港までの道程
紫 李鳥
第1話
一人の女が、
引き戸を開けると、
二十半ばだろうか、化粧っけのない女は大きくため息をつくと、ジーパンの上から
「ご苦労やったね。すぐにできるで」
孝子は真雄に振り返ると、前掛けで手を拭った。真雄は、
「近ごろ、畑が荒らされてるだ」
と浮かない顔で手ぬぐいを手にした。
「えっ、野良犬ね?」
「そうじゃにゃー。きれいにもぎ取られてるのさ」
「何を?」
「なんでもかんでもさ」
「泥棒かね?」
真雄に目を置きながら、杓子で鍋の煮物をかき混ぜた。
「泥棒って、こんなとこによそもんはいにゃーら?」
「……
「……分からん」
腑に落ちない表情を残しながら、真雄は火皿の灰を囲炉裏に落とした。
……盗むとしたら、人目のない夜中だろう。
真雄は
十年の月日が流れた。港町の蕎麦屋に、
「お母さん。行ってくるね」
ランドセルを背負った。
「行ってらっしゃい。夕飯作っておいたから」
ちゃぶ台の
「うん。行ってくる」
「気をつけてね」
「はーい」
ズックを履くと駆けて行った。
峰子が働く蕎麦屋、〈
「大将、おはようございます。外は寒いですよ」
ストールを座敷の小上がりに置くと、
「おはようさん。風邪を引かにゃーでよ。あんたに休まれたら客が減るで、頼むね」
「ありがとうございます。風邪を引かないように、気をつけます」
店内を掃くと、店先の落ち葉を塵取りに掬った。
「おみねちゃん!あとで行くからね」
近くの漁港で働く、“
「待ってまーす!」
峰子は箒を高く上げると、愛嬌を振りまいた。
夜の
そんな時、勤務を終えた
「いらっしゃいませ!」
峰子が席に案内すると、注文を訊いた。27、8だろうか、タートルネックにジャケットの格好からして、サラリーマンでないことは察しがついた。
「……酒を」
肩に力が入っているのか、勇人の言い方はぎこちなかった。
「冷やと
「うむ……燗を」
「はい、かしこまりました。つまみは、壁に貼ってありますので」
勇人は顔を上げずに
手際よく仕事をこなす厨房の峰子を目で追いながら、目が合いそうになると、勇人は視線を逸らした。
「おまちどおさまです。さあ、どうぞ」
ぐい呑みを勇人の前に置くと、徳利を手にした。ぐい呑みを持った勇人の手が小刻みに震えていた。峰子はクスッと笑うと、動きに合わせて少なめに注いだ。
「おつまみはお決まりですか」
「いや。何にしようかな……」
壁に並んだメニューを見上げた。
「この時期はおでんもありますし、もつ煮込みもあります。にしんの煮付けも美味しいですよ」
「じゃ、それを」
峰子の顔を見ずに言った。
「えっ?それって、どれですか?」
「……全部」
峰子を
「あっ、はい。ありがとうございます。おでんは何がいいですか?」
「お任せします」
「はい、かしこまりました」
売上に貢献してくれた勇人に礼を言うかのように、お通しの横の空になったぐい呑みに酒を注ぐと、
「すぐにお持ちします」
そう言って、目を合わせた勇人に笑顔を向けた。
「おみねちゃん。燗、もう一本!」
金ちゃんが仕事仲間と二人で呑んでいた。
「はーい!ただいま」
峰子の明るい声を聞きながら、勇人は手酌をした。
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