息を殺しながら、塔内の様子を窺い探る。

 だがその異変はすぐさまと目の前に飛び込んできた。


 上階から、何かとてつもない〝物体〟が降りてきたのだ。


 そいつはまるで発光する人型をした水晶体だ。

 その結晶の身体は帯電し、時に激しく火花を上げる。

 左腕に当たる部分に、何かの模様が見て取れる。

 それは〈契約〉の刻印だ。

 そして明らかに塔内の他の精霊とは違い、何かを探すように首らしきそれを巡らしているのだった。


「……あれは?」

「たぶんかなり上位種の精霊ね。でも動きが何かおかしいわ」

「あいつ、目当ては俺達じゃないかな。ゲアルトが塔の異変に気づいて、それで差し向けたのかも」


 ロゼは頬に汗差しながら、それの動向を観察していた。


 もしあれがゲアルトの使役する精霊ならいずれ奴の元に戻るだろう。

 即ち、確かな居場所を突き止めるチャンス。

 だがその為には向こうに俺達を感づかれてはならない。

 隠密行動を取る場合には際立って邪魔な俺の図体ではかなりの不安が残る。

 しかし、それでもこの確実な手がかりを見失う訳にはいかない。


 ロゼが先行して辺りに気を配りながら奴を尾行する。

 俺は少し離れて、そのロゼの足跡を追っていくという形に自然と相成った。

 彼女の身に何かあろうものなら、このチャンスを棒に振ってでも駆けつける腹積もりだ。


 だが、思いのほかスニークミッションは順調だった。


 さいわい相手が強く発光しているので、多少距離を空けても見失う事はない。

 また、そいつは他の有象無象の精霊達とは格が違うらしく、皆それが近づくと怯えるように大人しくなる。

 おかげでその他にわずらわされる事がなかったというのが大きい理由だろう。


 そいつは入り口のある最下層まで至ると、諦めたようにきびすを返して戻っていく。

 慎重に追跡を継続する俺達。


 やがて、階全体が一繋ぎの巨大なホールとなっている場所まで昇ってきた。

 大きな立方体のブロックが林立し、まるで迷路のような形状だ。

 その一つに素早く身をひそめる。


 だが、あの精霊の様子がおかしかった。

 その先へ足を進めようとしないのだ。


 不審に思ったロゼが物陰から少し身を乗り出したその時、フロア全体がにわかに揺れた。

 無造作に転がっていたそれらのブロックが、なんと床下に収納されていく。

 途端、このホールは上へと繋がる階段以外には何もない空間へ早変わりする。


 罠だと思い至った矢先には、発光するあの精霊が遮蔽物しゃへいぶつを無くしたロゼの姿をあらわと捉えている。

 俺は脇目も振らずに彼女の傍に馳せ参じた。


 そして――


「なんとも無様な侵入者だ」


 上階から、泰然とした足取りで降りてくる影が一つ。


「張り巡らされた幾重もの結界に一度たりとも気づかぬのか。それとも、それが解っていながらえてここまで来たか」


 低く迫力のある声がその場に響きわたる。

 荒くなった息遣いを隠そうともせず、ロゼが現れたその相手を凝視する。


「ゲアルト……!」


 引き絞り続けてきたものが、遂には千切れる――そんな喚声。


 あの男が件の〈魔闘士〉か。

 髪やひげに白いものが混じっているが、頑健で屈強な偉丈夫だった。

 つやのない黒の外套をまとい、腰には複数本の刀剣を挿している。それがその男の二つ名の最たる由縁だろう。


 奴が水晶精霊の傍まで降りてきた。

 その強い意思を宿す双眸そうぼうがふと俺の方へと向けられた。


 と、奴は感嘆の声を漏らす。


「竜族を従えているのか。多少は腕に覚えがあるらしい」

「――ゲアルト!!」


 こちらを値踏みするかのような相手に向け、その喉の底から根こそぎを放出したかのような声量を叩きつけるロゼ。

 その声は、痛ましいほどにかすれていた。


「あたしの事を忘れたとは言わせないわ!? ゲアルト・ソーンヴァー!」


 ロゼは凄絶にその声を歪ませ続ける。

 それを受け、奴はそのロゼの様子をいぶかしむよう見遣る。

 だが数秒ほど思案した後で得心した面持ちになる。


「お前は、確かレオノーラの所に居た……」

「ロゼッタよ! お前に連れて行かれたティゼットの妹よ!」

「そうだったな。それで、わざわざ姉に会いにでも来たか?」


 その仇はまるで無感動にそう述べる。 

 反応が薄いというか、別段、取り沙汰ざたす価値もないという風だ。

 それを狙ってやっているのだとしら相当に悪趣味な野郎だ。


 こちらにまで、ロゼの歯をきしらせる音が届く。

 俺は計画を忘れて熱くなっている彼女を落ち着かせるべく背中をつついた。


 ロゼが怒りに充血した眼をこちらに向ける。

 その瞳をじっと見つめ返す。


 数秒の後、少女は頷いた。


「ゲアルト! お前に勝負を申し込むわ!」


 少しだけ平静を取り戻したロゼが、ビッと相手に指を突きつける。 


「勝負だと……?」

「嫌とは言わせない! お前がそうやってお姉ちゃんを奪っていったように、あたしもそうさせて貰うのよ!」

「……姉を、取り戻したいという話か」


 固い表情で相手をにらみつけながらロゼはその言葉に頷いた。


「勝負方法は、〈ジェノスの契約〉で使役した魔物同士による一騎打ち!」


 奴はロゼと俺を交互に見比べて、またも得心したようにあごを引く。


「成る程な。竜族のその生命力を小細工に当てず、真っ向から利用する腹という訳か」

「どうなの? あたしとの勝負を受ける気があるの?」


 緊張の一瞬であったが、奴は短い逡巡しゅんじゅんを見せたのみであった。

 そして、そのたたずまいを改めるようにその艶の消えた外套を肩の後ろへと流し掛ける。

 厚手の旅装束の上からでもその鍛え上げられた肉体が判別できた。


「よかろう。〈魔闘士〉の矜持きょうじとして、相手が誰であろうと勝負を挑まれたからには全力で応えるが信条」


 思わず心の中でグッと拳を握り締めたのは、きっと俺だけではなかったろう。

 今のところ計画通りに事が運んでいるのだから。


 ロゼは深呼吸をして、ちらりとこちらに目線を配る。

 その言い含むところを俺はきっちりと理解している。


「さあっ! あたしとの勝負に使役するのはそこの精霊かしら?!」

「いや、しばし待て――」


 奴が左腕を無造作に振るった。

 すると、あの発行する水晶体の精霊が足元から光に包まれ掻き消えた。


 そして今度は右掌を顔の前に掲げる。

 次の瞬間、奴の手の甲に黄金色の光で文様が浮かび上がる。

 すると、その照射された光が床に同じ文様を刻み込む。

 その円陣の光はさらに拡がり、その場に一体の巨獣が召喚された。


 それは燃え盛るたてがみを持つ獅子顔の化け物――巨人と獅子が混合したかのような、炎を纏う獣人であった。

 右手の甲には男と同じ刻印が、炎の赤に負けじと輝いていた。


「全力で応えると言ったろう。遠慮は要らぬ――存分に来い」


 〈魔闘士〉ゲアルトのその威風が、迫力を伴った低い声とあわさって放たれた。













 豁然かつぜんとなった巨大な半球形のフロア――

 そこで俺達は、〈魔闘士〉ゲアルトと奴が従えるその炎をまとう巨獣とを相手取る。


 ゲアルトの発した鋭い呼気に反応するよう、灼熱しゃくねつの獣人が床に両の拳を叩きつけた。

 打ち込まれたそこからは火柱が上がり、それを背景に「グゥオオオオォォッッ」と凄まじい咆哮ほうこうとどろかせた。


 その迫力に思わず身を退いてしまう俺。

 いや、どうかな、ちょっとアレは荷が重いかもしんない。


 炎のだいだいに照らされたロゼのその顔も強張っていた。

 だが、これが俺の役目――踏ん張りどころなのだ。


 一面が床となったその場で、物理的に暑苦しくてでっかくて毛深いそいつと額を突き合わす。

 こっちも二本足で立ち上がり、両手を掲げ「がおー」と言ってやった。――うん、負けてない。きっと負けてない。威圧感なら伯仲はくちゅうしてる。


 突如、脇目も振らずにがぶり寄ってきた獅子面。

 そのまま勢い余って押し出される。思わず後ろ足を突っ撥ねた――まさにその瞬間、俺は足払いを掛けられ、投げ飛ばされていたのだから仰天する。

 風景と重力が反転し、背中から叩き落される。

 そのまま奴はマウントポジションのような位置取りでこちらに覆い被さり、上から執拗しつように拳を落としてきた。


 明らかに獣が行える類の動きじゃなかった。

 呼吸と重心を完全に読んでいた。

 あれは武術の理合いとかそんな感じのものだ。


 炎獣を通り越した向こうに視線をわせ、黒マントを視界に収める。

 奴は目を閉じ、拳を額に着けて、凄まじいまでに集中していた。

 そう、思念を同調させ、この獣は奴によって操られている。いや、あの男そのものが憑依ひょういしているとも言えた。


 これこそが〈契約〉による使役の本髄ほんずいだった。


 そして――

 それこそが俺達の勝機なのだ。


 ドラゴン族の生命力とやらを信じ、俺は相手に全力でしがみ付いた。

 長い鎌首を利用して、その肩口に思い切りみついてやる。

 くぐもった悲鳴が上がる。

 牙を突き立てたそこは、まるで焼けた石か何かのようだ。

 構わず食い下がり、もろともに地面を転げ回った。


 何度も殴られ、奴が纏う炎に身を焦がされるが、俺は俺の最大限を示し続ける。


 そして途切れそうになる視界の端で、念じる様に意識を傾けている男の――その背後まで忍び寄ったロゼを見た。

 懐から抜いた白刃を閃かせ、彼女は今まさに仇敵におどり掛かった。


 術者同士による一対一の真剣勝負――

 その前提がフェイク。


 俺に念を送り、集中する必要のない彼女だから行える最大の奇襲。

 それが計画。


 当初にロゼの言っていた「策」とは、差し違える覚悟で奴を亡き者にしようという軽はずみなもの。

 その為の手管てくだすら彼女は確実に持ち得ていなかった。

 懸念は無きにしもあらずだったが、残された時間も無かった俺は、そこに手を加える事でこの一世一代の奇襲戦法を練った。


 刃の先端を一方向に、石畳を蹴ったロゼ。

 体当たりをかますようにその身がはしる。


「――っ!?」


 だが恐ろしいのは奴のその反射速度である。

 自らの懐に至ってから気付いたロゼの存在――にも拘わらず、奴はその状態で刃をかわした。

 悲願を果たそうとするロゼの突進の勢いを受け流すように、辛くもその不意討ちから逃れていた。


「どういうつもりだ?! ――小娘!」


 一瞬にして、俺が絡みつく獣人の動きが変わった。

 有利な位置の取り合いなどは失せ、もつれ合う獣同然にこちらのくびに牙を立ててきた。


「ゲアルト・ソーンヴァー!! 我が師匠の仇!!」

「……何だと⁉」


 果敢に徹して再び立ち向かうロゼ。

 だが唯一の好機を逃した彼女に勝ち目などなかったのだ。


 短剣を突き出す腕を容易に捕らえられ、その腕を背中側に回され、捻り上げられる。

 肩と肘の関節を極められ、身動きを封じられた。


 甲高い音でロゼの短剣が石床を打つ。

 最初から、あの男に白兵戦で挑んだのが間違いなのか。

 しかし、関節を極められても悲鳴一つとてあげないロゼの必死さだ。


「こいつめ! ライオンだかゴリラだか判別できないクセに! ――離れろおらあ!」


 絶対絶命の状態。

 理由はともかく、勝負の最中に自身の命を狙ったロゼをあの悪党が許すはずはない。

 空いた片手でいつ腰の刀剣を引き抜き、彼女の胸に突き刺す事か。

 ――こんな暑苦しいのを相手にしてる暇はないんだ。


「くっそおおぉぉ――!!」


 例外、だ。


 俺達の勝算は、この世界で唯一俺達だけが例外であるというその事実。

 魔物や精霊と人間が共生するこの世界、しかしそれらは〈ジェノスの契約〉による対価の為のもの。


 だが俺は違う。

 俺はロゼの魂なんか欲しくない。

 欲しいものがあるとすれば、それは研ぎ澄ますように日々を重ねているあの子の心の平穏。


 だから、俺は諦めたくない。

 諦める訳にはいかない。


 ふと背中に風圧のようなものを感じた。

 目に見えない〝力場〟が、俺の背中を力強く叩いた。

 その瞬間、身体が勢いよく浮かび上がる。

 知らず背面の翼を羽搏はばたかせ、俺は獅子面を抱えたまま宙に浮かび上がっていた。

 そのままグンと急上昇し、天井部分に腕の中の相手を叩きつける。

 轟音と震動をひるがえし、床へとまっしぐら。

 ロゼを捕らえるその悪党の鼻先に撹拌かくはんした二度目の轟音と震動で降り立った。


手前テメェ、この野郎! ロゼを放せ悪党!」


 後方の天井からは時間差で炎獣が降ってきた。

 その様に、奴は驚愕に眼を見開く。


「人語を介するのか……? ただの竜族ではなく、まさか古竜種……!?」

「うるさい! どうでもいいからロゼを放せったらこのバカ! もう空だって飛べたんだから、火だって吹けるぞ! ――こんちくしょうめ!」


 今度こそ全身全霊を以て脅しかけた。


 数秒、俺と奴は近い距離でのにらみ合いを演じた。


 ――と、こちらの呼吸を外すような絶妙さで歴戦のこの男はロゼの身を突き放す。

 こちらが息を呑んだ次の瞬間にはもう奴は両手で剣を引き抜いて飛び退き、二刀を構えていた。

 そして俺の後ろであの獅子面が炎を吐いて起き上がってきた。


 ともかくロゼを自身の胸の内にかくまう。

 いざとなったら、塔の内壁をブチ破ってでも飛んで逃げてやる。


 しかし、そこで妙な事が起こった。


 対峙する当の相手が攻撃を仕掛けてこないのだ。

 奴は今、ひどく険しいような眼つきだが、何か違和感を拭えずにいるような表情でもあった。


「どうやら、何かの誤解があるようだな」

「…………え?」


 想定外のそのセリフに、俺は思わず間の抜けた声を返してしまう。


「おい娘、貴様、俺を師の仇と呼んだか?」


 おもむろに二刀を鞘に収めた奴が、ロゼに視線を向けて問うた。


「――とぼけないでっ! お前が殺したんでしょ?! あたし達の師匠を!!」

「レオノーラが……あの女が死んだというのか」

「そうよ!」

「死んだという確証は? 死体を見たでも言うのか」

「そ……それは……」


 平坦で瞭然とした声に詰められ、ロゼの方が言葉をいっする。


「死体を見た訳ではないのだな。では何故、死んだなどという話に至った」

「それは……師匠がお前の元へ、お姉ちゃんを取り戻しに向かったからよ!」


 ロゼは声の限り、そしてその胸中を言葉に乗せるように語り出した。


「出立の際、師匠は言ってたわ……『自分が戻れなければ、もうあの男に殺されているだろう』って……。そして、何週間も経った! お姉ちゃんをあたし達から無理矢理に奪って、その上お前は師匠にまで手を掛けた。――ゲアルト・ソーンヴァー!! お前は非道で冷酷で残忍な人殺しよ! 過去に師匠とどんな因縁があったか知らない……でも、お前は師匠の全てを奪うつもりだったんだわ!」


 その時、それまで神妙にロゼの話を聞いていた奴が、盛大に気の抜けるような溜息を洩らした。


「概ね、理解ができた。……おい娘、お前のポンコツお師匠さまはな、おそらく今もピンピンしておるぞ」

「…………へ?」


 今度はロゼがそう間の抜けた声を返す。


 一体、どういうこっちゃい?






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