい、瑛比古さん、ハルに肘鉄を食らう。
「ウゲッ! ……こらハルぅ……父親をなんだと……」
「関係ナイね!」
むくれて子供みたいにそっぽを向く。
ま、確かにまだ子供かもな。
惚れたはいいが、本性見抜けてないし。
佐和子さんは、しばらくは須藤夫妻の世話で貴弘さんの看病をし、落ち着いたら貴弘さんか佐和子さんの実家にひとまず帰って来る予定だった。
弘夢くんも幼稚園に通わせてもらっており、退園の手続きや、引越しの準備が必要らしい――真知子さんは、大変弘夢くんを可愛がっていたので、名残惜しい気持ちもあるようだし。
それにしても。
「そういえばさあ、希和子さんの元ダンナで義理の従兄、だっけ? 結局どこ行っちゃったわけ? あの後、話にも出てこなかったし。何か、実の父親にまでひどい言われようだったけど。一応、後継者候補だったわけじゃん」
沈黙に耐えられなくなったらしく、気を取り直して話し始めるハル。
「和興氏っスか。今は東京本社に行ってるってことっス」
「へえ、須藤さんの会社、東京に本社があるんだ……ってことは、栄転? 希和子さんとのことは出世には影響してないってこと?」
「……須藤建設グループの総本社は県内だけどな。東京本社は、首都圏での窓口みたいなもので、社員数は多くない。ただし、東京本社担当取締役は、実質次期社長、つまりグループの後継者ってことだ。それが、今の和興氏の立場」
「え? それって?」
「何だかんだ言っても、しょせん親族経営だ。一応株式会社だけどな。親族持ち株七割の。会長の甥で社長の息子、おまけに会長には実子がない、よほどの不祥事でもなけりゃ、やたら更迭されないだろ」
「それに、和興氏、確かに野心的な面はあるっスが、業界では評判、悪くないっス。むしろ、地縁を生かしつつ手堅いように見えて、チャレンジ精神もある、単なるお坊ちゃんじゃないな、って評価されてるっス」
「希和子さんとのことも、もちろん計算もあっただろうが、周囲では子供の頃からいずれ結婚するだろう、と思われていて、半ば婚約者扱いされていたらしい」
「そうっス。おまけに、意外と女性問題、なかったっスよ。今付き合っている女性も、見当たらなかったったっス。案外、希和子さん一筋だったんスかね?」
「……俺さ、希和子さんと同調した時、ちょっとだけ見えたんだよね。多分、その元旦那さんに『後継者問題で回りから色々言われる。いっそ離婚した方が、気楽だろう』みたいな言葉を言われた記憶」
「ハル……」
「きっと、傷ついただろうな、希和子さん」
「まあ、彼女の繊細さを考えると、そのまま婚姻生活を続けても、やっぱり精神的にはしんどいだろうから、和興氏の判断は間違っていないと思うけどな」
「……親父は、俺がいなくても、母さんと結婚した?」
「なっ! あったり前だろ! 美春さんと結婚しない生活なんて、過去も未来も、想像したくもない! ずっとずっと一緒にいたい」
「文法おかしいって……でも、まあ、母さん、幸せだったろうな」
「でも、お前達が生まれてきてくれて、もっともっと幸せ倍増だったぞ?」
「……ありがと。ウザいくらい、そうやって言ってくれて。ウザいけど」
「をい!」
「でも、希和子さんも、そうやって言ってほしかったろうな。たとえ子供が出来なくても、一緒にいたいって……そりゃ、親族とか会社のこととか、色々あるかも知れないけど。俺さ、親父が超若くて、小学生の参観日とかでも浮いてて、からかわれたりしたけど」
「何? 誰だ? こらしめてやる!」
「だから小学生の時だって。……でも、別にツラいとは思わなかった。だってさ、亡くなったひいおばあちゃんとか、曄古おばさんとかから、親父がどれほど母さんが好きで、俺が生まれるのをめちゃくちゃ喜んでいたか、って散々聞かされて。だから、親父は確かに若すぎて親父になったかも知れないけど、でも、俺は、俺やキリやナミを、どれほど大切にしてくれているか、それは他の家には絶対負けないって、自信が持てたから」
「ハル……」
「うわっ! やめろ! 抱きつくな! シートベルト外すな!」
瑛比古さんは、思わず涙ぐんで、ハルをハグしようとして、逆に突き飛ばされる。
「うう、ハルが冷たい……」
「だから、その過剰な愛情表現はやめろって! 年齢考えろよ」
「いいもん、家に帰ったら、ナミとメイちゃん、ハグするし」
「……メイはともかく、ナミはやめとけ。さすがに高学年になると恥ずかしいから」
「え? ハルはさせてくれたじゃん?」
「それは、キリとナミの手前、俺が嫌がると一緒になって嫌がるかもしれないと……ああ! そんな気遣いするんじゃなかった! せめて母さんにだけ許しておけばよかった!」
「ひどい……お父さんは差別されて淋しいぞ!」
「……ホント、仲いいっスよね、土岐田さんちって。ボクも早く家に帰りたくなったっス」
「………………」
小早川クンにボソッと、わりと真面目に言われて、二人は恥ずかしくなって黙りこくってしまった。
「……とにかく、希和子さんだって、子供が、とか、家が、とかじゃなく、自分と、希和子さんと夫婦でいたい、って言ってもらえたら、違った結果になったかもしれないな、って。高校生の時に、佐和子さんに、小さい頃から大好きな従兄と結婚するんだ、って自慢していたって言うし。マウントもあったかも知れないけど、結構本心な気がする。好きな人と一緒なら、多少の困難は乗り越えられたんじゃないのかな? 今さらかもしれないけど」
「……そう、うまくいくとは限らないけどな。夫婦のあり方は人、というか家庭それぞれだし。まあ、和正さんの言葉だって、もしかしたら本当なのかもしれないし。息子を悪者に仕立てることで、希和子さんの行動を正当化して、逆に義正さんに恩を売る意図もあるのかも知れないし」
「……」
「それに『タラレバ』言っても、もう、起きてしまった事実は変えられない。これからどうしていくかは、俺達部外者がどうこう言うことじゃないよ。俺らの役目は、丸さんの依頼で佐和子さんのご主人と子供さんを見つけることだったしね。……あれ? そういえば丸さんは?」
依頼人である丸田氏は、三列シートの最後尾ですやすやお休み中である。
「いいのかなあ……何だか、尻切れトンボみたいで、スッキリしない……」
「あのな、俺らは依頼されて初めて調査に入るの。それはプライバシーに踏み込む恐れがあるってことで、興味本意だけで関わっていい場所じゃない」
「えー、じゃ俺は?」
「お前は、うっかり関係してしまっただけの、さらに部外者! だからもう関わるな」
「ったく、ワカリマシタ! ……ホント何だかスッキリしないなあ」
ブツブツと言っているうちに、さすがに疲れが出たのか、うとうとし始めたハルに、瑛比古さん、息づかいだけで暗示をかける。
『嫌なことは聞こえない、聞こえても気にしない、優しい気持ちは大事にして、嫌な気持ちは忘れよう』
やがて、すやすや寝入り始めたハルを見て、瑛比古さん、ほっと息を吐く。
全く、力を使わなくても勘はいいんだから。
今回の件は、あまりに裏がありすぎて、もうこれ以上ハルに関わらせたくない。
ハルの純真な家族愛の言葉を聞けて、この上なく嬉しいが、それはそれ。
ハルが真っ直ぐに育ってくれて、本当に天国の美晴さんにも、おばあ様や曄古さんにも感謝したいが、だからこそ、遠ざけておきたい。過保護なのかも知れないし、瑛比古さんの自己満足なのかも知れないが。
それに。
希和子さんが眠りに着くことで、結果として真実は闇の中。
こうなった以上、下手にかき回せば、傷つく人が増えるだけだ。
例えば真知子さん。
例えば和興氏。
そして。
(……でも、あの人、みんな分かってて、ああいう振る舞いしてるっぽいしな)
涙も本気なのが、逆に恐ろしい。
全く、女は魔性である。
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