第77話 妹はまだ素直になりきれない

「おっすー」

「……軽いな、晶穂」


 急に、がらりと病室のドアが開いて。

 入ってきたのは、晶穂だった。


 最近よく着ているスカジャンに、デニムのミニスカート、黒タイツ。

 足元は渋めの茶色いブーツ。

 ついでに、トレードマークのギターケースも担いでいる。


「ふー、歌いまくってきたよ。じいさんばあさんが離してくれなくて。お小遣い要求したら、ひと財産つくれちゃうんじゃない?」

「慰問じゃなかったのか?」


 晶穂はボランティア精神に欠けているようだ。


「晶穂ちゃーん、慰問もいいけど、まずは私のところに来てくれないとお母さん傷ついちゃうな」

「嘘ばっか。ハルと二人で話がしたかったんでしょ? ハルを連れてこいってうるさかったし」

「…………」


 春太は、ばっと秋葉の顔を見る。


「まー、春太くんと話したいことは山ほどあるからね。でも、いっぺんに話すと春太くんも混乱するだろうし」

「……ですね」


 春太にとって、実の母は興味深い人ではある。

 父が多くを語らない以上、もっとも母の話ができるのは秋葉だろう。


 だが、一つ一つの話が濃すぎるのも事実だ。


「ま、そう簡単にはくたばらないから。充分、全部話せる時間くらいはあるわ」

「ふん、ハルもそろそろお母さんが殺しても死なないってわかってんじゃない?」


「春太くん、春太くん」

「はい?」


 秋葉は、ニヤニヤと笑いながら晶穂を指差した。


「この子、こんな憎まれ口叩いてるけど、私が病院に担ぎ込まれた日は全然帰ろうとしなくてね。お医者さんは帰って大丈夫って言ったのに、一晩中待合室にいたんだから」

「お、お母さん、その話は反則じゃない!?」


 珍しく、晶穂が真っ赤になって母のベッドに手をついて身を乗り出した。


「……意外に可愛いとこあるな、晶穂」

「お、お母さんが死んだらあたしの高校生活も終わるから! 困るから、不安だったってだけ!」

「大丈夫よ、一応アイツ父親もいるし、晶穂が大学出るまでの学費も生活費もたっぷりあるわよ」

「そんなもん、あたしの自由にさせたら一年もたないね」


 ぷいっ、とそっぽを向く晶穂。

 春太も彼女とは数ヶ月の付き合いだが、こんな子供っぽい顔は初めて見た。


「それで、どうなの? 年明けに退院って話は変わんない?」

「ええ、ついでだから三が日くらいまでのんびりしてから退院するわ」

「個室の料金は馬鹿になんないからね。それくらいで出てもらわないと、あたしの学費を減らさなきゃいけなくなっちゃう」

「お、おいおい、晶穂」


 照れ隠しの憎まれ口はわかるが、なかなか手厳しい。


「いいのよ、春太くん。君は優しいわね。晶穂と半分血が繋がってるとは思えないわ」

「…………っ」


 春太は心臓が止まりそうになった。

 不意討ちで出生の秘密を持ち出してくるのはやめてほしい。


「だいたい、この人は魔女なんだから、不死身みたいなもんだよ」

「あはは、娘に魔女呼ばわりされてる件について」


 不死身ではないにしても、高校生の娘がいるにしては若すぎることは否めない。


「そうそう、春太くん。ついでにもう一つ、小ネタを教えてあげる」

「小ネタ?」


「翠璃先輩――君のお母さんは、私のことを“魔女ちゃん”って呼んでたわ」

「魔女……」


「私、制服のブラウスも黒だったし、一年中黒いタイツはいてたし、私服は黒ずくめだったからね」

「俺の母、そんな理由で後輩を魔女呼ばわりですか」


「まあ、私は――魔女ちゃんって呼ばれるの嬉しかったけどね」

「……あまりいいあだ名じゃなさそうですけど」

「あだ名で呼ぶのって特別感あるじゃない? 翠璃先輩があだ名で呼んでた相手、私が知る限り私だけよ」

「本当に仲、よかったんですね」


 春太がちらりと横を見ると。

 晶穂はつまらなそうな顔で聞いている。

 おそらく、晶穂は前に聞いたことがあるのだろう。


「そりゃそうよ。友達とか先輩後輩とかっていうより、って感じだったから」

「仲間? 軽音楽部のですか?」


 以前、秋葉に見せてもらった、演奏中の若かりし母と秋葉の写真を思い出す。


「それもあるけど――ああ、そうだ。大サービスでもう一つ」

「ウチの母、けっこう話長いんだよね。歳取るとこれだから」


 晶穂が、ぼそっとツッコんだが、秋葉は知らん顔をする。


「私と翠璃先輩のバンド名、教えてあげようか?」

「バンド名?」

「正確にはユニット名か。ボーカルとキーボードだけじゃバンドとは言えないわね」


 秋葉は、ノートPCを操作してから、また春太に画面を見せてきた。


 前とは別の演奏中の母と秋葉の写真が表示されていた。


「これよ」


 秋葉はノートPCの液晶画面の一部を指差した。

 二人はお揃いのパーカーを着ていて、その胸のあたりにロゴが入っていた。


「“LAST LEAF”ですか。もしかして、これが?」

「ええ、私たちのユニット名。命名、翠璃先輩」


「へえ、なかなかいい名前――LAST LEAF?」


 春太は、ふと気づいた。

 余計なことに、気づいてしまった。


「最後の一葉……」


 とある短編小説のタイトルだ。

 ちゃんと読んだことのない人でも、こんな話は知っているのではないか。


「あの葉っぱがすべて落ちたら私も死ぬ」


 重い病に冒された画家が、窓の外に見えるツタの葉っぱを見て、こうつぶやいた。

 このツタの葉を巡って、短いながらも切ないストーリーが展開されるわけだが……。


「遠くない未来に死ぬ二人は、音楽を鳴らし続けた。この音が鳴り止んだときが、自分たちが死ぬときだって」

「…………」

「音楽こそが、私と翠璃先輩の最後の一葉だったの」


 それは、つまり――春太は言葉が出てこなかった。


「ま、私はこうしてしぶとく今も生きてるけど。あの頃は、本当に――私も翠璃先輩も先が見えなかった。自分が大人になるなんて、思いもしなかったのよね」

「ほら、ハルが困ってる。お母さん、その話、ヘビーすぎるんだって」

「あはは、やっぱりまずい? でも、春太くんには聞いてほしかったのよね」


 軽音楽部で意気投合したという後輩は――

 いや、同じ運命を抱えていたからこそ意気投合したということか。


「身体が弱いのは、翠璃先輩だけじゃなかったってわけ」

「秋葉さんは……」

「私は心臓専門。今回、五年ぶり五回目の爆発を迎えたのよ。幸い、軽かったけど」

「心臓……」


「だから、お母さんは不死身だって言ってんじゃん。不死身の魔女……なんだよ」


 晶穂はまだそっぽを向いたまま、独り言のようにつぶやいている。


「そうね、魔女ちゃんはそう簡単には死なない。けど、翠璃先輩は――」

「……秋葉さん、無理に俺の母の話をしなくても」

「私が、翠璃先輩の話をしたいのよ。歳を取ると昔話がしたくなるの」


 まるで歳を感じさせない美女は、苦笑いしている。


「翠璃先輩の場合は、どこが悪いって、どこもかしこもと言ったほうが早いわね。薬とか、ドン引きするくらい大量に飲んでたわ」


 そこまで聞いて、春太ははっとした。


「秋葉さんが、最後に母を病院から連れ出したっていうのは――」

「悔いを残さず死にたい。私も翠璃先輩も、ずっとそう思って生きてきた。だから、春太くんに会いたいっていう願いを他人事だなんて思えるわけがない。私は、あの人の願いを叶えてあげたかったの。大失敗したけどね」


 くすり、と秋葉は笑った。


「私も、悔いは残したくない。ねえ、春太くん」

「は、はい」


「私にとって世界で一番大切なのは、こんな生意気なクソガキでも晶穂なの」

「余計な付け足しがなければ、泣いちゃう台詞だね」

「ね、生意気でしょ? でも、もしもこの子の将来を見届けられなかったら、それが悔いになる。だから、せめて」


 秋葉は、ノートPCのフタを閉じて春太の顔をじっと見た。


「兄でも彼氏でも、どっちでもいい。そんなことは、君たち二人の問題よ。ただ、君に――晶穂をお願いしたいの」

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