第四話
俺はテルロを先生として、平民というものの勉強を始めた。
勉強には仕事をしてみる事も含まれていて、懐の寒々しい俺には丁度良かった。
とはいえ仕事どころか自分の事さえした事のない俺は、初めはそれはもう苦労の連続だった。
「む、むむぅ~~~っ」
汚れた繋ぎ服を着た俺は、口から鼻まで布で覆った状態で唸り声を上げている。
何せ臭い。臭過ぎる。
家畜の世話というのはこんなにも大変な苦労の末に行われていたのか。
テルロと相談の上、俺に何が出来るのか皆目見当も付かなかったから片っ端から仕事を探した。その上で最初に受け入れてくれたのが今いる牧場だった。
牧場を経営しているバクシーさんは、俺の身の上を聞いても「取り敢えずやってみろ」と言ってくれた懐のデカい親父だ。
連れて来られたのは牛達の寝床。放牧している間に掃除と新しい藁の敷き変えを行っているらしい。
実際にやってみれば排泄の混ざった湿り気のある藁の臭い事臭い事。鼻が曲がるかと目眩がした。それでもバクシーさんはこれを毎日やっていると聞けば、今の俺に嫌がる権利など無いと思えた。
「とは言え……。やはり臭い……。重い……。腕も腰も痛くなってきた……」
一応城では教育の一環として一通りの武術は叩き込まれている。それでも畑違いな筋力の使い方に俺の体は悲鳴を上げていた。
「確かにこれは中々に普段使わない筋肉が鍛えられますね」
何故か俺の監視役の筈のテルロも一緒に働いている。
俺より軽い動きで大量の藁を別の小屋に運び入れたテルロが涼しい顔で言った。
「……何でテルロは平気なんだ……」
恨めしく見上げればテルロはニコリと笑んだ。
「我々は王侯貴族の方々より強くなきゃ守れませんからね。元より鍛え方も違いますし、臭いなどはまあ、現場はもっと酷い時も有りましたから」
現場?
俺より強いのはわかるが……現場とはどういうものだろうか。
首を傾げて詳しく聞きたかったが、テルロは「気分の悪くなる話ですよ」と最後まで教えてはくれなかった。
「さて、あとは新しい藁を敷くだけですね」
全ての藁を敷き終わった頃には俺はもうヘトヘトでその場に座り込んで息を切らしてしまっていた。
「がっはっは!何だナヨっちいボンボンかと思いきや、案外やるじゃねぇかい。気に入った!今晩はウチで食ってきな!」
お、おお!?タダなのか?タダで食べれるのか!?
残りの寂しい金を減らさずに済むなんて。バクシーさんは何て良い人なんだろう。
先程からグウグウと腹の虫が煩かった事もあって、俺は飛び付く勢いで話に乗ろうとした。
なのにテルロが難色を示してきた。
「嬉しい申し出では有りますが遅くなると夜道が不安です。私一人なら兎も角、アスターを危険に晒すのは本意ではありません」
そうか。昔と違って今は守ってくれる者がいないんだった。
俺はシュンと肩を落としてテルロに従う意思を見せるべく、その横についた。
「何だ。そんなもんウチに泊まってきゃ良いじゃねえか。部屋なら余ってるし不安なら内鍵も掛けられるぜ。
何せ上の娘が嫁ぐ前まで使ってた部屋でな。そこそこモテてたんで改造済みよ。がっはっは!」
夜道は歩かない!それなら危険は無いよな?な!?
俺はテルロの許可を得ようと視線で訴えかけた。
「はぁ。全く貴方ときたら……。
仕方ありませんね。確かに金銭も乏しいですし。
バクシー殿、私もアスターと同じ部屋に泊めて頂けますか?
アスター、私も貴方と同じ部屋を使用する事が条件ですよ」
テルロは困った様に笑って許可をしてくれた。
俺は嬉しくて「やった!」と笑顔になる。
正直に言えば俺は誰かと同じ部屋で寝た事など無い。不安や不満は擡げるが、それより腹を満たす方が余程大事に思えた。空腹は辛い。
「良いんですか?私と同じ部屋で」
「テルロは俺の兄みたいなものだろ?だから平気だ。多分」
喜ばれると思ってなかったんだろう。テルロが眉根を寄せて問い掛けて来た。
それに俺は自分にも言い聞かせる様に頷いて断言した。
「何だ、噂と違って良い子じゃないか。益々気に入ったぜ。
母ちゃん!おーい、母ちゃーん!」
何やらしたり顔のバスターさんは、ガチマッチョな胸を更に空気で膨らませると奥に向かって叫んだ。
「はいはい、聞こえてますよ。どうしましたか?あなた」
パタパタと軽快な足音が奥からして来たと思うと、直ぐに小柄な女性が手をエプロンで拭きながらやって来るのが見えた。
母ちゃんと言われたから年寄りが来るのかと思えばバクシーさんより若い人でビックリする。テルロが平民は奥さんの事を「母ちゃん」と呼ぶ人もいると聞いて納得したが。それでも奥さんにしては若く見える。
「年の差婚か?」
貴族では多いと聞くが、平民もそうだとは思わなかった。
疑問が口に出ていたが、まあ問題ない内容だよな?
俺は何が正解かわからなくなっていて、不安に思いつつも言ってしまったものは取り戻せない。テルロの顔色を伺えばテルロも「年若い奥さんとは羨ましい限りですね」と同意を示してくれて安堵した。
「あら!まあっ!」
「あー……」
なのに当の奥さんは目を大きくまん丸に見開いて、大きく開いた口を両手で隠した。その隣でバクシーさんはバツが悪いのとは違う、何処か釈然としない微妙な顔で奥さんを見た後、何処か遠くへ視線を流した。
どういう反応だ?
やっぱり言ってはいけない内容だったのか?
またしても不安になってテルロを見れば、テルロも不思議そうに首を傾げた。
「ほほほほほ!何て可愛くて素直で良い子達なんでしょう!今日はうんと奮発しますよ!良いわよね?あなた」
朗らかに笑う奥さんは、バクシーさんの背中をバシバシ叩いて楽しそうに言った。
「ああ。良いんじゃないかな」
バクシーさんも楽しそうな奥さんに頬を緩ませ頷く。
同意を得た奥さんは「さあ!張り切るわよー!」と腕をまくって奥へと消えていった。
そして奥さんが見えなくなった後でバクシーさんが言った一言は、俺とテルロに衝撃を与える事になる。
「母ちゃん。俺と同い年だぜ」
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