特別編6話

 嘘だ、と思ってしまった。


 ドキドキしながら慣れない電車に乗り、停車駅が表示される車内のモニターをひたすら睨んで。

 指示されたとおりの駅で降りたら。


「冬野、さん……!」


 私はバスケで鍛えたフットワークで、素早く近くの柱の陰に隠れる。


 駅を出た途端、よく見知った顔がいきなり視界に入った。

 人違いであるはずもない。

 あまりにも人目を引く整った顔と抜群のスタイル。


 茶髪ロング、すらりとした長身の美少女。

 白いブレザーに紺色のミニスカート。

 ウチの中学の野暮ったいセーラー服とはまったく違う、オシャレな制服姿だった。


 冬野雪季さん――


 お買い物中らしく、大きなエコバッグを肩に提げている。

 そんな日常的な買い物姿すら絵になっているのが凄い。


 片手にスタバのカップを持っている。

 中身は、得体の知れないオシャレな飲み物だろうか?


 そんな冬野さんがなにをしているかと思えば。

 なにかのお店の前で立ち止まり、ショーウィンドウを真剣に覗いている。


 かと思ったら、空いているほうの手でさっさっと前髪を整え始めた。

 よく見ると、そのお店は空き店舗らしい。


 ショーウィンドウに映った自分の姿を見て、前髪が気になったみたいだ。

 片手が空いているといっても、重そうなエコバッグを肩に提げているので、動かしにくそうだ。


「そんなところで真剣に整えなくても……」


 一度、どこかに荷物を置いて、手鏡かスマホのインカメラを見ながら整えればいいのに。

 髪が気になったら、もう他のことが考えられないのかもしれない。


 そういえば、学校のトイレで冬野さんを見かけたとき、熱心に鏡の前で髪を整えていた。

 オシャレにかけるその情熱が、一部の同級生の反感を買ったのだけど……。


 というか、私も冬野さんのそんな姿が面白くなかった。


 教室ではいつもつまらなそうにぼーっとしてるのに、自分をよく見せることだけは熱心に思えて。

 実際、飛び抜けて可愛いのが余計に腹立たしくて。


 今思えば別に気にすることでもないし、私だって少なくない時間を鏡の前で使う。

 冬野さんは特に熱心とはいえ、女子として珍しくもない。


 あれだけ可愛ければ、自分をより磨くことに真剣なのも頷ける。

 あの頃は、そんな当たり前のことが私には受け入れられなかった……。


「よしっ♪」


「…………」


 冬野さんは小声で楽しげに言って頷くと、どこかへ向かって歩いていった。

 私が隠れていたせいで、こちらにはまるで気づかなかったらしい。


「……戻ってこないよね?」


 思わず、まだコソコソしてしまう。

 いつか――いつか、冬野さんにはまた会わなければいけない。

 でも今はまだ、その覚悟ができない。


 決して大げさではないはず。

 だって、私は冬野さんに許されないことをしてしまったのだから――


「よお、お待たせ!」

「うきゃあっ!」


「な、なんて声出すんだ。俺がやべーヤツみたいだな」

「ま、松風先輩……! す、すみません!」


 振り返ると、そこにいたのは赤毛で長身の男性。

 キャメルカラーのブレザーに紺のズボン。

 190センチ近い長身でがっちりしたスタイルは、なにを着てもよく似合いそう。


 松風陽司先輩――正確には私の先輩ではないのだけど。


「はは、別にいいけどな。こっちこそ、驚かせて悪い悪い」

「い、いえ……私のほうから連絡を差し上げたんですし」


 私は、進学関係の用事で、田舎から三時間かけてこの街まで出てきた。

 そのついでと言っては失礼だけど、松風先輩に連絡を取ってみたら、あっさりと会ってもらえることになった。


「霜月、もっとざっくり話してもいいぞ。俺の後輩どもなんて、男も女も舐めくさってるからなあ」

「それは……」


 松風先輩が慕われているからだと思います。


「そ、それより、先輩。部活はいいんですか?」

「ああ、今日は休みだ。熱血な猛練習の時代は過ぎ去ったからな」


 ははは、と爽やかに笑う松風先輩。


 本当だろうか……もしかして、私のためにサボってくれたのでは?

 なんとなく、そんな気がしてしまう。


「そうそう、霜月んトコのバスケ部はけっこう強いんだろ?」

「え、ええ……夏は県大会ベスト8でした」


「ほー、そりゃすげぇ。ウチはベスト16だったから俺の負けだな」

「そ、それは私との勝ち負けの問題では」

「来年は新チームで今度こそ全国を狙う! つーか、全国でも勝ち上がらないとな!」


 松風先輩も、意外と正体の読めない人だ。

 だけどバスケに懸ける情熱だけは本物だと思う。


「春太郎がウチの部に入ってくれりゃなあ」

「春太郎って……冬野さんのお兄さんですよね?」


 あの人のことを思い出すと、未だにドキリとしてしまう。

 この感情が、ただ脅かされた恐怖のせいなのか。


 それとも、私たちから妹を守るために見せた、毅然とした姿へのドキドキなのか――


「ああ、あいつもデカかったろ? 俺は今年はほとんど伸びてないが、あいつはまだ背ぇ伸びてんだよな」

「ですが、身長があるだけではバスケは……」


「春太郎、運動神経いいんだよ。本人があんまり気づいてねぇんだよな。春のスポーツテスト、学年で五位だぞ。別に部活とかやってなくて五位だからな、たいしたもんだよ」

「そんなに」


 農具倉庫での一幕。

 相手が全員年下の女子中学生とはいえ、桜羽さんはまるで恐れていないようだった。


 たとえ私たちが援軍を呼んでも、桜羽さんが動じるとは思えなかった。

 腕っ節に自信があったからなのだろうか。


「冬野さんは……運動はまるきりダメでしたね。意外と走ったり跳んだり跳ねたりのフォームは綺麗なのに遅いし低いっていう珍しい感じで」

「はは、桜羽さんは見てくれにこだわるからな。フォームだけは綺麗なんだよ」


「松風先輩、冬野さんのこと、後輩なのにさん付けで呼ぶんですね」

「ガキの頃は別の呼び方だったけどな。中学入ってから変えたんだよ。俺が親しげに呼んでると、他の奴らもマネするから。まあ、手遅れだったけどな。どいつもこいつも、友達の妹だからって雪季ちゃん雪季ちゃんって呼んでるよ」

「…………」


 松風先輩は、後輩なのに冬野さんに気を遣っている――

 というより、桜羽さんとの関係を大事にしているのか。


 桜羽さんが大事にしている妹を、松風先輩は気安く扱わないようにしている。

 仲の良い男の子たちはどこにでもいるけど、桜羽さんと松風先輩はちょっと特別なのかも……?


「おっと、そうだ。こんなとこでいつまでも立ち話してる場合じゃないよな。さっさと遊びに行こうぜ」

「えっと、私……こちらのこと、ほとんどわからなくて」

「行ってみたいトコないか? どこにでも連れて行くぞ」

「い、行ってみたいところですか……」


 今日は親戚と会って、進学先の学校を見て。

 松風先輩とお会いするところまでしか考えていなかった。


 なにをお話しするかすらノープランのまま。

 私、いくらなんでも考え無しすぎる。


 松風先輩が、こんな私にも優しかったから、つい甘えてしまった。

 会うべきは冬野さんと桜羽さんで――

 甘えるのではなく、謝るべきなのに。


「霜月、甘い物は好きか?」

「え? え、ええ……嫌いでは――いえ、好きです」

「おっ、そうそう。はっきりした答え、いいねえ。体育会系はそうじゃないと」


 ははは、と松風先輩は笑ってくれた。

 やはりこの人は優しい。


 たぶん、優しくするだけじゃない相手がいて――

 松風先輩にとっては、そういう人こそが特別な相手なんだろう。


「実は俺、パンケーキ好きなんだよ。美味い店があるんだが、行きにくくて」

「出禁になってるんですか?」

「おいおい、辛辣だな。いや、知り合いの店なんだよ」


 松風先輩は、照れくさそうに笑う。

 もしかして、その知り合いとやらが特別なお相手なのだろうか?


「その店ほどじゃないが、美味いパンケーキの店がある。ただ、そこも女子だらけでな。男だけじゃ、ちょっと行きにくいんだ」

「……お供します」


「助かる。昔ながらの“ホットケーキ”と、ふわふわパンケーキの二種類があって、どっちも美味い。霜月も両方食べてみろよ」

「え? 二種類頼んでシェアするんじゃないんですか?」

「はは、おまえもバスケットマンなら食った分だけ、バスケで消費しろよ」

「わ、私、もう引退してるんですけど……」

「細かいことは気にすんな!」

「…………っ!」


 バン、と大きな手で私の背中を叩いて、松風先輩は歩き出す。


 一瞬息が止まるかと思うほどの勢いだったけど、不思議と全然不愉快じゃない。

 むしろ、嬉しい。


 あの桜羽さんの親友で。

 ウチの中学でも男の子と全然関わろうとしなかった冬野さんが、懐いているのもわかる。


 松風先輩は、いろんな意味で大きい人だ。


 今日は、この人に少しだけ甘えさせてもらおう。

 そして――


 冬野さんと、桜羽さんのことを――教えてもらおう。

 そうしたら、あの人たちともう一度向き合う勇気が持てるかもしれない――

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