にゃんこのお告げ(現代恋愛)

「うわあっ!!!」

 思わず私は叫んだ。それはもうお隣さんまでは軽く聞こえちゃっているくらいには大きかったかも知れない。

 叫びたくもなる。玄関に着いたらおデブちゃんな灰色……もとい白猫が我が物顔で巨体を転がしているのだから。

「こら、こんなところにいたら外出れないよ、フク」

 普通の猫よりも少々(いや、大分か)存在感がある猫は、そしらぬ顔でぽよんぽよんのおなかを見せている。

「フク」というのはこの猫の名前だ。野良にしてはふくよかだからとお母さんがつけたのだけれども、年月を経てふくよかなんてレベルはとうに越えてしまった。仰向けになって露になっているおなかはひとたび歩けば十メートルくらい離れた場所から観ても揺れているのが解る程だ。

 迷った猫に餌を与え続け、いついたのでもうウチの猫にしちゃおう……なんていい加減な流れで、猫の事を良く理解せずに適当に人間の食べ物をフクの欲求のままに与え続けた結果がこれなので責任はこちらにあるのだけど。肥満過ぎるかな、と思って病院に相談にいったら「どうしてこんなになるまで放っておいたんですか!」と説教くらったのは記憶に新しい。

「あらまぁ、フク。貴方のベッドはここじゃないでしょー?」

 お弁当の包みを片手に、お母さんが横から覗いてくる。

「おかーさん、いい加減リビング飼いにしよーよ、いっつも玄関先で体擦り付けたり寝てたりするからすぐ汚れちゃうし」

「うーん、でも外にも出さなくなったし、大好きなマグロも食べれなくなったから、せめて家の中でも自由に移動できないとかわいそうじゃない」

 無類の動物好きのお母さんなので、例に漏れずフクにも甘い。流石に獣医さんの言う事だから、決まった食事以外は与えることはしないけれど、フクの訴えをやり過ごすのは未だ良心が痛むらしい。

「ったく……ほらー、フクー。おねえちゃん学校行くからそこどきなさい」

 目は開いてこちらを見ているのだがどいてくれる気配がない。

「ふーくぅー」

 少々睨みつけて強い口調で言ったからか、やっとの事で重い腰を上げてくれた……と思いきや、のんきに毛づくろいを始めた。気持ちよさそうに体中をなめて、なんとも器用に寝転がったまま顔まで舐めている。

 猫は気まぐれな動物って言うけれども、こんなブタちゃん(失礼)みたいな子でもしっかり心は猫なのだなあ、と決してのんびりはできない登校前、私は足元のフクを見下ろしながら考えていた。

「はいはい、しょうがないわねーおねえちゃんは」

 よいしょ、と呟きながら(重いからね)フクを抱き上げるお母さん。というかしょうがないのは私の方なのか!

 この無類の猫好きめー! と声には出さない。拗ねさせて、お気に入りのあまーい卵焼きが、しょっぱくなっては大変だ。

 お弁当を受け取って、いつも通りドアを開ける。いってきます、と後ろを振り向いたらお母さんはフクの前足を振って、いってらっしゃいの意を示していた。

「あ、カナちゃん。傘は持っていかなくてもいいの?」

 フクのぽよぽよした体に顔を擦り付けているお母さんの言葉に空を見る。

 快晴、ではないけれども誰が見たって良い天気、と認めるくらいの青い空が広がっている。

 お天気のお姉さんは、降水確率十パーセントです。と言っていた。

「……何で?」

「ほら、だって言うじゃない。猫が顔を洗うと雨が降るって」

「……そんな事いったら毎日日本全国雨だよ」

 世界の中心はフクなのか、猫バカ恐るべし。

 勿論、傘は持たずに家を出た。


*      *      *


「何ぼーっと空なんか見てるの?」

 お昼休み。私は親友のミカの声に我に返る。

 まあ、お箸口に加えたまま、空を見つめているのは確かに端から見たら不思議な人かも知れない。

「いやぁ、雨なんか降らないよねえ、と思って」

「? こんなに天気いいもん、降らないでしょ」

「だよねえ」

 ミカはまだ良くわからないといった風に首をかしげている。

 そりゃそうなるよねえ、と私は朝よりは若干雲の増えた青空を見つつ、卵焼きを口に入れる。甘い卵焼きは、いつもながらの絶品だ。猫バカでも料理の上手なお母様に今日も感謝、である。

「なーんだ、てっきり高崎の事考えて食事も手につかないのかと思った」

「……げふっ! ……にゃ、にゃにいって……!」

 ふいの一言に咳き込みそうになる。ちなみに卵焼きはお弁当に吐き出したのでセーフだ(汚い話で失礼)

「何だやっぱりそうだったんだ。動揺しちゃって可愛い奴め」

「違うっ、これは今の言葉に反応してただけで、考えてたのは別の事!」

「うんうん。じゃーそういう事にしておいてあげる」

 だから違うのに! 

 出かけた言葉を抑えるかのように、弁当のご飯を押しこむ。

「あんたいつ告白するの? いくらなんでも一年越しってのは長いと思うよ? クラスも去年から一緒だし、席なんて前じゃん」

「だから心の準備ってものがね……」

「もう。とにかく言わないと始まらないんだからね。やっぱ私が間に入って」

 ミカの言葉に再び噴き出しそうになる。今度はこらえたけれど。

「ダメ。絶対ダメ。自分で言う」

 言い返すや否や、耳元に箸箱を閉じる音と、溜息が届いた。

「しょうがないなぁ。でもあと何か月もそんな感じだったら問答無用で間に入るよ」

「ええー!!」

「嫌だったら、さっさと気持ち言いなさい!」

 箸を突き出しながら言うミカに私はそれ以上何も言い返せなかった。

 

 二人で話したい事があるの。

 去年同じクラスになった時から好きでした。

 よかったら付き合って下さい。


 伝える言葉はそう多くないというのに。


*      *      *


「じゃあ、次の問題を――高崎」

 英語教師の呼びかけと、はい、という高崎君の声にどきりとする。

 カタカナ読みで英訳の問題を解いていく高崎君の背中をじっと見つめる。高崎君は取り立てて長身な訳ではない。成績上位者に名を連ねている訳でもないし、運動は人並み程度。明るいクラスの人気者でもなく、暗くて浮いている人でもない。率直に言えば素朴な人。

 そんな彼に私が惹かれた理由は……実は自分にもよく解らない。

 入学して、同じクラスに彼がいて、……ただそれだけ。特に仲が良かったとか特別な接点があった訳でもない。高崎と高橋で出席番号が前後していたから、プリント配布の時「はい」「ありがとう」と、交わした言葉があるとしたらその程度だ。昔から今までずっと。

 ただ、半年くらいたった時に、彼を目で追っている自分に気づいた。意識してから彼と目が合ったり、プリントを渡す手が触れたりすると、胸が弾むようになった。本当に、ただ、それだけ。

 性格もあるだろうけれども。理由が曖昧だから。心の奥底では恋ではないのではと感じているから、だからきっと私は告白に踏み切れずにいる。傍から見ているミカに言わせれば十分に恋している、だそうだけれども。

 所在なげに(授業に集中しろ、自分)ぐりぐり回していた消しゴムが飛んで、私は我に帰る。消しゴムの行方を追いながら、あんなこというから過剰に意識してしまうじゃないか、とユミへの愚痴を心の中でつぶやく。

「これ高橋さんの?」

 呼びかけに振り向くと、消しゴムを手に乗せて見せている高崎君がいた。不意の出来事に返事が思いつかず、素早くうなずきながら消しゴムを受け取る。

 ありがとうを言う前に授業に戻る高崎君の背中を目に、溜息が漏れた。そしてミカへの愚痴を取り消しておく。

 悪いのは理由を付けて告白しない、ふられるのを恐れている情けない自分。

 手を当てなくとも、体全体で感じる鼓動と、顔の火照りを感じながら前を見据えた。

 横目で見える窓の外は心なしか薄暗くなってきていた。


*      *      *


 放課後。部活があるミカとバイバイした私は、いつもの寄り道コースをスルーしてまっすぐに家へと向かっていた。

 昼まであんなにさんさんと輝いていた太陽は雲に隠れ、今はすっかり曇り空だ。

 雨が降る前に帰ろう。ピニール傘を買う選択肢もあるけれども、できるだけ出費は避けたい。

 急ぎ足していると、メール音が鳴り響く。差出人はお母さんだ。

『フクのご飯買うの忘れちゃったから、いつものスーパーで買ってきてね』

 語尾のハートが三つついているメール文に、思わず「えええっ」と声が出てしまう。

 まだ夕食作るには早いんだから、もう一回戻ればいいじゃないか。車なんだし。文句を言いたい気持ちを抑え、『了解しました。お母様』とだけ返信しておいた(ハートは書いてないよ!)

 夕食の買い物から帰るなり、買い物袋を放っておいてフクを文字通り猫かわいがりしているお母さんの姿が頭に浮かんだ。わずかな時間でもあのぽよぽよの姿を眺めていたいのだろう、猫好きめ!

 携帯を固く握りしめて、帰り道コースからちょっと外れたスーパーへと走った。


*      *      *


 つい、いつものくせで雑誌を立ち読みした自分が悪いのは解っている。

「天気予報のウソツキ」

 だけど、予想外の買い物がなければ、と雨を見ながら思わずにはいられない。

 半透明の袋越しに見える、お徳用の猫缶を見ながらため息が漏れる。吟味もせず、ペット用品で一番先に目に入ったこれを手に急いでレジへ向かったというのに、まるで意味がなくなってしまった。

 小降りだけれども、濡れることは避けられない。そして情けない事に、財布の残りはビニール傘すら買えないくらいのおけらっぷり。

 盛大な溜息を漏らしながら、今朝の事を思い出していた。


――あ、カナちゃん。傘は持っていかなくてもいいの?

――ほら、だって言うじゃない。猫が顔を洗うと雨が降るって


 思い出しながら、ペットにまで責任転嫁しそうになっている自分に嫌気がさす。

 高崎君へ告白できない焦りとか、諸々の事が一気にのしかかって来ているかのように、心が重い感じがする。

 どうして今急に。理由なんて解らない。いつだって理由がわからない。もやもやする。何で自分の心なのに解らないんだろう。解らないで苦しいだけなんだろう。

 ミカはそれも青春だって言うけれども、それならば私は青春なんて大嫌いだ。

 こんな風に変に心が重くなることは初めてじゃない、高崎君を意識してから時たまあったこと。そして大抵は翌日になれば治まっている。だから……この場を乗り越えれば大丈夫なはずなのだけれども、不安はぬぐえない。

 雨足が強くなってきた。帰ろう。ちょっとぐっと気合いを入れて、雨の中へと足を踏み出す。冷たいけれども、急いで帰って熱いシャワーでも浴びれば大丈夫だろう。

 そうしてほんのしばらく進んだとき、ふっと雨粒を感じなくなった。雨音はそのままの勢いで聞こえているのに。

 誰かが傘を差し出してくれたのはすぐわかったけれど、その人を見た瞬間心臓が飛び出るんじゃないか、と思うほどに鼓動が大きく鳴り響いた。

「偶然、見かけたから」

 高崎君はぎこちなく頭を下げた。


*      *      *


 通り道だから送っていく、という高崎君の厚意に甘え、私は今彼と一つの傘の下にいる。

 毎日すぐ後ろで背中を間近にみているけれど、もちろん今みたいに体を寄せ合う機会などなかった訳で、ドキドキがずっと止まらない。

 そして何故か、私は急激に悟った気がした。人を好きになるのに理由なんていらないのだと。そんな事はどうでもいいのだと。今この場での私の状態。それが何よりの答えなのだと。

 拒否されるのが怖い? いいじゃないか。

 それだけ私は彼が好きなのだということなのだから、自信を持てばいいんだ。

 ……とは言え、一年近く悩み続けていたのに、ほんのちょっと密接したくらいで結論をだす自分の単純さにあきれているのも事実ではあるのだけれども。

 でも思ったのだから仕方がない、そしてそういうものなのだ、恋ってやつは。

 とにもかくにも告白あるのみ、とほんのちょっとの迷いを残しつつも決意した私にとって、今はまさに神様がくれた偶然にして絶好のチャンスである。

 しかし、どう切り出していいものやら。元から会話らしい会話もしたことがないし、何よりもこの道中道が分かれている毎に「どっち」「こっち」のやりとり以外、まったくの無言。ほんとうにどうしたものやら。

(趣味の話でもしてみる? 天気の話? いや、肝心の告白をしないとどうにもならないじゃない!)

 あーでもない、こーでもない。と頭を巡らせていたら高崎君が足を止めた。

 車でも来た? と思って俯いていた顔を上げたら、目の前に見慣れた我が家があった。……って着いちゃった!

「ここ?」

「うん、ありがとう」

「どういたしまして。じゃあ」

 傘が離れる。高崎君も離れる。

 それはそうだ。高崎君からすれば、クラスメートを親切に送り届けてくれただけなんだから。……でも、私は。

 彼の遠ざかりつつある背中を追いながら、私は叫んだ。それは絶叫に近かったかも知れない。

「付き合って!」

 高崎君がゆっくりと振り向く。高二にしては幼さのまだ残る顔は困惑に満ちているように見えた。眼鏡の奥の瞳が私のそれと重なり、私は一気に熱が上ってくるのを感じ、素早く背を向ける。

(言ってしまった。とうとういってしまった。あれ、でも私好きを飛ばして付き合ってとしか言ってない。馬鹿か、私。あわてすぎ。あ、でも「付き合って」イコール「好き」で成立しているからオッケーかな)

 胸に手を当てながら混乱している心を落ち着かせようとする。

「ごめん」

 背中越しに聞こえる高崎君の応えに、勝手に心は落ち着いた。いや、むしろちょっと沈んだかも知れない。たぶん、徐々にもっと沈むんだろう。

 確率は半々だから十分に想定していたこと。でもいざその時になると思ったより堪える。 でもショックなりに安心している部分もある。言わなければ始まらない、そして終わりも訪れない。終りが訪れなければ、次へも進めない。悲しいけれど、言って後悔はなかった。

「いいよ。私が勝手に好きになっただけだし」

「え、いや。そうじゃ、なくて」

 沈黙が走る。通り雨だったのか、辺りは薄暗いままだったけれども、雨はだいぶ弱くなっているようだった。

「偶然、ていうのウソだから。いやスーパーで見かけたのは本当でその後付けてて。……あ、ストーカーとかじゃないんだ」

 振り向いて見えた高碕君の顔は、心なしか赤くなっているように見えた。

「その……たまたま俺持ち帰った置き傘もってて……高橋さんが持っていないみたいだから、相合傘できるかな、なんて」

 気まずそうに話す高崎君を見ている私の顔は、きっとものすごく間抜けなんだろうな、と思う。中途半端に開いた口がどうしてもふさがらない。

 沈んでいた分だけ、いつもよりドキドキも大きい。

(これって、まさか。そんな出来すぎた展開なんてあるわけ)

 高崎君は、頭を掻きながら、

「よろしくお願いします……でいいのかな」

 どこか恥ずかしそうに視線を逸らした。


*      *      *


 玄関の扉を開くと、そこにフクがいた。

 朝と同じようにぽよぽよのお腹を、何の警戒心もなく見せてごろんと横になっている。

「まったく、こんなになってもまだ食べたりないのかー、お前はー」

 ぽよぽよのお肉をなでてあげるとフクはゴロゴロと気持ちよさそうに喉を鳴らす。ちょっと馬鹿にしているというのに現金なものだ。

「お前が顔舐めるから、おねえちゃんすっごく濡れちゃったんだぞー、うりゃっ」

 がしがし濡れた手で触ったら、さすがに鬱陶しく思ったのか(猫は水嫌いだしね)のっそりと起き上がるフク。

 猫が顔をなめると雨が降る。

 ハッピーな気分の私には、フクが雨を降らせてチャンスをくれた、恋のキューピッドに見えて仕方がなかった。そんな訳ないのに、恋は盲目ってのはあながち嘘ではないのかも知れない。

 まずはシャワーを浴びて、制服を乾かして、あ、ミカにメールもしなくちゃ。それから……。

「あ、どうもありがとうね。フク」

 すり寄ってくるフクにお礼を言いながら、明日は高級なダイエットフードを買ってきてあげようと思った

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