分岐見れば一発
「こんなとき……鎮と慎司がいてくれたら……」
慎司が晃生に助けを求めている頃、雄介も慎司と鎮に助けを求めていた。
シェアハウスの談話室。ソファに座った雄介は頭を抱えていた。
雄介の前に置かれたテーブルにはクレヨンで描かれた絵が散乱している。テーブルを埋め尽くさんばかりに並べられた絵は独創的でなにが描かれているのかは全くわからない。赤、青、黄色に緑色。様々な色を用いて描かれた丸、三角、四角。もはや抽象画にしか見えないそれを喜々として描き続けているのは茶髪の髪をした小学校低学年くらいの子供だった。
登録名、マーゴ。見た目は子供だが特視に登録された外レ者である。捕食対象は幽霊。このシェアハウスにいる外レ者の中では一番幼いが、生きた年数は晃生より長く四十年ほどらしい。目の前で鼻歌交じりにクレヨンでお絵かきしている姿とは結び付かない情報だ。
「できた!! これならわかるでしょ!!」
マーゴはそういうと人間しては特徴的な瞳を輝かせ雄介に描き上げた絵をかかげて見せた。自信満々な表情からかなりの力作だと想像できるが、雄介の目にうつっているのは色とりどりの丸である。なんだこれ以外の感想は出てこなかった。
「……えぇっと……」
「こんなに上手く描けたのにわかんないの?」
マーゴがしょんぼりと肩を落とした。生きた年数は雄介より長くとも見た目は子供である。罪悪感がすごい。落ち込んだマーゴを元気にするには絵に描かれたものを理解して、うまくかけたな。とほめてあげることが必要なのだが、全くもってわからない。
雄介は心の中で再び慎司と鎮に助けを求めた。弟や妹がいる慎司だったらうまいことマーゴと話をあわせられるだろうし、鎮だったら陽気な笑顔で話をそらし別の物へ興味対象を移させることができるかもしれない。しかしながら雄介は末っ子で、施設に一時期いたときは勉強ばかりしていた。すぐに御酒草学園への入学で施設を出ることになったし、幼い子供たちの面倒などほとんど見ていない。
どうすればいいかわからない……。
肩を落としながら、大きな瞳を潤ませ、わからないの? とじっと見つめてくるマーゴに雄介は白旗をあげたくなった。
「おー、上手くかけてるなあ。猫か」
真横からそんな声が聞こえた。声の方に顔を向ければ予想外に近いところにクティの顔がある。距離の近さに驚くとニヤニヤと楽しそうに目を細められた。絶対にわざとだ。
「そう! 猫さん! クティ兄ちゃんはいつも当ててくれるね!」
「マーゴの絵がうまいからなあ」
ソファを回り込んだクティがマーゴの頭をなでる。マーゴはえへへ。と笑顔を浮かべて見せた。その姿は仲のいい親子か兄弟にしか見えない。
とてもほほえましい光景ではあるが雄介には疑問しか浮かばなかった。
「……猫……?」
どう考えても色とりどりの丸にしか見えない。猫の耳やらしっぽやら、足はいったいどこにあるのだろうか。丸くなって眠っている猫ということか。マーゴには猫が緑や青に見えているのか。
「愛子にも見せにいってこい」
クティに言われるとマーゴは大きくうなずいて、描き上げたばかりの絵をもって走っていった。あの絵を見せられて「猫」と言われた愛子の反応が見たいような、見たくないような……。納得のいかないまま雄介は走っていくマーゴの背を見送る。
「よくあれが猫だってわかりましたね」
「分岐見れば一発」
さらりと言われた言葉に雄介はクティを凝視した。しゃがんだままマーゴを見送っていたクティはいたずらが成功した子供のような顔でニヤリと笑う。
「……それはズルくないですか……」
「持って生まれた力を使ってなにが悪い」
クティはそういうと雄介が座っているソファの向かいに腰をおろした。本日も目に痛い奇抜な格好をしているが、一週間も見ていると慣れてくる。
「双月は?」
雄介がマーゴの面倒を見ている間、クティは双月の特訓に付き合っていたはずだ。しかし双月の姿は室内にあらず、雄介は眉をよせた。
「あいつなら外で伸びてる」
クティがそういって示したのは談話室から見える庭だった。愛子によって手入れされている庭はいつもどおりきれいだったが、隅の方に人の足が見えた。
「双月!?」
驚いて雄介は立ち上がり、掃き出し窓へと近づく。出入りできるように置かれたサンダルを借りて庭へと降りると、芝生の上で双月がぐったり寝転がっているのが見えた。
日差しを遮るように腕で目を隠しながら荒い息を整えている双月を見て、今日も容赦なくやられたらしいと悟る。
部屋の中を振り返るとクティが楽しげにこちらを見つめて手を振っていた。双月のことはよろしくという意味だと理解した雄介は動かない双月に駆け寄った。
クティは戦闘向きの外レ者ではないと聞いた。自分より強い相手と会った場合はすぐ逃げるのだと。それでも雄介は一切歯が立たなかった双月を動けなくなるまで毎日ボロボロにしている。
戦闘向きでないクティがこれなら、戦闘向きの外レ者はどれほどのものなのだろう。そう考えると今後が不安でしかない。
「双月、大丈夫か? 起き上がれるか?」
普通の人間であったら水でも持ってくるところだろうが、双月はもう普通の人間ではない。必要なのは水でも食べ物でもなく、名を呼ばれることだ。
隣にしゃがみ、顔を覗き込みながら声をかけると、双月が腕の隙間から目をのぞかせまぶしそうに雄介を見上げた。
「もっと感情こめて名前呼べ。心配って感じで」
「……思ったより余裕だな……」
心配して損したと雄介もその場にあぐらをかく。芝生の座り心地はよく、マーゴが裸足で外に出たがるのも納得だった。
「余裕じゃない、慣れてきただけだ。こうも毎日起き上がれないくらいボコボコにされたら、だんだん体も順応してくる」
双月は悔しげにそうつぶやくと目を覆うのをやめて、大の字になり大きく深呼吸した。再びチラリと雄介を見て催促する。名前を呼べと。
「……双月……」
「もっと感情込めろ。味が薄い」
「お前、日に日に注文が面倒くさくなってないか」
目を閉じたまま寝転がっている双月に文句をいうが、双月は無反応だ。その顔が涼やかで少し苛ついた。
双月は親しい相手に名前を呼ばれなければいけない。どの程度名前を呼ばれればいいのか、回数はどのくらいか、相手との信頼度はどのくらいか。そういった細かいルールをここに来てからクティと共に探っている。
その探り方というのが雑というか豪快で、まずはクティが動けなくなるまで双月の体力を削る。その後雄介が名を呼ぶことで、どの程度回復するのかを確認するのだ。
食事の質は感覚で覚えろ。というのがクティの教えであった。それぞれ条件が違うため、他人が教えるのは不可能なのだという。
そいういった理由から雄介はクティによる実践が始まってから毎日、双月の名前を呼び続けている。最初はボロボロになる双月を心配してなにも考えずに呼んでいた雄介だったが、それが続くにつれてだんだんと羞恥心が湧いてきた。なにしろ双月は日を追うごとに感覚をつかんで、名前を呼ぶだけで雄介がどれだけ感情をこめているのか分かるようになったのだ。
「雄介、しんどい。名前呼んでくれ」
「……双月」
「恥ずかしがるな、俺まで恥ずかしくなる」
「そういうのは口にだすな!!」
双月の頭を軽くはたくと双月は満足そうにニンマリ笑った。もっと思いっきり殴ってやろうかとしたところで、人影が近づいてくる。
「双月ちゃぁーん。いちゃついてないで、そろそろ次のミッション」
クティがわざとらしい猫なで声で双月の名前を呼んだ。その声が聞こえた瞬間、双月が殴られたようなうめき声をあげて動かなくなる。
「……嫌いな相手に名前呼ばれるとダメージ入るって難儀だな……」
「お前ら人間だって、体質にあわないもの食べたら腹壊すだろ。似たようなもんだ」
回復しかけていた双月のライフをゼロにしたクティは何事もなかったようにそういうと、雄介に向かってリュックを投げてきた。色が目立つ真っ赤という以外は特に変なところもない量産品のリュックだ。
「これなんですか?」
「困ったときの便利アイテム」
雄介は受け取ったリュックをまじまじと見つめた。いくら見ても普通のリュックに見える。もしかして中身が特別なのだろうかと開けようとしたところで待ったがかかった。
「中身は全部片付いてから見ろ」
「片付いてから……?」
意味がわからずに雄介はクティをじっと見つめたがクティはそれ以上説明するつもりはないようで、未だ倒れている双月を足先で突っついた。
「おら、起きろ。今日は課外研修だ。マーゴと一緒に散歩行って来い」
足で突っつかれるのは屈辱だったのか、双月がのろのろと上半身を起こした。そのままクティを殺しそうな目で睨むがクティはさらりとそれを受け流して室内に向けて声をはる。
「マーゴ! 今日は新米二人の面倒みてくれ」
「ボクが面倒みるの?」
クティの呼びかけに答えて掃き出し窓から半身をのぞかせたマーゴは不思議そうに首を傾げている。マーゴの見た目は小学生。どうみても雄介たちの方が保護者だが、クティはそうは思っていないようだ。
「お前からしたら後輩だろ」
「後輩……」
「弟みたいなものだ」
「弟!!」
途端に目を輝かせたマーゴが雄介と双月を見つめた。頬を高揚させて喜ぶマーゴを見ると違うとは言い難い。
見た目は小学生だが生きた年数は上なわけで、外レてからも長いとなれば先輩であることは間違いない。のだが、視覚に引っ張られていまいち納得がいかない。
双月は文句は言わないものの不快げに眉をつり上げていた。
「ボク準備してくる!!」
「おー」
元気いっぱいにマーゴはかけていき、姿は見えなくなった。勢いよくドアが閉まる音がしたから、自室に駆け込んだようだ。クティはその様子を微笑ましげに見つめている。その姿だけ見ると弟の成長を見守る兄に見えなくもないが……。
「課外研修って……」
「あんまり身構えるな。ずっと家の中っていうのも息が詰まるだろうっていう優しさだ。感謝しろ」
クティはそういうとニヤリと人の悪い顔で笑う。本当に優しさだとしても疑ってしまう胡散臭さだ。
「胡散臭い」
そして内に秘めずに声に出してしまうのが双月だった。
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