短編集 壱

月島瑠奈

2004年

記念樹~Anniversaries~(現代)

その日はとても気持ちのいい朝だった。空は筋雲すら一つもない快晴。ぽかぽかと心地良い陽気ながら時折涼しげな風が吹く。隣近所に植えられている金木犀の甘い香りがその風に乗ってやって来る。正に秋の気候って感じだ。

 よいしょ、とおばさんくさい声を出しながら布団を運搬する。出掛けるからと頼まれたお姉ちゃんの分も合わせて計二人分の布団。普通の綿入れ布団は見た目に似合わず結構な重量がある。ずるずる引きずりながら廊下を歩きながらこんないい天気の日曜日に何やってんだと今の自分に突っ込む。台風一過が生んだこれ以上って無いほどの行楽日和。

(まあ、一緒に行く相手もいませんけどっ)

 自慢じゃないが彼氏イナイ歴イコール実年齢。決して多くないけど仲の良い友人は何か仕組んでるんじゃないか、と疑わずには思えない程全員就職先の休日が重ならなくて、もう大学を卒業してからはや半年経つが、外でゆっくり会うことは滅多にない。会社帰りに一回だけ中学時代からの親友のキヨと夕食を食べた位だ。

 あえなくてもメール交換はやってるけどそれもたまに。数日後に返事なんてザラだ。  仕方ないことは解っているし、忙しい最中はそんな事を考えている余裕すらない。

(メールしてみよっかな)

 ふとそんな事を思い立ったけど、とりあえず今はこの布団をベランダに運ぶのが先だ。天気の良い日に布団を干す。地味ながらなんとなく生活感溢れるのどかな光景ではないか。ていうか、そう言ってなきゃやってらんないってのが本音ですが。

 足で扉を開けるのは流石にお行儀が悪いので一旦床にばさりと布団を置く。外気に寒さを感じる、七部袖を着ているせいだろうか。そういえばまだ夏物しまってなかったっけ?

 足の裏が汚れるのでベランダ用のサンダルを履く。といってもこれも基本的に外に出しっぱなしで埃だらけなんですけど。1枚目の布団を干す時にベランダに届く位の高さの庭のもみの木が目に入った。

(……いつの間に、こんなにでかくなったんだろ)

 小学校を卒業する時に買った記念樹。別に強制ではなかったので買わなくてもいいなと思ってたんだけど。


――折角の記念なんだから買いなさい。どうせお金はお母さんが出すんだから。


 後半の台詞はさておき、まあ折角だしなと思いつつ適当に選んだ。そんなに植物に詳しくなかった当時の私がみて解る数少ない樹木だったし。

 この樹に対する思い入れははっきりいって少ない。適当に選んで買ったからこの木をみて小学校時代を懐かしむこともないし、それ以前に庭の手入れはお母さんがしているから目にする事すら少ないし。

 そういやこうして自分で布団を干すのもかなり久々だ。偉大なるお母様に感謝。しかし、十数年の時を経て、ここまで成長を遂げるとは。あと何年かたったら屋根まで行くんじゃないか、本気でそう思う。屋根より高いこいのぼり、ならずもみの木。パクリな上に何のひねりも無い。

(……ここで布団も干せなくなったりして)

 今の位置で成長し続ければ確実にこのベランダは日陰になる。布団の為に植木屋にお金を支払うか、木の為に布団を犠牲にするか?! いや、別にベランダじゃなくても布団は干せるんだけど。

 まあ今は普通に干せるからいいか。そんな事に頭を使うのも馬鹿馬鹿しいし。二つの布団をこれまたよいしょ、の呟きとともにベランダに干していく。風が余り吹いていないから布団バサミは要らない。本当に今日はいい天気だ。思わす某国民的アニメの主題歌が頭に流れる。布団たたきでパンパンと埃をたたき出す。ちょいと意地の悪いブチョーの顔を思い浮かべながら景気良く、力強く。

 おお、何か結構楽しいぞ。と調子に乗ってきたときにジーパンのポケットにいれていた携帯が震えた。二つ折の携帯を開いてみる。キヨからだった。顔が緩んでいるのが自分でも解った。こちらから送ろうかと思っていたときに、なんというグッドタイミング。意気揚々とメールを開く。件名が目に飛び込んで来たときに一気に気分が高揚した。

『件名:結婚しました★』

「なんだよー、仕事で忙しい忙しいって言っておきながらさ。も~」

 入籍したことと新居の住所、電話番号が書かれた簡潔な内容が映し出されている画面を指ではじく。突然の報告に、吃驚はしなかった。彼氏クンとは学生結婚しそうな勢いほどに仲良かったし。片や結婚して幸せに、片やベランダで寂しく布団干し、なんて事は全然思わなかった。ただ嬉しい気分でいっぱいだった。

 でも、前に会った時はそんな事欠片も話してなかったじゃん。

(よし、文句入れちゃろー)

 独身女の僻みと誤解されそうな勢いで(ちょっとはそんな気分も入っていたかも知れないけど)文面を入れて行く。勿論祝福の言葉も忘れずに。いつもよりもやたら念入りに文面をチェックしてから返事を送信した。


*      *      *


 布団たたきの作業を中断し、庭を眺めていてふと思う。

 そういえばこの木を買った時とキヨに会ったときってほぼ同時期なんだ。小学校卒業と中学校入学。およそ一月の差はあるけれども。この木の大きさはキヨとの歴史の証でもあるんだ。そんな風に考えたら何故だか急にこの木が愛しくなって、暖かい気持ちで満たされた気がした。

 先の見えない仕事への不安とか、友達と会えない事への寂しさとか、そんな沈んだ感情が心なしか和らいだ気さえする。傍から見ればなんて簡単な心なんだ、と思うかもしれない。でも、感情を左右するものって案外そこら辺に転がっているもの。当たり前に思っているとかえって見過ごしちゃう位に微少なもの。今は当たり前な事がどれだけ幸せかを知る時なんだ。きっとそうだ。そうに違いない。

(てかそうじゃなきゃ、やっていけないってーの!)

 ブチョーに嫌味を言われようが、友達に会えなかろうが、別に不幸のどん底に落とされた訳じゃないし。うん。そんな訳で明日からの仕事も張り切って参りましょう。

 幸せな事をより幸せに感じるために。


*      *      *


 暫くしてキヨから返事が届いた。

 画面に映し出された名前を見て慌てて本文を見る前にアドレス帳を開いた。見慣れたキヨの苗字を真新しいそれに変えた。お幸せに、と心で呟きながら。

 気合を入れるかの如く力一杯布団たたきを握り、作業を再開する。日頃の鬱憤を打破するかの様に大きく音を立てながら。木に布団の埃が被っているのに気付いて、そっと呟いた。

「ごめん。ちょっとの間だけ煙いけれど我慢してね」

 庭の木に話しかけるなんて何かアヤシイ人? でもそれはとても重要な事なのだ。今日この日からは。

 なんてたって二つの記念が刻まれた特別な木になったのだから。




おわり

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