第十五話 三日月の夜

ずいぶん機嫌が悪いようだね

 縁側に座ってリンは虫の声を聞いていた。空には三日月。今宵は雲が多く、隙間から見え隠れする月は不満そうに見えた。

 数日前、響と縁側で話した時と比べるとずいぶん暗い。虫の声も風流というよりは騒がしく、不安を訴えるように途切れなく鳴きつづけている。


 虫が鳴くのは縄張りを主張するためらしい。今日、やけにうるさいのは不届きな侵入者でもいたのだろうか。両足をだらしなく投げ出しながらリンはそんなことを考えた。


 虫の声と同じく今の羽澤は騒がしい。リンにはなにも言わないが今年の御膳を誰にするかで揉めているらしい。誰でもいいから早く決めてほしいとリンは思っていた。決まるまでの間、響はきっと忙しい。響が訪ねてきてくれないのはとても退屈だった。


 響のことを考えていると数日前に訪れた少年たちの顔が浮かぶ。一人は岡倉、あとの二人は御膳候補。どちらも美味しそうだったが、きつい目でこちらを見つめてくる少年の方が美味そうだった。それになんとなく覚えがある気がする。

 羽澤以外の人間で覚えがあるといったら、今まで食べた御膳の誰かだ。身内か? とぼんやり考えながらブラブラと足を動かした。


 響が同世代の人間を連れてきたのは始めてた。御膳祭をやめてほしいと感じてはいたが、ハッキリと口にだしたのも始めてだ。

 食べたら響は悲しむのだろうか。もしかして、もうここには来てくれなくなるのだろうか。それは嫌だなあとリンは思う。響が来てくれなくなったら退屈だ。だが、食べなかったら食べなかったで響の両親や兄たちはごちゃごちゃうるさいのだろう。


「めんどくさ……」


 いつからこんな面倒な立場になってしまったのか。ただ面白おかしく眺めてからかって、つまみ食いしていただけだというのに。長くこの地に一族に関わりすぎたせいか。


 急にいなくなったらどうなるだろう。そんな思いつきにリンは口角をあげる。

 今や羽澤はリンを中心としている。なにも言わずに姿を消したら大騒ぎになることは間違いない。慌てふためく羽澤の人間たちを想像して喉の奥で笑う。面白そうだ。そう思ったところで、再び響の顔が浮かんだ。


 自分がいなくなったら、響はどうなるのだろう。兄とも両親とも上手くいっておらず、当主の息子という立場のために同世代の友達もいない。自分のような人でない者を兄だと慕うような寂しくて愚かな子供。

 リンがいなくなったら響の立場は不安定になるだろう。後ろ盾になっている存在が消えるのだ。響を嫌っている深里はここぞとばかりに響を責めるだろう。リンがいなくなったのは響のせいだ。そんなありえない事まで言い出して。


 そんな未来を想像してリンは顔をしかめた。先ほどまでの楽しい気持ちが消えて、ただ不快さだけが残る。

 響がいる間は無理だ。そう結論づけたリンはふと思った。では、いつだったら自分はこの家から離れられるのだろう。響が死ぬまで待てばいいのか。だが、その間にアイツらが生まれたら? そもそもなんで自分はずっとこの家にいるのだろう。アイツらはしばらく生まれていないのだから、さっさと離れたって良かったのに。


 自分のことなのによく分からなくなりリンは三日月をにらみつけた。相変わらず雲に隠れて細い輪郭をさらに不確かにする三日月はリンに光明など与えてくれない。


 上手くいかないことばかりでイライラする。舌打ちすると縁側に寝っ転がる。なにか気分を変えることはないかと考えていると、庭の中に人の気配を感じた。


「ずいぶん機嫌が悪いようだね」


 細い月の明かりの中、黒いシルエットが浮かび上がる。たとえ煌々と明るい満月だったとしても、全身真っ黒であることは変わらない。夜中だというのに顔、特に目をみられないようにかけられた黒いヴェール。意外な人物の訪問にリンは横にしたばかりの体を起こした。


「引きこもりがこんなとこまで来るなんて、どういう風の吹き回しだ?」

「今年はずいぶん荒れているという話を聞いたので」


 お前もその話かとリンは顔をしかめて足を組む。組んだ足の上に肘をのせ、値踏みするように魔女を見つめた。


「ふーん、引きこもりがわざわざ外に出てきたくなるほど興味深い話だったのか?」

「今年の御膳はずいぶん活きがいい。私の所まで直談判にきた」


 予想もしていなかった言葉にリンは目を見開いた。それからクツクツと笑う。


「へえ。それはおもしれえ。俺のところまで来たのも珍しいが、お前のとこまでいったのか。で、お前は協力してやる気になったのか?」

「協力などしないよ。ここで私が手を出しても余計に揉めるだけだろう。私はいつも通り見ているだけだ」

「そういいつつ、わざわざ俺のところに来た時点で動いてんじゃねえか。お前が出てきたのは何十年……いや何百年ぶりか? 俺に食うなっていうほど気に入ったのか?」


 自分をにらみつける鋭い目を思い出す。たしかにあれは食うにはちょっと惜しい気がした。動いているのを見守った方が楽しいタイプだ。

 けれど、それはリンの好みであって魔女の好みではない。魔女はうるさい奴も煩わしい事も嫌いだ。自分の縄張りに入った。たったそれだけのことで容赦なく呪い殺していた奴がわざわざ文句をいいに来た人間を見逃した。しかも自分にまで会いに来た。どんな心境の変化だとリンは首をかしげる。


「私が食うなといってもお前は食うだろう。お前はそういう生き物だ。食べることでしか生きられない。私が人を呪うことでしか生きられないのと同じ」

「じゃあ、なにしに来たんだよ」


 なかなか本題に入らないのでイライラしてきた。にらみつけても魔女は黙って三日月を見上げている。ヴェールを通して今日の弱々しい月が見えるのだろうかとリンは不思議に思った。


「今夜、羽澤家は一つの分岐を迎える」

「へえ」

「今後がどうなるかは分からない。お前の配下の奴なら分かるかもしれないが」


 しばらく会っていない同族の顔を思い出してリンは顔をしかめる。たしかにアイツなら分かるだろう。だからといってわざわざ呼び出す気にはなれなかった。そんなの先の未来に不安をいだいている。そう言っているようなものだ。

 たかが人間。毎年自分に食べられるだけに連れてこられた家畜の未来になにをそんなに怯えることがある。


「魔女と恐れられた女が不安でも感じてんのか?」

「不安? いや、私は期待している」


 魔女は月を眺めるのをやめ、じっとリンを見つめた。見えないはずの顔が柔らかく微笑んでいるように見え、リンは顔をしかめる。


「この地獄を変えてくれるのであれば、私は誰でも構わない。お前であろうと、脆弱な人間であろうと、誰でも」

「変えられると本気で思ってんのか?」


 羽澤をまとめるアイツは未だ生まれていない。アイツが生まれていない羽澤家は烏合の衆だ。自分たちがなんの目的で、どうやって生まれたのかも分かっていない。ただ持って生まれた力を持て余す愚かな子供たち。

 そんな彼らが変わると目の前の魔女は思っているのか。


「そろそろ変わるほかないだろう。羽澤家だからといってすべてを黙らせられる時代は終わる」

「……それはそうだな」


 羽澤の人間がどこまで自覚しているかは分からないが、時代は変化している。長く生きたリンや魔女から見ても急激に。暗闇は光に照らされ、闇に隠れて生きてきた自分たちにはどうにも生きにくい時代に変わる。魔女や悪魔といったものはただの幻想で、本気で信じる者はどんどんいなくなるだろう。

 羽澤家の呪いだって、羽澤家自身ですらどこまで信じているか分からない。リンのことだって年寄り連中は恐れているが、若い者には疑心を持っているものも出始めている。


「変わらなければ、呪いをとく前に羽澤家は世間からの非難で潰れる」

「その切っ掛けに今年の御膳がなるっていうのか」

「なるかもしれない。ならないかもしれない」

「結局お前も分かってねえのかよ」


 お前、本当になにしに来たんだ。とあきれた顔で魔女を見る。なんとなく気まぐれに、月が隠れたのを幸いと森から出てきたのか。それとも魔女がわざわざ出てきたから月が隠れたのか。虫が騒がしいのもお前のせいかとイライラしながらリンは魔女をにらみつけた。


「彼らが、お前が今夜どんな選択をするのか、私も影ながら見学させてもらおうと思う。せっかく見逃してあげたのだ。少しでも長生きして欲しい」

「森に引きこもりすぎて気でもふれたか」


 顔をしかめてそういうと魔女はかすかに笑ったように見えた。そうかもしれない。と言葉にしなかった感情が見える。どこか疲れた様子にリンは眉を寄せた。


「では、よい夜を」


 その言葉を最後に魔女の気配が消えた。来るのも唐突だったが消えるのも唐突だ。気配を消しただけでどこかで見ているのだろう。本気で気配を消した魔女を探る手段をリンは持ち合わせていない。

 腹が立つと舌打ちすると複数の人の気配がした。屋敷にまっすぐに近づいてくる集団は隠れる気が一切ない。


「リン様、よろしいでしょうか」


 古めかしいランタンを掲げた集団を見てリンは目を細めた。よろしくない。さっさと帰れといえば帰るのだろうか。そんなことを思ったがここで追い返すと後々面倒なことになることは分かった。魔女がわざわざ今夜といったのだ。今夜なにかしら問題が起こるのだろう。


「手短にな」


 不機嫌だと隠しもせずにいえば先頭に立っていた航が体を震わした。他の面々もおびえの色を見せる。普段であれば気にもとめないが、今は虫の居所が悪いため些細な反応すら腹が立つ。


「おくつろぎ中申し訳ありません。御膳祭の日取りが決定したのです」


 集団の中から前に出たのは深里だった。震える己の兄を気にもとめずリンだけを見て微笑む。薄暗い夜、リンだけしか見えていないという熱い視線に胸焼けがした。


「それだけのことを言うためにこんな夜更けに雁首ぞろえてきたのか?」

「リン様には大変申し訳ないことなのですが、御膳候補が全員逃げ出したのです」


 深里があっさりと告げた言葉に後ろの集団がざわめいた。深里がしゃべるのをどうにか止めようとする者。ごまかそうとする者。リンの反応をこわごわと見つめる者。三者三様の反応を見てリンは口の端をあげる。


「御膳が用意できないから、今年はお前ら全員食ってもいいってか?」


 リンの言葉に何人かが悲鳴をあげた。逃げだそうと後ろに下がったものもいたが別の人間に止められる。パニック寸前の喧噪が聞こえるだろうに深里は以前柔らかな笑みを浮かべたままリンをじっと見つめていた。


「私としてはそれでも構わないのですが、羽澤家としては色々ありまして。リン様には全く関係ない事情で申し訳ないのですが、魔女の森までご同行頂きたく」

「……御膳は魔女の森を通って逃げる算段か」

「そのようです」


 どこかで見ている魔女に舌打ちする。見ているだけと言っておきながらしっかり逃げ道を与えている。これのどこが協力していないと言えるのか。


「面倒くせえな……」


 ため息をつきつつ立ち上がる。それだけのことで深里以外の人間がおびえた顔をした。いつもの事ではあるのだが今日はやけにイライラする。御膳よりも先にコイツら全員食ってやろうかと思ったが寸前のところで思いとどまった。


「響は?」


 その問いに深里の表情が引きつった。さきほどまで完璧に創り上げていた笑顔にヒビがはいる。相変わらず深里は響のことが嫌いだなと思いながらリンはなおも問いを続けた。


「響は家にいるのか?」

「……響も本家の人間ですし、今年の御膳祭が揉めたのは響のせいですから、責任をとりにいっています」

「ってことは森か」


 リンは頭をかく。責任をとりにということは逃げ出した御膳候補を説得しろとでも言われたのだろうが、心根の優しい響にそんなことが出来るはずもない。むしろ自分のことはいいから逃げろというだろう。そうなれば響の羽澤での立場はますます悪くなる。


「急いで向かうか……」


 あー面倒くさい。そう呟きながら足を速める。集まっている集団はリンが進むと綺麗に割れる。何のためにこんなに人数を集めたのかと舌打ちをしつつ、リンは森の奥へ向かって歩き出した。


 背中に焼き付くような視線を感じる。深里のものだとすぐに分かった。ひりつく視線には嫉妬や憎悪が混じっている。それが響に向けられたものだということもリンには分かっていた。

 分かっていたがどうでも良かった。響がどれほど深里に嫌われようがリンには関係ない。深里がどう思おうと、リンは響を気に入っていたし、深里には血筋を残す役割以外なにも期待していなかった。



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