通りすがりの未知人――ストレンジャー――

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 週末の朝は、ナミが朝ごはんに腕をふるうことになっている。

 いつもは朝からバタバタしている土岐田ときた家であるが、週末は割合ゆったり過ごせるので、朝ごはんもじっくり味わうことができる。

 時間のゆとりがあるので作りたいと言ったナミのため、最初は瑛比古テルヒコさんがナミと一緒に『親子でクッキング!』としていたのだか、気がつけばナミが主導するようになり、今ではナミに任せて瑛比古さんの休息日になっていた。


「チイニイたん、今日は何を作るんでしゅか?」

 朝の7時前だというのに、メイは元気一杯である。

「ホットサンドとコーンスープ、あとサラダだよ」

 土曜日の朝は六時から、近所の直売所で朝市があり、新鮮な農産物が格安で手に入る。

 先程、メイを連れて二人で買い出しに行ってきた。

 常連のナミには、いつもオマケして貰えるが、メイを連れて行くとオマケ率が格段にアップする。

 今朝も規格外のトマトとキュウリをサービスしてもらった。


 メイは可愛いからなあ。


 しかし、決してサービスだけが目的ではない。他に二つ理由がある。

「まあ、かわいいお嬢ちゃんね」

「お兄ちゃんとお買いものなんてえらいなあ」

 という、賛辞が嬉しくてたまらないのだ。


 もっとも、直売所のおじちゃんおばちゃん達にとっては、ナミも十分に可愛らしいので、そのナミがメイを自慢げに連れ歩く様子が、微笑ましくて仕方がないのである。

 その上、可愛らしい二人が、

「トマトしゃんピカピカ!」

「採りたての野菜は新鮮なんだよ」

「しんしぇん!」

「この市場の野菜は美味しいね」

 などと持ち上げるので、ますますサービスしてしまう、というのが真実である。

 まあ、結果的にサービスしてもらっているので、ナミが真実を知らなくても万々歳、なのであるが。


 そんな採りたて新鮮なサービス野菜を前に、ナミはメイのリクエストに応えつつ、調理を開始する。

「チーズも入れてくだしゃい。むにゅーってなるの」

「とろけるチーズとハムに、トマトとキュウリも入れるからね」

「わーい」

 瑛比古さんが甘やかしたせいか、初めは野菜が苦手だったメイも、最近はほとんど偏食しなくなってきた。メイを連れ出すもう一つの理由がそれだ。

(瑛比古さんに割合偏食があるせいだと思われるが。ナミに偏食がないのは美晴さんの躾の賜物である)

 直売所の裏には畑が広がっており、メイを連れて収穫を体験させてもらったり、野菜の生育を見せてもらったりしたおかげで、野菜に興味を持ち、食わず嫌いせず食べてくれたおかげで、トマトやキュウリ、レタスなどはすぐクリアー出来た。

 ニンジンはこの間のグラッセで食べられるようになった。

 ハンバーグの真ん中にマッシュポテトと炒めた挽き肉を混ぜて団子にしたものを入れて作った『なんちゃって特大ハンバーグ』は、兄二人にも好評だった。


 あとはピーマン、ナスをどう料理するかだな。


 家計をにらみつつ、メイの健全な成長を図ることに執念を燃やすナミである。

 ハルから栄養学の教科書や資料の栄養成分表を借りて(看護学校の授業にあると聞いて、ナミはその授業だけ潜り込みたくなった)、最近は献立づくりの参考にしている。

(栄養成分表、と言っても、ただのプリントとかではなく、れっきとした書籍なんである。日本内外の様々な食材を網羅しつつ、カロリーだけでなく、水分・タンパク質・脂質・糖質・ビタミン・ミネラル、おまけにその食材の豆知識まで微に入り細に入り載っている。食材だけでなく、加工品やファストフードまで載っているので、ハルが看護学校を卒業したら譲ってもらう約束までしているナミである)


「中兄ちゃん、起こしてきてくれる?」

 朝練あされんこそないが、休日も部活のキリには、早めに朝ごはんを用意してある。

 お弁当用にご飯も炊いて、おにぎりも握ってある(パンだけでは足りないので)。


「おっきいニイたんは?」

「疲れているから、ギリギリまで寝かせてあげよう」

 ハルの憔悴しきった顔が目に浮かぶ。


 実習で疲れただけ、と言っていたが、それだけとは思えない。先週はそこまで疲弊していなかった。ここ二、三日、特に疲れている感じがする。


 ハルはキリと違って高校では体育会系の部活はやってこなかった。中学ではバスケ部に入っていたが、高校進学後はボランティア関係の部活に入っていた。「バスケは楽しみ程度で十分。部活だとしんどいし」とあっけらかんと言っていた、とキリに聞いたことがある。

 確かに運動部に比べたら体力的には楽かもしれないし、遠征やユニフォーム代などの出費も少ない。それだけが理由ではないかもしれないが、今思うと、家計のことやスポーツ活動に付き物の親の送迎の負担も、ハルは気にしていたんじゃないだろうか、とナミは最近考える。

 経済的には瑛比古さんの給料と美晴さんのパート代もあったので、当時それほど家計が逼迫ひっぱくしていたとは思えない。ハルが見ていたのは、その先、自分達が高校大学と進学していく未来のことだろう。

 弟達に十分な学費を与えるため、というほどの思いがあったのかは分からないが、ハルはあまり深く考えず、無意識に弟妹を優先する傾向がある。長男気質なのかもしれないが、自分は後回し、という考えが身についてしまっているのだと思う。


 ただ、頼まれごとをすると断れない性格で、気が付くと何かしら役目を引き受けていることが多かった。生徒会の役員も、やっていたと思う。ハルの高校(今はキリが通学し、かつて瑛比古さんが卒業した高校でもある)の文化祭に行った時は、学校中のイベントのどこかしこに駆り出されているハルの姿ばかり目にしたものである。

 ちなみにキリは志望校だったにも関わらず、文化祭に行ったことはなかった。この地区の高校のほとんどが文化祭を行う時期が、高校野球県予選開会式の日程に重なることが多く、そちらの観戦を優先していたからである。なので、進学した今年も、文化祭に参加する予定はないらしい。本当に野球一色の青春である。

 だからといってキリが家族をないがしろにしているわけではない。むしろ、キリが遠慮して野球をやめるようなことになれば、ハルや瑛比古さんが、自分達の不甲斐なさを嘆いてどれだけ気落ちすることか、分かっている。分かっているが、気が付かないふりをして野球に打ち込んでいる姿を見せている部分もある。考えていないようで、キリだって色々気にしている。そんな父や兄達を見ているから、小学生の自分まで、何となく達観してしまうのだ、とナミは思う。


 ともかくも子供達が、あるいは弟妹が笑顔で自分の好きなことに取り組んでくれる姿を見たくて仕方がない、似たもの親子なのだ。ただ、その苦労を「大変大変」と言いながら結構気負わずこなしている瑛比古さんに比べて、そんな愚痴はこぼすことなく、なのに目に見えてコツコツ努力していることが伝わってしまうハルの不器用さは、ナミの目にも明らかである。手先は決して不器用ではないし、努力を惜しまない。そんな兄を誇らしいと思うと同時に、そこまで自分を追い込まなくても、とナミは思ってしまう。

 なのにハルは笑顔を絶やすことなく、疲れた様子を見せまいとさえしていた。家族の目には明らかでも。そんな兄の負担をなるべく軽減したくて、家事分担を肩代わりしようとしたこともあった。

 けれど、そうすると益々ハルは兄弟に負担を掛けまいと、休みでも早く起きて家事をしようとする。


 結局、ナミの楽しみだから、という理由をつけて、休日の朝ごはんと日々の夕ごはんはナミの担当、ということで落ち着いた。

 決してハルの料理の腕がイマイチだからでは……それも少しあるが。

 用事が無い限り、ナミの朝ごはんが出来るまで、起きてこないように、と付け加えて。

 さすがにハルもナミの気持ちを汲んで、週末は朝寝坊を満喫する事にしたようで、自分から起きてくることはない、めったに。

 が。


「おはよう」

 メイがキリを起こしに行ったのと入れ違いに、ハルが起きてきた。

「おはよう……大兄おおにい、何か用事あったっけ?」

「あ、うん。ちょっと病院行ってくる……忘れ物しちゃって」


 嘘だ。


 ハルが何か誤魔化そうとする時は、貼り付けたようなアルカイックスマイルになる。

 何か隠している。

 昨日までの様子と相まって、ナミにはそう思えてならなかった。

 あんなにぐったりしていたのに、週末、こんなに早くから起き出してくるなんて、何か事情があるに違いない。


「ふーん、朝ごはんは?」

「悪い、帰ってきたら食べる」

「ちょっと待ってて」

 ナミは組んでいる最中の食パンの具を、とろけるチーズから普通のプロセスチーズに替えたものを作った。

 そのまま軽く押し付けて、ザクザク四等分の四角形に切り分けた。

「はい。耳つきだけどいいよね」

 ラップにくるんで、紙袋に入れたそれを、ハルに向かってつき出す。

「急いで帰って来なくていいから。慌てないで」

「……サンキュー」

 それだけ言うと、そそくさと玄関に向かう。

 見るからに落ち着きのない兄の様子が、ナミには不安だった。

「あ、ついでに頼む」

 振り返って、ハルが付け加える。

「何?」

「親父には、黙っておいて」

 返事も聞かず飛び出したハルの背を見送り……ナミは頭を抱えこみ、確信した。


 多分それ、ムリだと思うけど。


 分かりやすすぎる長兄ちょうけいの姿を追う、察しの良すぎる父の姿を認めて、ナミは自分の考えが正しいことを、思い知らされた……。

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