第73話 妹は兄の恋バナは聞きたくない

「先輩、ちょっとこっちへお願いします」

「え?」


 ほとんど睨み合っている松風と、氷川涼華――

 わけもなく巻き込まれた形の春太に、救いの手が現れた。


「お姉、松風先輩、ちょっと桜羽先輩借りていきますね。あとはお若いお二人で!」

「お、おい、氷川……」


 現れたのは、氷川琉瑠。

 氷川涼華の妹にして、雪季の親友の一人。


 氷川は春太の腕を掴み、店内に溢れている人々を押しのけるようにして引っ張っていく。


 春太は、店のカウンターの向こう側へと連れて行かれてしまう。

 そこはテーブルが一つあるだけの小部屋で、そのテーブルの上には食材らしきものが山積みにされている。


「ここはまあ、事務室みたいなもんですね。混んでるときは、ここも使って調理したりもしますけど」

「へぇ」


 よく見ると、部屋の隅にはコンロや本格的なオーブンなどもある。

 RULUはカウンター内での調理がメインのようなので、サブのキッチンというところか。


 今、氷川の両親もカウンター内で料理を用意しているので、無人だ。


「すみませんね、またウチの姉となんか揉めてたんですか?」

「俺が揉めたというか……」


 突然、松風と氷川姉が揉め始めて、巻き込まれただけだ。


「氷川も参戦してもいいんですけど、楽しいクリパをしらけさせたくないですからね」

「……参戦?」


「氷川は松風先輩が好きで、松風先輩はお姉が好きで、お姉は桜羽先輩が好きですからね。なに、この地獄の関係?」

「…………よくご存じだな」


 氷川妹の松風への態度はバレバレだったとはいえ、本人がこうも簡単に認めるとは。

 春太は、氷川とこういう話をしたことがなかった。


「バレてるのはわかってましたから。気づいてないのは、ふーたんくらいですよ」

「ウチの妹には平和に生きてほしいな」

「同意です」


 氷川は、こくこくと頷く。

 この後輩は勉強ができるだけでなく、周りもよく見えているらしい。


「けど、勉強になりました。この四角関係のうち、三人が揃うと戦争ですね。三すくみは本当にあったんだ」

「三すくみねえ……」


 俺の人間関係を含めたら、

 春太は、自分が複雑極まりない人間関係に翻弄される運命にあることをあらためて思う。


「まあ、そういうわけで一人が欠ければ、戦争は終結しますね。ほら、松風先輩、ウチらの友達と話して――あいつら、なにしてんねん」

「ま、まあまあ。松風は後輩に人気あるからな。こういうときに、狙われるのはしゃーない」


 カウンター越しに、松風と女子中学生たちが和やかに話している。

 いつの間にか、氷川姉との緊迫感溢れる会話は終わったらしい。


 春太は、喧嘩腰で事務室を出て行こうとする氷川を止めつつ――


「あれ、今気づいた。氷川も姉貴とお揃いのメイド服か」

「ああ、一応、氷川も看板娘その2なんですよ」


 ショートカットに小麦色の肌で、いかにも活発そうだ。

 意外に、メイド服も似合っている。


「よく働きそうなメイドだな。ウチに一人ほしい」

「毎日お世話してくれる可愛い妹が既にいるのに、どん欲ですね、先輩」


 後輩に、ゴミを見るような目を向けられてしまう。


 今や、雪季だけでなく霜月にも家事をやってもらっていることは秘密だ。

 バレたら、先輩の威厳がかけらも残らず消えてしまう。


「でも、思った以上に人が集まりましたね。先輩、意外に人脈あるんですね」

「俺のじゃなくて、俺のごく身近な連中がコミュ力高いんだよな……」


 春太が知らない顔もちらほらいるようだ。

 特に、晶穂や美波の友人関係には見知らぬ人も多い。


「つーか、氷川。訊いときたかったんだが」

「ほい」

「本当にあの料金でいいのか? お店、大赤字なんじゃねえ?」

「ああ、そんなことですか」


 RULUがここ3年連続で、クリスマスの営業でトラブっている話は聞いた。

 氷川姉妹の両親が、それなら知り合いの貸し切りにしたほうがマシ――まではいいとして。


 氷川(妹)からの説明によると、参加者が支払った会費は、食材の仕入れ値を人数で頭割りにした金額らしい。


 かなりの格安料金だった。


 店を貸し切りにした会場費や、人件費などは一切入っていない。

 食材の仕入れ値を頭割り、ということすら信じられないほどの安さだった。


「ええんですよ。可愛い末娘の受験勉強の気晴らしでもあるんですから。ウチの両親だって、大サービスくらいしますよ」

「おまえの受験なんてイージーモードだろ。いいのかなあ」

「先輩、関西人ががめついってゆうのは偏見ですよ?」

「おまえの姉も似たようなこと言ってたな」


 氷川は、たまに関西弁が妙な形で混じる。


「そもそも、がめついのは大阪人です」

「名指しでディスるのやめよう。大阪は商売の街ってだけだからな?」

「ウチは神戸やし。RULUは元々、別の店名で氷川らのお祖父ちゃんがやってた店なんですよ」

「ああ、それで老舗って言ってるのか」


 氷川妹の名前をもとにした店名なら、最長で15年程度の歴史のはず。

 もちろん、15年も店を営業するのは並大抵のことではないだろうが、老舗と呼ぶには違和感があった。


「わざわざ、神戸時代の常連さんがコーヒーとかカレーのために来たりもするんですよ」

「そりゃすげぇ」


 こちらに来たついでに足を運ぶのだとしても、たいした人気だ。


「桜羽先輩がお姉と結婚したら、そんな老舗の店を手中にできるわけですよ」

「俺ががめついっていうのも偏見だからな?」


 相手の財産目当てで、女子と付き合うと思われては困る。


「つーか、俺、一応カノジョいるからな……?」

「さすがに知ってますよ。ふーたんからも聞いてますし、お姉にもさりげなく教えてます」

「そ、そうか」


 今でも、氷川涼華が春太のことが好きかどうか――

 さすがに、春太自身はそこまで自惚れていないが、ちょっと怖い話だ。


 晶穂と涼華、クセの強い二人との修羅場が起きたら、血が流れかねない。


 ましてや、そこに雪季が参戦したりしたら――


「もしかして俺、もう詰んでるんじゃ?」

「氷川は全容を把握できてないと思いますが、先輩の予感は当たっているかと」


 春太の知り合いでも、群を抜いて頭がキレる氷川のお墨付きがついたようだ。

 嫌すぎる。


「ところで、氷川はどうやったら松風先輩とお付き合いできますかね?」

「世間話みたいに難問を吹っかけてくんな」

「なんか、お姉とは肉体関係がある、みたいな噂も聞いたことあるんですが」

「いらんこと知ってるな、おまえは……」


 春太がついさっき聞いた話を、氷川妹は以前から知っていたらしい。


「うーん、氷川はふーたんどころか、冷泉レイにもおっぱいのサイズで負けてるんですよね。松風先輩、ワンチャン貧乳派だったりしませんか?」

「胸で勝負しようとすんな」


 松風は巨乳好みだということを知っているが、さすがに残酷な事実すぎて氷川には話せない。


「はぁ……もう氷川も、桜羽先輩に乗り換えちゃおうかな。松風先輩より、チョロそうですし」

「そういうのは、本人がいないところで言え」


「ふーたん、カノジョさん、レイ、ウチのお姉、見た目は清楚系が多いですよね、桜羽ガールズ」

「そんな胡乱うろんな集団は存在しねぇよ」


「そんな中に、氷川みたいな可愛さはイマイチでも、元気で健康的な女子が一人まざるのもアリでは?」

「ありもしない集団に、さらに多様性まで追加すんな。つーか、氷川は可愛いだろ」

「えっ……」


 氷川はきょとんとしたかと思うと、真っ赤になる。


「ええっ……もしかして、チョロいのは氷川ですか……?」

「……不用意な発言だったな」


 春太は、妹に可愛い可愛いと言い続けているせいか、年下相手だと普通に容姿を褒めてしまうようだ。


「まあ、松風のことはどうにもできんけど、わざわざ悠凛館を受験するほど本気なんだからな。応援くらいはする」

「せんぱーい、嬉しいけどそういう優しさを見せると、マジで関係がこじれますよ。氷川が、二人の男の子を同時に好きになっちゃったらどうすんです?」


「…………」


 二人を同時に――


 少しばかり、ドキリとする言葉だった。


 桜羽ガールズなど存在しないが、春太にはカノジョの他に気になって仕方ない女子がいる。


 そう、好きになる相手が一人とは限らない――

 二人を同時に好きになるくらい、普通に起こりえることなのだ。


「おっと、氷川は働かないと。受験余裕なんで、このクリパは裏方に回ると決めてるんですよ」

「……おまえも受験生ではあるんだから、せっかくだし少しは楽しめよ」

「了解!」


 ビシッと敬礼して、氷川はフロアへと出て行く。


「ハル、なかなか面白そうな話してたねえ」

「……立ち聞きとは趣味がよくねぇな」


 春太もカウンターを通って出て行こうとしたら。

 事務室の出入り口、カウンター側に小柄な人影があった。


 春太の愛すべきカノジョにして、実の妹。

 月夜見晶穂が、ギターを抱えて座っていた。

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