……お前、短冊に願い事とか書いたことあるか?

 ロビーまで戻ると双月が物珍しげに病院内を眺めていた。診断を待つ患者やその家族に混じって椅子に座る双月はハッキリいって浮いている。


 そう思うのは雄介だけではなかったようで、椅子に座っているだけの双月に視線が集まっていた。そんな視線を双月が気にする様子はない。鈍いとは思えない。となれば好奇の視線にさらされることになれているのだ。

 それに気づいて雄介はなんとも言えない気持ちになった。


「待たせたな」


 早足で近づいて声をかける。それだけで周囲の視線は霧散した。

 双月は雄介に顔を向けたものの、すぐにそらした。なにかをじっと見つめている双月の視線をたどればロビーの隅に飾られた笹に集まる子どもたちの姿がある。笹の隣に置かれたテーブルには願い事を書くペンと短冊が置かれていた。


 それをみてもうすぐ七夕だと気がついた。

 春になってからというものコロコロと変わる状況をなんとかするのに必死で季節の変化を感じる余裕などなかった。

 御酒草学園に在学していたのは結局三ヶ月ほど。羽澤家から逃げて特視に保護されて一か月。つまり清水晃生が死んでから一か月だ。

 長いような、あっという間だったような。とにかく密度の濃い日々だった。短冊を笹に結びつける子どもたちを見ながら、そうか七夕かと改めて思う。


 小学校低学年の頃、雄介も友達と一緒に短冊に願い事を書いた。それは覚えているのになにを願ったかは全く思い出せない。たぶん子供らしい、くだらないことだったんだと思う。


 ロビーの隅で楽し気な笑い声をあげている子供たちも小学生くらいに見えた。色とりどりの短冊とペンを持ち、はしゃぐ姿はほほえましい。

 けれど全員パジャマ姿。中には車椅子に乗っている子供もいた。入院患者だと一目でわかる姿に雄介は目を細める。


「可哀想にな……」

「可哀想なのか?」


 思わずこぼれた声に双月が首をかしげた。前髪を切ったことで見えるようになった瞳がじっと雄介を見上げる。純粋な疑問に雄介は戸惑った。


「……あんな小さいのに入院していて、可哀想だと思わないか?」

「あんな風に笑えるなら幸せだろ」


 そういって双月はじっと子供たちをみた。

 たしかに子供たちは楽しそうだ。ここが病院のロビーで、彼らがパジャマ姿でなければ雄介も可哀想などとは思わなかっただろう。

 それに気づいたら胸の奥がモヤモヤした。


「治る可能性はあるんだろう。……たとえ治らないとしても、一緒に笑える相手がいるなら十分だ」


 双月はそういって立ち上がった。もう興味は失せたらしい。さっきまでじっと見つめていたのが嘘のように未練なく歩き出す。

 なにを思ってみていたのか想像しようとするがうまくできず、雄介は子どもたちを意図して見ないようにした。


 双月は病院の外へと向かう。雄介もその後ろについていく。もう病院に用はない。だから双月を引き留める必要はないのだが、胸になにかが引っ掛かった感覚がした。


「……お前、短冊に願い事とか書いたことあるか?」


 病院の外に出た双月が振り返る。

 青空の下にいる双月は新鮮だった。初めて会った場所は木々が生い茂る森の中、次は夜だった。特視に保護されてからはずっと地下にいて、今日初めて双月は外に出た。それを思えば、病院のロビーで物珍し気にしていた姿も納得がいく。

 双月は初めて羽澤の外に出た。病院だってきっと初めてだ。


「……昔、咲月が持ってきた」


 双月はそういうと目を細めた。胸の奥にしまった大切なものをそっと取り出すような顔だった。


「一枚ぐらい増えたってバレないから、イツキも書こうって」


 双月が双子の弟に名付けてもらった名前は「イツキ」だった。俺の名付けた名前でいいのかと聞いたとき、双月は「数年前にイツキは死んでる」と淡々とした口調で告げた。変わらない表情と平坦な声。その奥にどんな思いが沈んでいるのか雄介に読み取ることはできなかった。


「咲月は俺とずっと一緒にいられますように。って書いた。俺は咲月がずっと元気でいますようにって書いた。自分のことも願えって咲月が怒って、咲月は俺とずっと元気に一緒にいられますように。って書き直したんだ」


 思い出を語る双月の目は優しい。昔みた兄の顔と重なった。


「……星は願いを聞いてなんかくれなかったけど」


 最後に誰にいうでもなくつぶやくと、双月は歩き出した。その後姿を引き止めることも出来ず、かといって付いていく気にもなれずに雄介は立ち止まる。


「雄介、早くいくぞ。大鷲が待ってる」


 少し離れた場所から双月が呼んでいる。

 パーカーにジーンズ。これといって奇抜な恰好はしていない。背だって大きいわけではない。羽澤家の血筋だけあって顔立ちは平均よりも整っている。しかし影がある雰囲気で相殺されて、目立つ容姿とはいいがたい。

 それでも双月はどこか浮いていた。自然と人の目が止まる。なんとなく違和感を感じる。それが外レてしまったからなのか、双子の上として隔離されて育ったからなのか雄介には判別がつかない。

 ただ、悲しいとは思う。


「いま行く」


 胸の奥に詰まったモヤモヤをどう表現していいかわからず、雄介は足を進める。雄介が追いつくまで待っていた双月は顔を見るなり眉を寄せた。暗い顔をしているのは雄介にも自覚があった。


「……兄さんと離れるのが寂しいならお前までついてこなくても……」


 雄介が落ち込んでいるのが清水がらみだと勘違いしたらしく、双月は神妙な顔をする。同い年ではあるが双月の方が背が低い。自分よりも小さい相手に心配されるのは複雑な気持ちになる。相手が自分よりもはるかに強いと分かっていても。


「兄さんとはずっと離れてたんだ。今更だ」

「やっと話せるようになったんだろ」

「話せるようになったけど、全部話せるわけじゃない。俺は緒方雄介だ。清水晃生じゃないし、兄さんは自分に弟がいたことも覚えてない」


 雄介としてはもう折り合いがついた話だ。なにも感じないわけではないが、そういうものとして受け入れている。屍のごとくしゃべらず、ずっと宙を見ていた兄を思い出せば、自分のことを覚えていなくても十分だと思った。無事に社会復帰ができるのかという心配はあったが。

 けれど双月はそうは思わなかったようで、神妙な顔で雄介の顔を見つめている。自分のことよりも他人のことを心配する姿を見て、やはり兄だと思った。


「兄さんにはまた会いに来れる。それよりも今は自分のことを考えないと。特視に所属するなら、外レ者のことは知っておいた方がいい。ちょうどいい機会だ」

「……お前まで特視に所属する必要はないだろ。晃と慎のように田舎に住めば……」

「俺が生きてるってバレるのはアイツらよりもまずい」


 名前を晃と慎に変えた姉妹は羽澤から離れた土地に移り住む事になった。今後は特視から援助してもらいつつ、一般人にまぎれて生きていく。二人の場合は引き取られた理由からして非人道的であるため、羽澤家も強くは出てこないだろうと大鷲はいっていた。

 探られたらホコリどころではないものがたくさん出てくるのが羽澤家だ。いくら地位と金があるといっても隠し通すにも限界がある。名前を変えてひっそりと暮らしていれば、わざわざ探しもしないだろうという大鷲の見解は納得がいった。


 しかし雄介の場合はそうもいかない。

 あの夜、リンと双月による被害は甚大だった。リンが黙らせたと言っても恨みが消えるわけではない。自分たちの行いのせいだと反省するような人間だけなら、生贄を外から連れてくるなんて暴挙を行わなかったはずだ。


 つまり、晃生と咲月は羽澤家に恨まれている。リンに釘を刺されたといっても、偶然を装って殺そうと思う人間が出ないとは限らない。そうなった場合、リンにあとは頼むと任された自分たちがどんな目にあわされるか分かったものじゃない。そう青い顔で語った大鷲を見て、雄介は大人しく指示に従おう。そう思った。


 リンの恐ろしさはあの晩、よくよく理解した。


「助けてもらった恩もあるし、せっかく運良く生き残った命を無駄にもしたくない。そのためには知識は必要だろう」


 意思が固いと理解したのか双月は眉を寄せた。不機嫌そうな顔で雄介から視線をそらし、早足で歩き出す。わかりやすい態度に雄介は苦笑した。


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