名をもらうのは分かりやすい例だな
「人間が外レるときは、生前執着したものの影響が強くでる。大鷲に大量の目が生えたのは、アイツが外レる前から特視に所属していて、俺達みたいなのを監視してたからだ」
何かを見続ける人生だった。だから人ではなくなっても人間だった頃の名残が目となって現れ、見ることを強要するのだとクティは淡々と語る。
人間としての生きざまが外レた後も影響する。だとしたら自分が人でなくなったらどうなるのだろう。そう雄介は考えて、すぐさま考えることをやめた。それを真剣に考えてしまったら、人間としての自分を保てない気がした。
「愛子は人間だった頃病弱だった。家の外に出たことは数えるほどだったらしい。同じ年頃の女の子が元気いっぱいに外で遊ぶ姿、恋やおしゃれを楽しむ様子を見て思ったんだそうだ。お前らなんか不幸になってしまえと」
にんまりと笑いながらクティはいった。怪談を話すような語り口のせいか、背筋が凍る。あの静かなたたずまいからは想像できない悪意に雄介は言葉が出なかった。
「だから愛子は外レたとき、人の幸福が食事になった。といっても根は善良なお嬢様だからな、食べるのは悪人だけだ。だからなかなか強くならない」
「外レ者が強くなるのは食べた量に比例するんですよね?」
「なかなか勉強熱心だな」
クティは感心したような顔で雄介を見た。
「正確にいえば自己を確定する要素が増したときだな。人間は食べることで血肉を作る。俺みたいな生まれつきは食べたところで血肉なんてつかないが、そのまねごとをすることで自分が存在していることが実感できる。他者から認識されるっていうのも俺達からすれば重要だ」
そこでクティは言葉を区切ってじっと双月を見つめた。
「名をもらうのは分かりやすい例だな」
クティの視線に双月は不快そうな顔をする。それを見てクティは一層ニヤついた。この二人の相性は悪い。短い時間でも確認するには十分だ。
「人間から外レて名をもらう例は珍しい。けどま、お前は双子の上だから、その点も影響を受けたんだろ」
双子の上という言葉に双月の体がかすかに震えた。先ほど以上に敵意のこもった目でクティをにらみつける。その視線を受けてクティは落ち着けというように両手をあげた。
「あのなあ、俺だって長生きなんだ、お前らの事情ぐらいわざわざのぞき見しなくても分かる。それに必要もないのに見たくねえ。俺から見たってお前らの境遇は悪趣味だ」
クティはそういって眉間にしわを寄せた。初めて見る心底嫌悪していると分かる表情に、クティが嘘をいっているのではないとわかった。それだけに意外な反応に雄介は驚き、隣の双月も目を丸くしているのが見えた。
「俺達からすれば名も血筋も喉から手が出るくらいほしいものなんだよ。それをあっさり奪って、閉じ込めるんだぞ。醜悪としか言いようがない。そのうえ一族同士で争ってやがる。土地と血筋が呪われるのも当然だ」
「……外レた存在から見ても、羽澤家は異常なんですか?」
「あれが異常じゃなかったらこの世界に異常は存在しないことになる」
顔をしかめて断言するクティを見て、改めてとんでもないところにいたのだと雄介は自覚した。今更になって体が震えてくる。それに気づいた双月が雄介の手に軽く自分の手をくっつけた。
「で、俺はどうしたらいいんだ」
これ以上羽澤家の話をして嫌なことを思い出したくなかったのか、それとも雄介への気遣いか、双月は話の先をうながした。クティも話が脱線していたことには気づいていたのか、文句をいうこともなく双月に向き直る。
「お前の条件は比較的簡単だ。お前が好感を持つ相手に名前を呼ばれればいい」
「は……?」
本当に簡単な条件に双月は思わずといった様子で声を出す。雄介は声にまでは出なかったが目を見開いてクティを見つめた。信じられないという雄介と双月の反応を見てクティは不快そうな顔をした。
「嘘じゃねえからな。俺に嘘をつくメリットはないだろ」
「……そう、ですよね」
クティがこの場で嘘をつく理由はない。となれば本当に双月の条件は名前を呼ばれる。ただそれだけなのだ。思ったより簡単な条件に安堵するやら拍子抜けするやらで雄介は気持ちの整理をするのに少しの時間を必要とした。
「いっとくが、簡単ではあるが楽ではないからな」
簡単でよかったで落ち着きかけた雄介の考えを覆したのはクティの声だった。
「今のところ、ガキにとって糧になるのはお気に入りが名前を呼んだ時だけだ」
「俺……?」
それは双月に好感をもたれているということだが、素直に喜べる空気でもない。隣に座っている双月はなんとも言えない顔でクティをにらみつけているからなおさらだ。照れているのか、他に理由があるのかは雄介には判断がつかなかった。
「ガキに対して相手が好感を持てば、ではなく、ガキの方から相手に好感をもたないといけないのが問題だ。お前、警戒心強いだろ」
クティの指摘通りだ。あの夜の惨状を見た慎が双月を怖がっているのも、それに対して双月の反応がぎこちないのも仕方ないが、穏やかな晃や、豪快で物怖じしない緒方。ムードメーカーである大鷲とも双月は打ち解けていない。センジュカに対しては会うたび威嚇している。
「詳しい条件はこれから調べるが、おそらく声が聞こえる範囲にいないと意味ねえ。ガキの方が名前を呼ばれたと認識する必要もありそうだ。つまり、ガキが元気に生活するためにはお気に入りがずっと一緒にいる必要がある」
「それって、問題が……」
「大ありだろ。お前は普通の人間だ」
クティは雄介の顔をじっと見つめた。
「いつかは死ぬ。その時になって慌てたって遅いだろ。これから先、四六時中一緒にいられるとも限らねえ。お前一生子守してもらう気か?」
最後の言葉は双月に向かって投げかけられた。クティの問いに双月の表情が揺れる。
「お前は他人と関わり合いになりたい性格じゃなさそうだが、条件がそうなった以上、お前は誰かと関わらないと生きていけねえ。お気に入りが一緒でよかったな。じゃなかったらいくら羽澤の血を引いてても、もう少し弱ってたはずだ」
動揺する双月にクティは容赦がない。やめてくれ。そう雄介は言いそうになって口をつぐんだ。クティがいう通りであれば、これは双月が自分でどうにかしなければいけない問題だ。雄介が双月をかばったところで問題は解決しない。
「でもまあ、逃げ道がないわけじゃない」
クティの言葉に双月は顔を上げる。雄介も予想外の言葉に驚いた。
大鷲だって目に振り回されているといっていた。食べる条件は複雑で面倒だ。それが外レた代償とでもいうように外レたものを縛るのだと認識していた。だから逃げ道が用意されているなんて考えもしなかった。
クティは愉快そうに笑う。その笑みになぜか雄介はゾッとした。今まで見た笑みの中で一番性質の悪い笑みだった。
「俺だったらお前が外レる前に戻してやれる」
とろりと蜜を混ぜたような甘い声がクティから発せられた。あまりにも先ほどと違う声音に、すぐにはクティの声だと気づかなかった。声と同じく柔らかい表情を浮かべて、クティが双月に笑いかける。その変わりように雄介はまずいと思った。
この顔は、声は、理性を溶かし誘惑するものだ。堕落へと引きずり込むものだ。
とっさに雄介は双月の腕を引っ張った。双月は体をこわばらせて、夢から覚めたみたいな顔で雄介を見る。
「邪魔するなよ、お気に入り。可哀そうだろう。家の掟で両親から、愛する双子の弟から引き離され、弟が死んだことすら周囲に告げられず、身代わりとして生き続けてきたんだぞ」
心底同情していると装った優しい声でクティは語る。先ほどまで、ガキだのなんだのバカにしていた声と顔で、まるで真逆なことをいう。それが雄介には恐ろしくて仕方がない。
クティはリンの一番弟子だ。そう大鷲が言っていたことを思い出す。リンに比べると食われるような圧がなく、まだ会話が成立する。そう思ったのが間違いだった。
見た目に騙されるな。そうクティは口にした。その通りだと今になって実感した。
緊張で手が汗ばみ、体が震える。それでも雄介はクティをにらみつけ、双月の腕を離さなかった。
「友情か、それとも同情か?」
引かない雄介を見て、クティは白けた顔でいう。優しい表情を消し去って、つまらなそうな目で雄介をのぞき込む。雄介の内側を、未来も過去もすべてをのぞきこむように、クティは雄介を見つめ続け、やがて息を吐いた。
「お前に嫌われるとリンさんが面倒くさそうだ。なんでそんなに気に入られてんだよ。あーやりにくい」
クティはそういうと立ち上がり、がしがしと頭を乱暴にかいた。
「まーここにいる間に考えてみな。苦手なものに挑戦するか、すべてまっさらな状態からやりなおして、ほしかったものすべて手に入れるか。どっちがいいかは考えるまでもないだろ」
ひらひらと手を振って、クティは自室へと戻っていった。その後姿を雄介はにらみつける。
「悪魔の弟子はやっぱり悪魔か……」
クティの姿が完全に見えなくなってから雄介はポツリとつぶやいた。張り詰めた緊張をとくために大きく息を吐きだす。それからピクリとも動かない双月を見つめた。
双月の目は揺れていた。希望と不安で。その瞳に葛藤の色が見えて、雄介はたまらない気持ちになった。やめろと雄介は言えなかった。雄介だって考えてしまうのだ。もし、やり直せるのなら。
「あら、クティさんは?」
空気を変える声に正直安堵した。見た目に騙されてはいけないと実感したばかりだがクティに比べれば愛子はやはり優しそうに見える。
部屋の中に入ってきた愛子はトレーをもっていた。そのうえにはカップが四人分。雄介は返事の代わりにクティが消えたドアを見つめた。
「ほんと気まぐれ」
愛子はそういって肩をすくめるとテーブルの上にトレーを置いて、雄介、双月の順にカップを並べてくれる。中に入っていたのはオレンジ色の液体。色からしてオレンジジュースだろう。愛子とクティの分からはコーヒーの香りが漂ってくる。
愛子はカップをクティの部屋にもっていこうか迷うそぶりを見せてから、面倒くさくなったのかクティの分もテーブルの上に置いてソファに腰かけた。さきほどまでクティが座っていたソファだが、真ん中に悠々と座ることはなく隅の方によっている。行動一つで性格の差が見てとれた。
「クティさんに、過去に戻してやろうかっていわれた?」
コーヒーを口に運びながら愛子は静かな声で問いかけてきた。双月の肩がびくりと跳ねる。口に出さなくてもそれが答えのようなものだ。
「ここに来た相手には必ずいってる鉄板ネタみたいなものだから、あんまり気にしないで」
「全員にいってるんですか?」
「クティさんは条件が面倒だから、後悔してる相手を見つけたらすぐ誘惑しにいくのよ。本人の承諾を得ずに分岐を食べると味が半減するらしくて」
それはまた面倒くさい条件だと思った。クティだって生きるために必死なのだと言われれば理解できないこともない。それでも、あの人の弱みに付け込むような言動を思い出すと素直に認められもしなかった。
「……過去に戻った奴はいるのか」
双月の小さな問いに愛子はコーヒーを飲むのをやめた。両手でカップを持ち、コーヒーをのぞきこんでいる。雄介もカップの中のオレンジジュースを見つめて、ゆらゆらと不安定に揺れる自分の顔を認識した。
「いたとしても、私にはわからない。過去が変わったら、もうここには来ないから。どうなったのか知ってるのはクティさんだけよ」
愛子はそういうとカップをテーブルの上に置き、双月と雄介に向き直る。
「あなたたちは自分で道を選びなさい。それで失敗しても自分で選んだ道なら、必ず糧になるはずよ」
その強い言葉に雄介は双月の腕を一層強く握りしめた。双月はなにかから目を背けるように下を向く。
「焦らなくていいのよ。本当にクティさんの力で戻りたいって思ったなら、今すぐじゃなくてもいいの。あなたたちが生きてる限り、クティさんがいる限りはいつだってやり直せる。だから、今すぐ答えを出さなくてもいいのよ」
そう愛子は固い口調で続けた。それは自分自身にいい聞かせているようで、最後の希望のようでもあった。
クティがいればやり直せる。それは誘惑でもあり、一縷の望みでもある。それは人間である雄介だけに限った話じゃない。外レ者だって、いや外レてしまったからこそ、希望にすがる。
雄介は浮かんでしまった迷いを飲み込むようにオレンジジュースを一気飲みした。
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